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- 2009/11/02 大雑把に「4っつの気質」
- 2009/10/15 こびと are From・・・
- 2009/08/23 レプラホーンの贈り物
- 2009/06/16 お祈りロック
- 2009/03/09 ルビコン目前雛祭り
大雑把に「4っつの気質」
占い好きな私だが、血液型占いはあまり信用していない。
いや、それぞれの血液型にある程度の傾向はあるだろうが、そもそも人間を4タイプに分類するという大雑把さがやりきれない。優勢・劣勢遺伝を鑑みて、A型・B型をそれぞれAA型・AO型、BB型・BO型に分けたとしても、6タイプに過ぎないではないか。
以前知り合った方が、出会ってまもなく私に血液型を訊ねてきた。
「A型ッス」
と答えたところ、彼女は意外そうに、
「ふ〜ん・・・あんまりA型には見えないわね〜」
って、出会って数分でオマエに私の何が分かる!?
当時の私は無頼派気取りのファッション・パンクス、完全に見た目判断である。
更に私の両親の血液型まで詮索する始末。
「父がAで、母がBッス」(つまり私はAO型)
すると彼女は得たり賢しとばかりにこう云い放った。
「あ〜、それで分かった!B型が交じってるのね!」
・・・A型にB型が交じったら、AB型だっての!
私は血液型占いそのものが好きではないと云うより、無理からに他人を血液型に当て嵌めて解釈しようとする向きが苦手なのだろう。
そんな私なので、始めにシュタイナーの「4っつの気質」論を聞いた時も、血液型占いと同一視し、「そんな、人間を4っつに分類するって・・・」と興味を抱かなかった。
が、根本的に違った。
人間は「4っつの気質」全てを持っており、それらの要素がどう混ざり合っているか、どの要素を多分に持っているか等で個性が決まる、というのである。単純に人間を4っつないし、混合気質も併せて8っつ等に分類するのではなく、それぞれの人間の個性を見ていく上での指針とするのだ。
「4っつの気質」について、詳細は書ききれないので、ここでは極めて大雑把に紹介しよう。(冒頭で『大雑把さがやりきれない』等と書いておいてナンだが)
*胆汁質(火の要素)
・・・美点:行動的で正義感や意志が強く、主導的。
例:肝っ玉母ちゃん
偏ると:感情の起伏が激しく、特に怒ると手が付けられない。暴力的。
例:DV夫
*多血質(風の要素)
・・・美点:明朗快活で社交的、好奇心が旺盛。
例:「男はつらいよ」の寅さん
偏ると:落ち着きがなく、軽薄で飽きっぽい浮気者。突拍子も無い行動。
例:「好色一代男」の世乃介
*粘液質(水の要素)
・・・美点:温厚で実直、マイペースで粘り強い。
例:はたらくおじさん
偏ると:不活発で無気力、無関心。
例:はたらかないおじさん
*憂鬱質(地の要素)
・・・美点:思慮深く、慎重で誠実。他者への思いやりも深い。
例:「地上の星」の中島みゆき
偏ると:利己的で否定的、悲観的。執念深い。
例:「うらみ・ます」の中島みゆき
以上、簡単に紹介してみたが、これらは典型的な例に過ぎない。また、大抵はこれらの気質が混合している。
例えば、合コンの盛り上げ役のお調子者(多血の要素)が、普段は一人でまったりと、美味しいお酒や料理に舌鼓を打っている(粘液の要素)とか。
または、頼もしいやり手の社長(胆汁の要素)だが、ヒラ社員一人一人への気遣いも行き届いている(憂鬱の要素)など。
育児の上で、この「4っつの気質」という視点は、大いに役立つ。子供の気質によって違った導き方があるからだ。それも含めて、今後も気が向けば「4っつの気質」について、更に詳しく考察して行きたい。
そういえば、冒頭で例に出した血液型占い。私の愛妻・みほち(仮名)は結婚前、
「うちは 多分 O型やわぁ」
と云っていた。何だ、「多分」って!?こんな大雑把さというか、大らかさは、確かにいかにもO型の典型と云える。
無論、繊細さや几帳面さも併せ持つみほちだが、それを上回るO型っぷりを発揮していたので、誰もが彼女がO型である事を疑わなかった。妻・みほちに関しては、血液型占いもあながち間違ってはいない、と思えた。
結婚後、娘・ぴーぽこ(仮名)を懐妊、検査から帰宅したみほちは、驚愕の一言をさらりと云ってのけた。
「今日血液検査してみたらな、うち、
A型だったわぁ」
えぇ〜!?人生約三十年目にして、初めてそれが発覚!?
・・・こんな大雑把なA型はいない。
告知: 現在発売中の「戦国武将列伝」(リイド社)に、
拙著「華麗なる軍師〜竹中半兵衛 長亭軒城の秘策〜」掲載中。
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いや、それぞれの血液型にある程度の傾向はあるだろうが、そもそも人間を4タイプに分類するという大雑把さがやりきれない。優勢・劣勢遺伝を鑑みて、A型・B型をそれぞれAA型・AO型、BB型・BO型に分けたとしても、6タイプに過ぎないではないか。
以前知り合った方が、出会ってまもなく私に血液型を訊ねてきた。
「A型ッス」
と答えたところ、彼女は意外そうに、
「ふ〜ん・・・あんまりA型には見えないわね〜」
って、出会って数分でオマエに私の何が分かる!?
当時の私は無頼派気取りのファッション・パンクス、完全に見た目判断である。
更に私の両親の血液型まで詮索する始末。
「父がAで、母がBッス」(つまり私はAO型)
すると彼女は得たり賢しとばかりにこう云い放った。
「あ〜、それで分かった!B型が交じってるのね!」
・・・A型にB型が交じったら、AB型だっての!
私は血液型占いそのものが好きではないと云うより、無理からに他人を血液型に当て嵌めて解釈しようとする向きが苦手なのだろう。
そんな私なので、始めにシュタイナーの「4っつの気質」論を聞いた時も、血液型占いと同一視し、「そんな、人間を4っつに分類するって・・・」と興味を抱かなかった。
が、根本的に違った。
人間は「4っつの気質」全てを持っており、それらの要素がどう混ざり合っているか、どの要素を多分に持っているか等で個性が決まる、というのである。単純に人間を4っつないし、混合気質も併せて8っつ等に分類するのではなく、それぞれの人間の個性を見ていく上での指針とするのだ。
「4っつの気質」について、詳細は書ききれないので、ここでは極めて大雑把に紹介しよう。(冒頭で『大雑把さがやりきれない』等と書いておいてナンだが)
*胆汁質(火の要素)
・・・美点:行動的で正義感や意志が強く、主導的。
例:肝っ玉母ちゃん
偏ると:感情の起伏が激しく、特に怒ると手が付けられない。暴力的。
例:DV夫
*多血質(風の要素)
・・・美点:明朗快活で社交的、好奇心が旺盛。
例:「男はつらいよ」の寅さん
偏ると:落ち着きがなく、軽薄で飽きっぽい浮気者。突拍子も無い行動。
例:「好色一代男」の世乃介
*粘液質(水の要素)
・・・美点:温厚で実直、マイペースで粘り強い。
例:はたらくおじさん
偏ると:不活発で無気力、無関心。
例:はたらかないおじさん
*憂鬱質(地の要素)
・・・美点:思慮深く、慎重で誠実。他者への思いやりも深い。
例:「地上の星」の中島みゆき
偏ると:利己的で否定的、悲観的。執念深い。
例:「うらみ・ます」の中島みゆき
以上、簡単に紹介してみたが、これらは典型的な例に過ぎない。また、大抵はこれらの気質が混合している。
例えば、合コンの盛り上げ役のお調子者(多血の要素)が、普段は一人でまったりと、美味しいお酒や料理に舌鼓を打っている(粘液の要素)とか。
または、頼もしいやり手の社長(胆汁の要素)だが、ヒラ社員一人一人への気遣いも行き届いている(憂鬱の要素)など。
育児の上で、この「4っつの気質」という視点は、大いに役立つ。子供の気質によって違った導き方があるからだ。それも含めて、今後も気が向けば「4っつの気質」について、更に詳しく考察して行きたい。
そういえば、冒頭で例に出した血液型占い。私の愛妻・みほち(仮名)は結婚前、
「うちは 多分 O型やわぁ」
と云っていた。何だ、「多分」って!?こんな大雑把さというか、大らかさは、確かにいかにもO型の典型と云える。
無論、繊細さや几帳面さも併せ持つみほちだが、それを上回るO型っぷりを発揮していたので、誰もが彼女がO型である事を疑わなかった。妻・みほちに関しては、血液型占いもあながち間違ってはいない、と思えた。
結婚後、娘・ぴーぽこ(仮名)を懐妊、検査から帰宅したみほちは、驚愕の一言をさらりと云ってのけた。
「今日血液検査してみたらな、うち、
A型だったわぁ」
えぇ〜!?人生約三十年目にして、初めてそれが発覚!?
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こびと are From・・・
前回の記事以降、歯を銭に変えて貰おうという守銭奴丸出しの野望を断念したぴーぽこ。再び天然石で満足するようになった。
以後、抜けた歯を、こびとさんへのプレゼント用のアーモンド数粒と一緒に包み、手紙を添えて枕元に置くのがぴーぽこにとっての定番スタイルとなったのだが、その手紙の内容に変化が起きた。
これまでは、こびとさんに対して「だいすきだよ」や「ありがとう」といった内容に終始していた。が、今回の手紙はこうだ。
「こびとさんはどこからきてるんですか!
わたしはふしぎです。」
(ぴーぽこの手紙より、無許可で抜粋)
「!」マークときた。ここは「?」だろ、とも思うが、まぁ、それは置いといて。
この一文から、ぴーぽこが世界に対して独立しつつある、という事が読み取れる。
シュタイナー教育では、七歳までの子供は世界と一体である、とされる。
お母さんやお父さん、猫や蝶、コスモスもローズクォーツも、雲や星々さえも、それらは子供にとって「別の存在」なのではない。
それが、七歳以降、ゆっくりと「世界」と「自分」が離れてゆき、およそ九歳前後で「自分」と「外界」との区別が明瞭になる。これが、シュタイナー教育で云うところの「ルビコン世代」であり、創世記でアダムとエヴァが楽園を離れ、神々から独立した存在になった事件とも関連する年代でもあるのだ。
これまで生きていたファンタジーの世界から離れ、サンタさんや妖精、天使などを、「ほんとにいるのかな?」と疑い出したり、「そんなものいないよ!」と否定し出すのが、概ねこの年頃である。
ぴーぽこにとって、これまで「こびとさん」とは深く繋がっていた。だから「だいすき」なのだ。
流石にぴーぽこは、まだこうした存在に疑いは抱いていないものの、これまで密接だったこびとさんとの間に距離が生じた。つまり、「自分とこびとは別の存在」という意識が、これまでよりも明瞭化したから、「どこから来るんだろう?」という問いが湧いたのではないか。
また、「ふしぎ」という抽象的な言葉が身に付いているのも興味深い。勿論これまでも「ふしぎ」という単語は知っていたし、会話の中で使ってもいた。
期せずして、前の月、夜のお祈りの後で金子みすゞの「ふしぎ」という詩を暗誦していたぴーぽこ。
恐らく、本当に心の底から「不思議!」という感情が湧き上がった、初めての体験かもしれない。それが文面から伝わって来る様であった。
さて、手紙の返事を書かねばならない。これは私が書くというより、あくまでこびとさんの「代筆」である。
こびとさん達は、何処から来るのか。
森の洞穴だろうか。庭やベランダの植木鉢の陰だろうか。それとも居間に飾っている水晶の中だろうか。
大人がファンタジーの力を動員して、あれこれ想像を巡らすのは、子供にとっても良い作用を生むだろう。
この、「何処から来るか」という問いについて、シュタイナーは講演の中で興味深い事を語っているので、一部抜粋したい。
尚、文中に耳慣れぬ用語が出てくるが、平たく云えば「四大存在」とは「妖精(元素霊)」、「高次のヒエラルキア存在」とは「天使」を指す。
「四大存在や高次のヒエラルキア存在はどこにいるのでしょうか。それらの存在は、ここにいるのです。このいたるところにいるのです。テーブルや椅子のあるところ、皆さん自身のいらっしゃるところ、そのいたるところにいるのです。しかし外界の事物や経過にくらべると、それらの存在は希薄で不確かですので、人間の注意の眼を逃れているのです」
R.シュタイナー 『内面への旅』 (訳:高橋巌、筑摩書房刊)より
これを踏まえて、「私達小人はぴーぽこちゃんの近くにいつもいて、見守っている」という内容のお返事を、代筆した。
翌朝、抜けた乳歯が変容した天然石と、こびとさんからの返事を見て、嬉しそうなぴーぽこ。それでも少しずつ「こびとさんの世界」から「現実世界〜感覚世界〜」へと降りてきつつある。
ところでぴーぽこからの手紙、最後に、いかにもヴァルドルフの子供らしい絵で、綺麗な色彩のこびとさん達が、色鉛筆で可愛く描かれていた。
曰く、
「(こびとさん達の)えをかいてあ・げ・る・」
(ぴーぽこの手紙より、無許可で抜粋)
何だ、「あ・げ・る・」って。こんな表記法、何処で覚えた?
・・・オマエは 小・悪・魔・か?
告知: 現在発売中の 「 乱TWINS」(リイド社)に、
拙著「華麗なる軍師〜竹中半兵衛 稲葉山城取り〜」掲載。
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以後、抜けた歯を、こびとさんへのプレゼント用のアーモンド数粒と一緒に包み、手紙を添えて枕元に置くのがぴーぽこにとっての定番スタイルとなったのだが、その手紙の内容に変化が起きた。
これまでは、こびとさんに対して「だいすきだよ」や「ありがとう」といった内容に終始していた。が、今回の手紙はこうだ。
「こびとさんはどこからきてるんですか!
わたしはふしぎです。」
(ぴーぽこの手紙より、無許可で抜粋)
「!」マークときた。ここは「?」だろ、とも思うが、まぁ、それは置いといて。
この一文から、ぴーぽこが世界に対して独立しつつある、という事が読み取れる。
シュタイナー教育では、七歳までの子供は世界と一体である、とされる。
お母さんやお父さん、猫や蝶、コスモスもローズクォーツも、雲や星々さえも、それらは子供にとって「別の存在」なのではない。
それが、七歳以降、ゆっくりと「世界」と「自分」が離れてゆき、およそ九歳前後で「自分」と「外界」との区別が明瞭になる。これが、シュタイナー教育で云うところの「ルビコン世代」であり、創世記でアダムとエヴァが楽園を離れ、神々から独立した存在になった事件とも関連する年代でもあるのだ。
これまで生きていたファンタジーの世界から離れ、サンタさんや妖精、天使などを、「ほんとにいるのかな?」と疑い出したり、「そんなものいないよ!」と否定し出すのが、概ねこの年頃である。
ぴーぽこにとって、これまで「こびとさん」とは深く繋がっていた。だから「だいすき」なのだ。
流石にぴーぽこは、まだこうした存在に疑いは抱いていないものの、これまで密接だったこびとさんとの間に距離が生じた。つまり、「自分とこびとは別の存在」という意識が、これまでよりも明瞭化したから、「どこから来るんだろう?」という問いが湧いたのではないか。
また、「ふしぎ」という抽象的な言葉が身に付いているのも興味深い。勿論これまでも「ふしぎ」という単語は知っていたし、会話の中で使ってもいた。
期せずして、前の月、夜のお祈りの後で金子みすゞの「ふしぎ」という詩を暗誦していたぴーぽこ。
恐らく、本当に心の底から「不思議!」という感情が湧き上がった、初めての体験かもしれない。それが文面から伝わって来る様であった。
さて、手紙の返事を書かねばならない。これは私が書くというより、あくまでこびとさんの「代筆」である。
こびとさん達は、何処から来るのか。
森の洞穴だろうか。庭やベランダの植木鉢の陰だろうか。それとも居間に飾っている水晶の中だろうか。
大人がファンタジーの力を動員して、あれこれ想像を巡らすのは、子供にとっても良い作用を生むだろう。
この、「何処から来るか」という問いについて、シュタイナーは講演の中で興味深い事を語っているので、一部抜粋したい。
尚、文中に耳慣れぬ用語が出てくるが、平たく云えば「四大存在」とは「妖精(元素霊)」、「高次のヒエラルキア存在」とは「天使」を指す。
「四大存在や高次のヒエラルキア存在はどこにいるのでしょうか。それらの存在は、ここにいるのです。このいたるところにいるのです。テーブルや椅子のあるところ、皆さん自身のいらっしゃるところ、そのいたるところにいるのです。しかし外界の事物や経過にくらべると、それらの存在は希薄で不確かですので、人間の注意の眼を逃れているのです」
R.シュタイナー 『内面への旅』 (訳:高橋巌、筑摩書房刊)より
これを踏まえて、「私達小人はぴーぽこちゃんの近くにいつもいて、見守っている」という内容のお返事を、代筆した。
翌朝、抜けた乳歯が変容した天然石と、こびとさんからの返事を見て、嬉しそうなぴーぽこ。それでも少しずつ「こびとさんの世界」から「現実世界〜感覚世界〜」へと降りてきつつある。
ところでぴーぽこからの手紙、最後に、いかにもヴァルドルフの子供らしい絵で、綺麗な色彩のこびとさん達が、色鉛筆で可愛く描かれていた。
曰く、
「(こびとさん達の)えをかいてあ・げ・る・」
(ぴーぽこの手紙より、無許可で抜粋)
何だ、「あ・げ・る・」って。こんな表記法、何処で覚えた?
・・・オマエは 小・悪・魔・か?
告知: 現在発売中の 「 乱TWINS」(リイド社)に、
拙著「華麗なる軍師〜竹中半兵衛 稲葉山城取り〜」掲載。
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レプラホーンの贈り物
学校で、時折低学年の母から、
「あき乙女さん、石を売って」
と頼まれることがある。学校の運営資金調達の為に、親達は軽食販売やリサイクル販売等、様々に工夫を凝らしているのだが、そうした活動の一つに、水晶等の天然石を内外に販売する「石班」というグループがあり、私はその一員なのである。
「石班」などといった珍妙な係が存在する学校というのも、そうざらには無いであろう。
さて、冒頭の様に、低学年の子供を持つ母親が、急遽天然石が必要になるというのは、どういった場面であろうか。
それは、突如子供の乳歯が抜けた時である。
過去記事(こびとさんからの手紙)に紹介したが、子供の抜けた乳歯が、こびとさんの魔法によって、翌朝綺麗な石になっている、そんなメルヘン溢れる贈り物をする為だ。
この夏休みの間に、私の娘・ぴーぽこ(仮名)も、前触れも無く突然乳歯が一本抜けた。
が、そこは抜かりが無い。こんな事態に備え、私は常から数個の天然石のタンブルをこっそりストックしてあるのだ。
更に私の用意周到なところと云うか、小賢しいところは、ぴーぽこに
「外国では、歯は石になるだけじゃなくて、コインになることもあるらしいよ」
と語って聞かせている事だ。こう教えておけば、仮に石のストックを切らす様なことがあったとしても、以前海外旅行の際、記念に取っておいたセント硬貨を使えば良い。
が、私のこうした小賢しさが子に報いたか、ぴーぽこはこんな事を云い出した。
「う〜ん、石もいいけど…今度はお金になってて欲しいなぁ…。それも、外国のじゃなくて、日本の」
流石、ルビコン世代である。もうメルヘンに浸っていた幼児ではない、願いが現実味を帯びてきている。コイツ、大人になって俄に大金など手に入れようものなら、総金歯にでもするんじゃなかろか。
抜けた乳歯を後生大事にティッシュでくるみ、それがゼニになることを夢見て枕元に置くぴーぽこ。そんな銭の亡者の姿を見つつ、私の中の妖精的要素が一計を案じた。
さて、ここで「こびとさん」について考察したい。
東洋でも「地水火風」と云うが、西洋でもこの世を構成している要素を「土、水、風(空気)、火(熱)」の四大元素として分類していた。人智学で「土」と云うとき、それは単なる土くれだけを指すのではなく、「固体」全体を意味する。
土の要素は形成、凝固、硬化等の性質を持っており、人体でも歯はとりわけ土の要素が強いと云える。
この「土」の要素を持つ元素存在を、シュタイナーはパラケルススの分類を踏襲して、「グノーム」と呼ぶ。(『固体』を全て『土』と呼ぶ様に、土的要素を持つ妖精たちを総称して『グノーム』と呼んでいると思われる)
シュタイナーは「小人のように、注意しろ」というドイツの古い諺を引用し、この「小人」とは「グノーム」に他ならない、と述べている。昔話や伝説に登場する小人は、概ねグノームの性質を表現しているのではないだろうか。
「小人」と云えば働き者で、物作りが得意な者が多い。夜中に職人の仕事を手伝う小人の話は有名である。また、北欧神話の女神・フレイヤが身に付けているブリシンガメンという美しい首飾りも、四人の小人によって製作されたものだ。
こうした話は、小人が土の特質である「形成」や「硬化」の特質を有していることを表しているのではないか。
また、レプラホーンという種類の小人などは靴職人で、金持ちだと云われる。エーテル存在の妖精がお金など持っていても仕方がなかろう。尤もレプラホーンは、使う為にお金を集めるというより、お金そのものを収集し、貯めておくことに関心があるようだ。コレクターかっての。そもそも何故妖精なのに「お金」に執着するのか。「硬化」だけに「硬貨」って、駄洒落か?
まぁ、お金というものは、「価値」とかそういった概念を固体化したものとも云えるから、人間界のお金の発生時に、レプラホーンが関与していたのかも知れない。
ともかく、小人は物を「形成」するのが得意な者が多い。白雪姫の周りでご陽気に「ハイホーハイホー」歌っているだけの存在ではないのである。
これら元素存在たちが、動・植物や人間にどのように関与しているとシュタイナーは述べているか。それについてはまた改めて紹介するとして。
こびとさんが土の元素霊・グノームに属する者だとするなら、ぴーぽこの「日本のお金になって欲しい」という願いを叶えるお膳立ては既に整っているというわけだ。
形成、硬化を得意とするグノームにとって、乳歯を天然石やコインに変えるなど朝飯前、とりわけレプラホーンに至っては、しこたま金貨を貯め込んでいるときた。彼に頼めば銭コレクションの中から一枚ぐらい分けてくれるかもしれない。
ただ、グノームに限らず多くの妖精に共通する特徴、それは悪戯好きだということだ。
翌朝、枕元のティッシュの中身が、コイン状に変化している事に気付いたぴーぽこ、嬉々としてテッシュを広げる。中から出てきたものは…。
寛永通宝
である。間違いなく、「日本のお金」だ。
ただし、昔の。
実は私が大学時代、歴史マニアの後輩から、どこぞかの旅行土産として貰っていた寛永銭を、引き出しの奥に仕舞っていたのだ。
ぴ:「これ…なに?」
私:「お金だねぇ…。日本の!良かったじゃん、こびとさんが『日本のお金』って願いを叶えてくれたよ!」
「これ、使えるのかなぁ?」
「使えないねぇ、昔のお金だから」
こびとさんが願いを聞き届けてくれたことへの喜びと、それが使えないと知った落胆とで、「はぁ〜〜・・・」と、ぴーぽこは笑いつつ溜め息。
「今度は『使える日本のお金』ってお願いしよう」
懲りないな、オマエも!
そんなぴーぽこに、こう云っておいた。
「きっとこびとさんは、折角のぴーぽこへの贈り物を、大事にとっておいてほしかったんじゃないかなぁ。お金は使えば無くなっちゃうし」
ぴーぽこは納得した様子で、寛永通宝を、これまで歯から変化した天然石と一緒に並べる。
ぴーぽこよ、その寛永銭は大事にとっておくがよい、レプラホーンの様に。
寛永銭では何も買ンえーせん。
・・・え!?駄洒落オチ!?
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「あき乙女さん、石を売って」
と頼まれることがある。学校の運営資金調達の為に、親達は軽食販売やリサイクル販売等、様々に工夫を凝らしているのだが、そうした活動の一つに、水晶等の天然石を内外に販売する「石班」というグループがあり、私はその一員なのである。
「石班」などといった珍妙な係が存在する学校というのも、そうざらには無いであろう。
さて、冒頭の様に、低学年の子供を持つ母親が、急遽天然石が必要になるというのは、どういった場面であろうか。
それは、突如子供の乳歯が抜けた時である。
過去記事(こびとさんからの手紙)に紹介したが、子供の抜けた乳歯が、こびとさんの魔法によって、翌朝綺麗な石になっている、そんなメルヘン溢れる贈り物をする為だ。
この夏休みの間に、私の娘・ぴーぽこ(仮名)も、前触れも無く突然乳歯が一本抜けた。
が、そこは抜かりが無い。こんな事態に備え、私は常から数個の天然石のタンブルをこっそりストックしてあるのだ。
更に私の用意周到なところと云うか、小賢しいところは、ぴーぽこに
「外国では、歯は石になるだけじゃなくて、コインになることもあるらしいよ」
と語って聞かせている事だ。こう教えておけば、仮に石のストックを切らす様なことがあったとしても、以前海外旅行の際、記念に取っておいたセント硬貨を使えば良い。
が、私のこうした小賢しさが子に報いたか、ぴーぽこはこんな事を云い出した。
「う〜ん、石もいいけど…今度はお金になってて欲しいなぁ…。それも、外国のじゃなくて、日本の」
流石、ルビコン世代である。もうメルヘンに浸っていた幼児ではない、願いが現実味を帯びてきている。コイツ、大人になって俄に大金など手に入れようものなら、総金歯にでもするんじゃなかろか。
抜けた乳歯を後生大事にティッシュでくるみ、それがゼニになることを夢見て枕元に置くぴーぽこ。そんな銭の亡者の姿を見つつ、私の中の妖精的要素が一計を案じた。
さて、ここで「こびとさん」について考察したい。
東洋でも「地水火風」と云うが、西洋でもこの世を構成している要素を「土、水、風(空気)、火(熱)」の四大元素として分類していた。人智学で「土」と云うとき、それは単なる土くれだけを指すのではなく、「固体」全体を意味する。
土の要素は形成、凝固、硬化等の性質を持っており、人体でも歯はとりわけ土の要素が強いと云える。
この「土」の要素を持つ元素存在を、シュタイナーはパラケルススの分類を踏襲して、「グノーム」と呼ぶ。(『固体』を全て『土』と呼ぶ様に、土的要素を持つ妖精たちを総称して『グノーム』と呼んでいると思われる)
シュタイナーは「小人のように、注意しろ」というドイツの古い諺を引用し、この「小人」とは「グノーム」に他ならない、と述べている。昔話や伝説に登場する小人は、概ねグノームの性質を表現しているのではないだろうか。
「小人」と云えば働き者で、物作りが得意な者が多い。夜中に職人の仕事を手伝う小人の話は有名である。また、北欧神話の女神・フレイヤが身に付けているブリシンガメンという美しい首飾りも、四人の小人によって製作されたものだ。
こうした話は、小人が土の特質である「形成」や「硬化」の特質を有していることを表しているのではないか。
また、レプラホーンという種類の小人などは靴職人で、金持ちだと云われる。エーテル存在の妖精がお金など持っていても仕方がなかろう。尤もレプラホーンは、使う為にお金を集めるというより、お金そのものを収集し、貯めておくことに関心があるようだ。コレクターかっての。そもそも何故妖精なのに「お金」に執着するのか。「硬化」だけに「硬貨」って、駄洒落か?
まぁ、お金というものは、「価値」とかそういった概念を固体化したものとも云えるから、人間界のお金の発生時に、レプラホーンが関与していたのかも知れない。
ともかく、小人は物を「形成」するのが得意な者が多い。白雪姫の周りでご陽気に「ハイホーハイホー」歌っているだけの存在ではないのである。
これら元素存在たちが、動・植物や人間にどのように関与しているとシュタイナーは述べているか。それについてはまた改めて紹介するとして。
こびとさんが土の元素霊・グノームに属する者だとするなら、ぴーぽこの「日本のお金になって欲しい」という願いを叶えるお膳立ては既に整っているというわけだ。
形成、硬化を得意とするグノームにとって、乳歯を天然石やコインに変えるなど朝飯前、とりわけレプラホーンに至っては、しこたま金貨を貯め込んでいるときた。彼に頼めば銭コレクションの中から一枚ぐらい分けてくれるかもしれない。
ただ、グノームに限らず多くの妖精に共通する特徴、それは悪戯好きだということだ。
翌朝、枕元のティッシュの中身が、コイン状に変化している事に気付いたぴーぽこ、嬉々としてテッシュを広げる。中から出てきたものは…。
寛永通宝
である。間違いなく、「日本のお金」だ。
ただし、昔の。
実は私が大学時代、歴史マニアの後輩から、どこぞかの旅行土産として貰っていた寛永銭を、引き出しの奥に仕舞っていたのだ。
ぴ:「これ…なに?」
私:「お金だねぇ…。日本の!良かったじゃん、こびとさんが『日本のお金』って願いを叶えてくれたよ!」
「これ、使えるのかなぁ?」
「使えないねぇ、昔のお金だから」
こびとさんが願いを聞き届けてくれたことへの喜びと、それが使えないと知った落胆とで、「はぁ〜〜・・・」と、ぴーぽこは笑いつつ溜め息。
「今度は『使える日本のお金』ってお願いしよう」
懲りないな、オマエも!
そんなぴーぽこに、こう云っておいた。
「きっとこびとさんは、折角のぴーぽこへの贈り物を、大事にとっておいてほしかったんじゃないかなぁ。お金は使えば無くなっちゃうし」
ぴーぽこは納得した様子で、寛永通宝を、これまで歯から変化した天然石と一緒に並べる。
ぴーぽこよ、その寛永銭は大事にとっておくがよい、レプラホーンの様に。
寛永銭では何も買ンえーせん。
・・・え!?駄洒落オチ!?
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お祈りロック
元「ボ・ガンボス」のVo・どんとの急逝以来の衝撃だったのが、忌野清志郎の訃報であった。
仕事中、彼のアルバムを聴きまくりたい衝動にかられたが、問題がある。
ゴールデンウィーク中なので、小三の娘・ぴーぽこ(仮名)が、日がな家にいるのである。決して広くはないアパート、私が聴くということは、必然的にぴーぽこにも聞こえる、ということだ。
シュタイナー教育においては、子供(特に幼児)には、極力デジタルな音を聞かせないように配慮するのだが、問題はそれではない。いや、それも無論配慮すべき問題ではあるのだが、私にとっての問題は、「子供にロックを聴かせたくない」という事だ。
ロックを有害視しているのではなく、子供にはしかるべき年代に、自らロックと出会って欲しいからである。そもそもロックは親から与えられるものではないし、ぴーぽこの年にロックなど猫に小判、勿体無いというものだ。
が、杓子定規に構えても仕方がない。常日頃聴かせる訳ではない、故人を偲んで、その人が残した音楽を聴く、特別な日があっても良いのではないか。
ただ、もう一つの問題は、清志郎の歌詞に時折見られる、アダルトな比喩である。
どこかの地方に伝わる歌でも、「きのう父ちゃんと寝たときに ヘンなところにイモがある」などというのがあるが、この「イモ」が何の比喩か・・・って、清志郎の歌を猥歌と一緒にするなっての!
だが、ここまで下世話ではないが、彼の歌詞にこうした表現が散見されるのは事実である。
例えばRCサクセション「雨上がりの夜空に」の、「エンジン」や「バッテリー」、「ポンコツ」などは何の比喩なのか。
また、HIS「スキー・スキー(スキーなの)」の、「あなたの板」、「私の丘」とは?
RC「スカイ・パイロット」に至っては、「おまえのGスポット」って、ド直球。
だが、清志郎の歌が聴きたい、今すぐに!
いいや、もしぴーぽこに何か聞かれたら、
「『雨上がりの夜空に』はクルマの歌!『スキー・スキー』はスキーの歌!『スカイ・パイロット』はヒコーキの歌!!」
と答えることにして、所蔵している清志郎関係のCD、MDをかき集める。
さて、私は忌野清志郎のファンではない。
彼以上に影響を受けたアーティストは何人もいるし、MDも含めて持っているアルバムは6枚やそこらである。こんな私が「ファン」を名乗ったら、本当のファンに失礼というものだ。
だが、改めて彼のアルバムを聴いてみると、思っていた以上に彼の歌が自分に浸透していた事に、改めて気付かされた。
例えば、妻・みぽちがコーヒーを淹れてくれる度に、「君が僕を知ってる」が、頭の中で流れていた。
原発関係のニュースや話題に接すると、「サマータイム・ブルース」が、第二次大戦や核の話題では「LONG TIME AGO」(タイマーズ)が流れた。
優等生を演じていた高校時代に出来なかった事を「トランジスタ・ラジオ」で追体験したり。
自分が世界から孤立し、誰からも理解を得られないと感じていた日々、「わかってもらえるさ」に支えられたり。
飲み会でジン・ライムを頼む時、必ず「雨上がりの〜」が流れた、って、これはピン・ポイントすぎる例だっての。こんな細かいことまで云い出せば、それこそ枚挙に暇がない。
持っているアルバムこそ少なかったが、それら数枚のアルバムを、何度も繰り返し聴いていた。そして、それら清志郎の歌詞やリズムの一部は、私に浸透していたのである。
シュタイナー学校では、朝の詩を唱えてから学びが始まる。また、私はぴーぽこを寝かしつける時、シュタイナーのお祈りのことば(『夜のお祈り』、『こどものためのお祈りのことば』等)を毎晩繰り返し、一緒に唱えている。こうした「光」と「愛」に包まれた言葉を繰り返すことで、それらが子供のエーテル体に浸透し、成人後の力になるのだろう。
そうした詩や祈りの言葉に出会わなかった私にとっては、様々なロックが、私の力となっていた。
シュタイナーは音楽を、調和の「アポロン的」なものと、熱狂の「ディオニュソス的」なものとに大きく分類していたそうだ。簡単に云うと、前者の代表がクラシック、後者がロックなのだとか。(無論シュタイナーの存命時には『ロック』は無く、現代の視点での解釈である)
更に云えば、シュタイナーの詩や祈りなどは「アポロン的」、ロックの歌詞は「ディオニュソス的」とも云えるかも知れない。
ところで、私にとって「ロック」とは何ぞや。
ロックを定義付けする時点でその態度は既にロックではないが、敢えて云うなら、私にとっては「再構築への欲求を秘めた破壊衝動」である。
破壊にはディオニュソス(酒、演劇、豊穣の神)の熱狂が伴う。そこに再構築の光や予感がなければ、その熱狂はルツィフェル(ルシファー。退廃、迷妄等に誘う悪魔)的なものに陥るのではないだろうか。
さて、清志郎の音楽を聴いたぴーぽこの反応。
流石に冒頭で挙げた、アダルトな比喩に関しては完全スルーで、HISの「渡り鳥」に羅列された鳥の名前を、いちいちメモし出す。まぁ、子供の反応としてはそんなものか。
だが、相手はルビコン世代の子供である、客観的な視点も育っている。
同じくHISの、「おやすみ もうすぐ逢える」という曲。おそらく遠距離恋愛でもあろうか、夜、恋人同士の夢が、開いた窓から抜け出して互いの部屋に行き来できるように、窓の鍵をかけずに眠る、といった内容の、浪漫溢れる名曲である。この歌を聴いたぴーぽこ、しかつめらしい顔で云った。
「・・・でも、それじゃぁ泥棒も入ってくるよね」
いや、お説御尤もではあるが。
この身も蓋も無い破壊力。オマエが、ロック。
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仕事中、彼のアルバムを聴きまくりたい衝動にかられたが、問題がある。
ゴールデンウィーク中なので、小三の娘・ぴーぽこ(仮名)が、日がな家にいるのである。決して広くはないアパート、私が聴くということは、必然的にぴーぽこにも聞こえる、ということだ。
シュタイナー教育においては、子供(特に幼児)には、極力デジタルな音を聞かせないように配慮するのだが、問題はそれではない。いや、それも無論配慮すべき問題ではあるのだが、私にとっての問題は、「子供にロックを聴かせたくない」という事だ。
ロックを有害視しているのではなく、子供にはしかるべき年代に、自らロックと出会って欲しいからである。そもそもロックは親から与えられるものではないし、ぴーぽこの年にロックなど猫に小判、勿体無いというものだ。
が、杓子定規に構えても仕方がない。常日頃聴かせる訳ではない、故人を偲んで、その人が残した音楽を聴く、特別な日があっても良いのではないか。
ただ、もう一つの問題は、清志郎の歌詞に時折見られる、アダルトな比喩である。
どこかの地方に伝わる歌でも、「きのう父ちゃんと寝たときに ヘンなところにイモがある」などというのがあるが、この「イモ」が何の比喩か・・・って、清志郎の歌を猥歌と一緒にするなっての!
だが、ここまで下世話ではないが、彼の歌詞にこうした表現が散見されるのは事実である。
例えばRCサクセション「雨上がりの夜空に」の、「エンジン」や「バッテリー」、「ポンコツ」などは何の比喩なのか。
また、HIS「スキー・スキー(スキーなの)」の、「あなたの板」、「私の丘」とは?
RC「スカイ・パイロット」に至っては、「おまえのGスポット」って、ド直球。
だが、清志郎の歌が聴きたい、今すぐに!
いいや、もしぴーぽこに何か聞かれたら、
「『雨上がりの夜空に』はクルマの歌!『スキー・スキー』はスキーの歌!『スカイ・パイロット』はヒコーキの歌!!」
と答えることにして、所蔵している清志郎関係のCD、MDをかき集める。
さて、私は忌野清志郎のファンではない。
彼以上に影響を受けたアーティストは何人もいるし、MDも含めて持っているアルバムは6枚やそこらである。こんな私が「ファン」を名乗ったら、本当のファンに失礼というものだ。
だが、改めて彼のアルバムを聴いてみると、思っていた以上に彼の歌が自分に浸透していた事に、改めて気付かされた。
例えば、妻・みぽちがコーヒーを淹れてくれる度に、「君が僕を知ってる」が、頭の中で流れていた。
原発関係のニュースや話題に接すると、「サマータイム・ブルース」が、第二次大戦や核の話題では「LONG TIME AGO」(タイマーズ)が流れた。
優等生を演じていた高校時代に出来なかった事を「トランジスタ・ラジオ」で追体験したり。
自分が世界から孤立し、誰からも理解を得られないと感じていた日々、「わかってもらえるさ」に支えられたり。
飲み会でジン・ライムを頼む時、必ず「雨上がりの〜」が流れた、って、これはピン・ポイントすぎる例だっての。こんな細かいことまで云い出せば、それこそ枚挙に暇がない。
持っているアルバムこそ少なかったが、それら数枚のアルバムを、何度も繰り返し聴いていた。そして、それら清志郎の歌詞やリズムの一部は、私に浸透していたのである。
シュタイナー学校では、朝の詩を唱えてから学びが始まる。また、私はぴーぽこを寝かしつける時、シュタイナーのお祈りのことば(『夜のお祈り』、『こどものためのお祈りのことば』等)を毎晩繰り返し、一緒に唱えている。こうした「光」と「愛」に包まれた言葉を繰り返すことで、それらが子供のエーテル体に浸透し、成人後の力になるのだろう。
そうした詩や祈りの言葉に出会わなかった私にとっては、様々なロックが、私の力となっていた。
シュタイナーは音楽を、調和の「アポロン的」なものと、熱狂の「ディオニュソス的」なものとに大きく分類していたそうだ。簡単に云うと、前者の代表がクラシック、後者がロックなのだとか。(無論シュタイナーの存命時には『ロック』は無く、現代の視点での解釈である)
更に云えば、シュタイナーの詩や祈りなどは「アポロン的」、ロックの歌詞は「ディオニュソス的」とも云えるかも知れない。
ところで、私にとって「ロック」とは何ぞや。
ロックを定義付けする時点でその態度は既にロックではないが、敢えて云うなら、私にとっては「再構築への欲求を秘めた破壊衝動」である。
破壊にはディオニュソス(酒、演劇、豊穣の神)の熱狂が伴う。そこに再構築の光や予感がなければ、その熱狂はルツィフェル(ルシファー。退廃、迷妄等に誘う悪魔)的なものに陥るのではないだろうか。
さて、清志郎の音楽を聴いたぴーぽこの反応。
流石に冒頭で挙げた、アダルトな比喩に関しては完全スルーで、HISの「渡り鳥」に羅列された鳥の名前を、いちいちメモし出す。まぁ、子供の反応としてはそんなものか。
だが、相手はルビコン世代の子供である、客観的な視点も育っている。
同じくHISの、「おやすみ もうすぐ逢える」という曲。おそらく遠距離恋愛でもあろうか、夜、恋人同士の夢が、開いた窓から抜け出して互いの部屋に行き来できるように、窓の鍵をかけずに眠る、といった内容の、浪漫溢れる名曲である。この歌を聴いたぴーぽこ、しかつめらしい顔で云った。
「・・・でも、それじゃぁ泥棒も入ってくるよね」
いや、お説御尤もではあるが。
この身も蓋も無い破壊力。オマエが、ロック。
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ルビコン目前雛祭り
我が家の桃の節句では、「雛人形を飾る」のではない。
「お雛様がやって来る」のである。
娘・ぴーぽこ(仮名)が幼稚園児だった頃。ぴーぽこが幼稚園に行っている間に、雛人形を設置する。帰宅したぴーぽこは、それを見て、
「今年もお雛様が来てくれた」
と、喜んだものだ。
そして桃の節句が過ぎたある日、ぴーぽこの留守中に雛人形を撤収する。
お客様として我が家に滞在してくれていたお雛様が、「おひなさまのくに」に帰って行ったのだ。
七歳までの子供は、周囲の世界と繋がりを持っている。そうした幼児期に、メルヘンの働きかけが重要であるとするのが、シュタイナー教育の特徴の一つであろう。
ゆっくりと目覚める子供達は、七歳以降もメルヘンの力が作用する。世界との繋がりが、まだ保たれているからだろう。
それが劇的に変化するのが、小三の九歳前後、シュタイナー教育で云う「ルビコン世代」である。
自分と世界との距離が出来るのだ。例えば両親に対して批判的になったり、教師に対して、尊敬と同時に客観的な視点を持つようになったりする。
「あんなに素直で可愛かったウチの子が、すっかり生意気になっちゃって・・・」
などという事態が起こるのが、概ねこのルビコン世代なのだ。
それまでメルヘンの世界とも繋がり、「こびとさん」を素直に信じていた子供達が、
「こびとさんなんて居ないよ!」
と云い出すようになるのも、この世代の特徴の一つだ。何人かの上級生母に、お子さんがいつぐらいからこびとなどの存在を否定し出したかと聞いてみたところ、ほぼ例外無く帰って来た答えが「三年生」であった。
さて、八歳のぴーぽこにも、徐々にルビコンの陰が見え隠れするようになってきている。
今年の桃の節句も、ぴーぽこが学校に行っている間に雛人形を設置。まだメルヘンが作用しているぴーぽこは、依然、お雛様が「おひなさまのくに」から来ていると思っている。
が、ルビコン近し、である。
「うちに来てるお雛様も、作った物なのかなぁ?」
と云い出した。数日前、デパートでひな祭りフェアが開催されていたのだが、人形師の方が公開で雛人形を作っていた。それを見ていたぴーぽこ、何か思うところがあったのだろう、数日を経てこのような問いが出たのだ。
その問いに対する私の返答、
「さぁ・・・どうなんだろうねぇ・・・」
って、完全に受け身を取り損なってるっての!
ぴーぽこもそれ以上は何も云わなかったが、別にぴーぽこが生き続ける限り、未来永劫騙し通すつもりも無い。娘が二十歳を過ぎても父娘で「おひなさまのくに」云々といったやりとりを大真面目に繰り返していたら、それは不気味な一家でしかない。
この例の様に、子供の外的な体験と内的な成長により、子供はそれまでの世界から別の世界へと住処を変える様に見える。人類の祖が、楽園を後にする事と引き換えに、知恵や自由を獲得したという、有名な創世記のエピソードを連想してしまう。
ルビコン世代とは、大袈裟でなく、子供の内面にとって、このアダムとエヴァの楽園追放に匹敵する位の変化なのではないかと思える。
さて、今年の我が家、お雛様を迎えるに当たって、例年に無い問題が浮上していた。
それは、昨年より家族に加わったサザナミインコのるーたん(仮名)、

及び、ジャンボセキセイのしーたん(仮名)

の存在である。
一日数時間の放鳥タイム、目を離している間にお雛様を齧ったり、フンまみれにするであろうことは、火を見るより明らかだ。
そこで苦肉の策に出た。鳥達が小屋に入っている時は、普通に飾っておく。

が、放鳥時には、周囲をぐるりと布で覆う。

もう、何だか得体の知れない空間である。
ルビコン目前のぴーぽこだが、まだ周囲の世界、インコ達とも繋がりを保っている。
放鳥の度にお雛様が隠れてしまうことにいささか不満気なぴーぽこ、こう提案してきた。
「そんなこと(布で覆う)しなくても、
『たちいりきんし』
って書いて貼っておけばいいんだよ!」
ぴーぽこよ・・・残念なことには、オマエと違って鳥は字が読めないので、それはインコ対策にはなり得ないのだよ。
オマエ対策をしてどうする。
〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜
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廉価本・「豊臣秀吉勇将録」(リイド社)に、「脇坂安治」「播磨軍記」の2編収録。
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「お雛様がやって来る」のである。
娘・ぴーぽこ(仮名)が幼稚園児だった頃。ぴーぽこが幼稚園に行っている間に、雛人形を設置する。帰宅したぴーぽこは、それを見て、
「今年もお雛様が来てくれた」
と、喜んだものだ。
そして桃の節句が過ぎたある日、ぴーぽこの留守中に雛人形を撤収する。
お客様として我が家に滞在してくれていたお雛様が、「おひなさまのくに」に帰って行ったのだ。
七歳までの子供は、周囲の世界と繋がりを持っている。そうした幼児期に、メルヘンの働きかけが重要であるとするのが、シュタイナー教育の特徴の一つであろう。
ゆっくりと目覚める子供達は、七歳以降もメルヘンの力が作用する。世界との繋がりが、まだ保たれているからだろう。
それが劇的に変化するのが、小三の九歳前後、シュタイナー教育で云う「ルビコン世代」である。
自分と世界との距離が出来るのだ。例えば両親に対して批判的になったり、教師に対して、尊敬と同時に客観的な視点を持つようになったりする。
「あんなに素直で可愛かったウチの子が、すっかり生意気になっちゃって・・・」
などという事態が起こるのが、概ねこのルビコン世代なのだ。
それまでメルヘンの世界とも繋がり、「こびとさん」を素直に信じていた子供達が、
「こびとさんなんて居ないよ!」
と云い出すようになるのも、この世代の特徴の一つだ。何人かの上級生母に、お子さんがいつぐらいからこびとなどの存在を否定し出したかと聞いてみたところ、ほぼ例外無く帰って来た答えが「三年生」であった。
さて、八歳のぴーぽこにも、徐々にルビコンの陰が見え隠れするようになってきている。
今年の桃の節句も、ぴーぽこが学校に行っている間に雛人形を設置。まだメルヘンが作用しているぴーぽこは、依然、お雛様が「おひなさまのくに」から来ていると思っている。
が、ルビコン近し、である。
「うちに来てるお雛様も、作った物なのかなぁ?」
と云い出した。数日前、デパートでひな祭りフェアが開催されていたのだが、人形師の方が公開で雛人形を作っていた。それを見ていたぴーぽこ、何か思うところがあったのだろう、数日を経てこのような問いが出たのだ。
その問いに対する私の返答、
「さぁ・・・どうなんだろうねぇ・・・」
って、完全に受け身を取り損なってるっての!
ぴーぽこもそれ以上は何も云わなかったが、別にぴーぽこが生き続ける限り、未来永劫騙し通すつもりも無い。娘が二十歳を過ぎても父娘で「おひなさまのくに」云々といったやりとりを大真面目に繰り返していたら、それは不気味な一家でしかない。
この例の様に、子供の外的な体験と内的な成長により、子供はそれまでの世界から別の世界へと住処を変える様に見える。人類の祖が、楽園を後にする事と引き換えに、知恵や自由を獲得したという、有名な創世記のエピソードを連想してしまう。
ルビコン世代とは、大袈裟でなく、子供の内面にとって、このアダムとエヴァの楽園追放に匹敵する位の変化なのではないかと思える。
さて、今年の我が家、お雛様を迎えるに当たって、例年に無い問題が浮上していた。
それは、昨年より家族に加わったサザナミインコのるーたん(仮名)、

及び、ジャンボセキセイのしーたん(仮名)

の存在である。
一日数時間の放鳥タイム、目を離している間にお雛様を齧ったり、フンまみれにするであろうことは、火を見るより明らかだ。
そこで苦肉の策に出た。鳥達が小屋に入っている時は、普通に飾っておく。

が、放鳥時には、周囲をぐるりと布で覆う。

もう、何だか得体の知れない空間である。
ルビコン目前のぴーぽこだが、まだ周囲の世界、インコ達とも繋がりを保っている。
放鳥の度にお雛様が隠れてしまうことにいささか不満気なぴーぽこ、こう提案してきた。
「そんなこと(布で覆う)しなくても、
『たちいりきんし』
って書いて貼っておけばいいんだよ!」
ぴーぽこよ・・・残念なことには、オマエと違って鳥は字が読めないので、それはインコ対策にはなり得ないのだよ。
オマエ対策をしてどうする。
〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜σ.σ〜〜〜〜〜
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