シュタイナー学校の授業

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  2. 2008/07/28 農業体験・九年生篇
  3. 2008/07/05 「12」は不思議な数!
  4. 2008/07/04 体験授業・倍数リズム
  5. 2008/06/25 教壇にて亀を語る
  6. 2008/06/20 掛け算は芸術的に
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農業体験・九年生篇

シュタイナー学校では高等部に入ると、様々な職業実習カリキュラムが組まれる。
西洋の伝統あるシュタイナー・スクールのそうしたカリキュラムにはまだ及ばないまでも、我がシュタイナー学校は特に農業に力を注いでいる。

それには農学校で教鞭を執っていた宮澤賢治の教育理念の影響も大きい。
過去にも記事に書いたが、青梅に田畑を借りて自然農を実践したり、決して広くはない校庭を工夫して、各学年、常日頃から畑を作ったりしている。

そうした中、今年は高等部の九年生達が、宮崎県綾町の自然農実践場に、農業実習に行って来た。

その期間、二週間

羽化後の蝉の半生・二匹分である。(実際は、羽化後の蝉は一週間ではなく、一ヶ月近く生きるらしい、って、余談)

その間、農家に宿泊し、早朝から日の暮れるまで、農作業に従事する。大自然に囲まれてのこうした体験は、生徒達の内面に大きな影響を及ぼしたようだ。

二年生の我が娘・ぴーぽこ(仮名)は、無邪気に園芸や農作業を楽しんでいるが、九年生にもなると、自分達の学びを客観視出来るまでに成長している。この学校が、文部科学省管轄下の一般の学校に比べていかに珍妙なのかを、ちゃんと熟知しているのだ。
中にはこうした土いじりがさほど好きではない生徒も何人かおり、わざわざ青梅にまで出向いて田植えなどするのも、

「この(風変わりな)学校だから、仕方がない」

と諦念、軽くやっつけ仕事気味にこなしていたそうだ。
それが、この体験で意識が変化した、と、農業実習報告会で語っていた。

それぞれが名状し難い感動を得たであろう事は、向こうでの様子を報告・発表する生徒達一人一人の語り口調や目の輝きから明らかだ。
中には、将来何らかの形で農業に携わりたい、との衝動を得た生徒もいた。

思えば大自然の中で農業をして暮らすのは日本人の原風景、それを感性鋭い思春期にじっくり体験した事や、現地で農業を行っている大人達の、誇り高い勇姿も、大きな影響を与えたのではないだろうか。

実習を終え、久々に東京に戻った彼らは、視界の至る所に人工物が見える事に違和感を覚えたと云うのだから、いかに現地が自然豊かな場所で、彼等がその自然に包まれる体験をしてきたかが分かろうというものだ。

自然農は、農薬を使用しない。生徒の一人・かま猫くん(仮名)は、害虫を駆除しつつ、カマキリや蜘蛛等、害虫を捕食する生き物の存在が、農業の強い味方と感じたようだ。そこに、自然と人間の共存、つながりを見たのではあるまいか。

同様に害虫駆除を行ったカッコウさん(仮名)は、虫が苦手。害虫駆除など荒行も同然だったろう。嫌いな毛虫をちまちまと駆除しつつ、農薬について思うところがあったそうだ。

確かに農薬を散布すれば、そんな薄気味悪い連中を一匹一匹相手にせずに済む。
が、容易にそれを行う事で、人体は無論、生態系にどんな影響を及ぼすのか、改めて思いを馳せたそうだ。

話を聞きつつ、思い出す。
母方の実家は農家で、私が幼少の砌、伯父の家に遊びに行くたび、田んぼで蛙やオタマジャクシ、ドジョウやヤゴに、タガメやゲンゴロウ等を捕って遊んでいたものだ。
数年前、久々に伯父の許を訪れた。懐かしさに駆られ、蛙でも捕ろうと、田んぼへ出る。

晩秋とはいえ、まだ蝉の声響く南国。以前は、少し歩くたびにバッタやらの虫やアカガエル等がぴょいぴょい飛び出したものだ。が、そこには蛙はおろか、虫さえまばらで、生き物の気配が薄い。
以前は泥をざっとザルで掬うだけで、必ず捕れていたドジョウ達は、今はどうなっているのだろう?

伯父に聞くと、

「・・・そういえば最近、ドジョウもおらんごと(いなく)なったなぁ・・・」
・・・って、「そういえば」じゃないっての!明らかに農薬の影響でしょうに!
が、素朴で善良な伯父は、それをさほど問題視していない。それより稲の収穫量が収入を大きく左右する為、生活の為に農薬を散布する。
それが、水稲栽培発祥以来共存し続けてきた田んぼの生態系を大きく崩し、果ては土壌そのものも汚染している事には関心を払わない。
いや、分かっていても農薬を使わざるを得ない農家も多いだろう。

効率や結果重視の社会、虫食いの無い、見た目の良い作物を選ぶ消費者、その他、「農薬」から色々な事が浮き彫りになってくる。

報告会終了後、何人かの生徒に、発表の感想と共に上記の事をかいつまんで話した。
にこにこと話を聞いていたカッコウさん、話が「子供の頃、よく田んぼで蛙を捕っていた」というくだりで、微妙に笑顔をひきつらせ、

 「えェッ!?」

と、二、三歩後退、文字通り、引く。虫嫌いの彼女、どうやら蛙も苦手らしい。
それにしても、あたかも「私の正体、実は蛙なんです」と聞かされたかの如きリアクション。

もし私が、悪い魔女の魔法で蛙の姿にされたなら。

彼女に「魔法を解いて!」とは、申し訳なくてとても頼めない。



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「12」は不思議な数!

前回紹介した、シュタイナー学校の体験授業の続きである。
後半は、三年生の、九九を覚えてからの取り組みを体験した。

まず、3、4人ずつ、9のグループに分かれ、各1~9の数が割り振られる。

私は「2」のグループ、妻・みぽちは「9」グループ。
「2」と「9」と云うと遠過ぎる様だが、輪になっているので、「9」、「1」を挟んで、「2」、という並び。

この微妙な距離感。あたかも我等の夫婦関係を象徴している様である。

さて、「1」のグループは、打楽器でメトロノームの様にコッ、コッ、コッ・・・と、リズムを刻んでゆく。
そのリズムに合わせ、各グループの数の倍数を、手を叩きながら唱えてゆく。

例えばこういう風に。以下、「コッ、コッ、コッ」というリズムを「 ・ ・ ・ 」と表現する。
」のグループなら「 ・ ・  ・ ・  ・ ・  …」、
」のグループなら「 ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ 10 …」。

次に、それを何グループかで同時にやる。例えば「」と「」のグループが同時にやると、こんな風になる。

「 ・ ・  ・   ・ ・  10 ・ 12 ・ ・ 15 …」

公倍数の「15」では、両グループから同時に声が上がる。

最終的に、これを全グループが同時に、81までやるのだ。

「2」の段の私、リズム感もまぁまぁある方なので、ノリノリでリズム・キープ的に、

「 ・ 2! ・ 4! ・ 6! …」

とやっていたが、全員でやると、「… 9 10 ・ 12 ・ 14 …」という具合に、どの倍数でもない「11」や「13」等の素数ではどこからも声が上がらないので、一瞬調子が狂う。

また、「7」、「8」、「9」辺りのグループは、出番が少ない代わりにリズムに乗りにくいので、苦戦している。
「9」グループの妻・みぽちは、やる気があるのか無いのか判然とせぬ面持ちである。後で聞くと、

「必死だった。でも暑いから、早く帰りたかった」

・・・って、本当にやる気があるのか無いのか

分からない奴だな!


「あ~、でも途中で法則を発見してからは楽だった」

つまり、9の倍数は、「、1、2、3…」と、下一桁が一目下がりになるのだ。

完全リズム無用!小賢しきこと山の如し、である。

この取り組みは、以前、学習発表会で三年生がやっているのを見たが、実際自分達でやってみると結構難しく、適度な緊張感と集中力を要し、なかなか面白かった。

思うに、これは高学年の数学にも繋がって行くのではないだろうか。

11、13、17等の、どのグループからも声が上がらない「寂しい数」は、「素数」。
一方、2グループ以上から同時に声が上がる数は、「公倍数」。

無論、素数や公倍数を学ぶ時、直接的にこの体験を思い出しはしないだろう。が、心の奥底でこの時のリズムと結びつき、素数や公倍数といった概念がスーッと体に浸透してくるのではないだろうか。

シュタイナー教育では、こうした、「表面的には忘れても、心の奥で、過去に学んだ様々な事が、互いに結びついてゆく」という事が多い。綿密に伏線が張られたドラマの様である。

因みに、この取り組みをやってみて気付いたのは、公倍数の中でも24(2、3、4、6、8の公倍数)、36(2、3、4、6、9の公倍数)等、多くのチームから同時に声が上がった数が幾つかあったが、それらは「12」の倍数なのだ。

学習発表会で、四年生が「12は不思議な数」という算数の詩を諳んじていたが、確かにそうである。

1年は12ヶ月。十二支に12星座(『へびつかい座』は、無視!)。
十二神将(宮毘羅、伐折羅他)十二(梵天、帝釈天、閻魔天他)、オリュンポスの12(ゼウス、アテナ、アルテミス他)12使徒(マタイ、ヨハネ、ユダ他)等、洋の東西を問わず「12」という数をよく目にする。

また、一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒。
人間の平均的体温は36度台、平均心拍数は72
除夜の鐘で消し去る煩悩の数は百八
これらの数は、12の倍数。1ダースも12で1単位。

更に十二因縁、十二運、ホロスコープの12宮。十二単に冠位十二階、古代ローマの12表法。二十四節気、武田二十四将、三十六計、三十六歌仙等、倍数まで合わせると枚挙に暇がない。
してみると、「12」という数は、何か人間にとって密接なリズムなのではなかろうか。

シュタイナーは「数」が象徴する意味についても言及している。それによると、「2」は「開示」の象徴、その背後の一元性と「開示」の二元性とを結ぶのが「3」、「4」は「創造」の象徴なのだとか。

してみると、それらを内包する「12」という数は、
「二元性による『開示』と、その背後の一元的な働きとを統合し、三元性を見出し、それを宇宙的創造へと導き、発展させる数」
と云えるのではないだろうか。
・・・って、いかにも難しい考察をしたかの様に書いてみたが、なんのことはない、それぞれの意味をそれらしくつなぎ合わせただけである。

・・・もういいや、12は不思議な数って事で。

そういえば相撲の四十八手も12の倍数だ。
性戯にも四十八手があるが、誰が、何の為に性戯の体位を四十八種類にまで分類したのか。然も「ひよどりごえ」と「田植えどり」、「出船後とり」などは似たような体位で、わざわざ三つに分類する意味が解らない。
ただ、相撲には「神に奉納する神事」「興行」、性交には「子作り」「肉体的享楽」という、「神聖さ」「俗っぽさ」の両側面がある点は共通している。

ふと、なぞかけを思い付く。
「お相撲とかけまして、性交と解きます。え~、そのこころは。二人が裸で取り組みます」
「山田くん。座布団全部持って行って!」

自分に駄目出し。



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体験授業・倍数リズム

前にシュタイナー教育での、掛け算の芸術性について触れたが、今回は「リズム」をテーマに、シュタイナー教育の掛け算を述べたい。

先日、学校で、親の為のシュタイナー教育・体験授業が催された。前に紹介した「倍数の円」も、この時描いたものだ。

この日は、子供達が日々行っている学びを親達が体験するとあって、朝から子供達も大はしゃぎだったそうだ。
授業終了後、娘・ぴーぽこ(仮名)も嬉しそうに、

「何やった?『3飛び』はやった?」

と聞いてきた。なんだ、「3飛び」って。あぁ、あれか。

皆で輪になり、数を数えながら歩く。この際、数は心の中で唱え、3の倍数の時だけ声を出し、同時にジャンプする。

・・「3!」・・「6!」・・「9!」・・「12!」・・

という具合に。
子供達には「3の倍数で飛ぶ」等と理論で教えるのではなく、あくまでリズムを通して、自然に行う。
全員のリズムが揃っていないと、ジャンプのタイミングがてんでバラバラになってしまうだろう。

例えば我々が子供時代に体験した、
「前へ~、進め!1・2!1・2!・・・ぜんた~い、止まれ!」ピシッ!
という軍隊名残りのやり方は、子供の体を縛る行為に他ならない。
一方、皆で呼吸を合わせるリズム遊びは、「調和」へと繋がるだろう。

さて、親達も実際にこのリズム遊びをやってみたが、私は調子に乗って、

(1、2、)「さ~ん!」 (4、5、)「ろ~く!」 ・・・

と思い切りジャンプしつつ唱えたので、終わった時には息を切らしていた。
子供達は、朝からこれをやり、そうしてエポック授業に入ってゆくというのだから、子供の体力恐るべし、である。

これが「3飛び」である。

また、同様に、

・「2!」・「4!」・「6!」・・・

と、2の倍数でパン、と手を叩きつつ唱える、というリズム遊びもやった。

シュタイナー教育は「リズム」を重視する。呼吸や脈、また、睡眠周期等、人間は「リズム」を内包した存在である。
頭だけで九九や計算式、公式を覚えるのではなく、体全体を使ったリズム遊びを通して、子供達は体中に「数」というものを染み込ませるのだ。
こうした倍数のリズム遊びが、掛け算に繋がってゆく。

以上は掛け算を導入する前から、日常のリズムの時間に行われている。

この後、体験授業は、掛け算をマスターした後の三年生が取り組んだ、非常に難易度が高く、また興味深い取り組みへと展開されてゆくのだが、これは次回、じっくり紹介したい。

ともかく、この様な「リズム」や、前に紹介した「芸術的」なやり方を通して掛け算を学んでいるぴーぽこは、相も変わらず、掛け算九九を楽しそうに暗誦している。前にも書いたが、私はこの九九の暗記が苦痛であった。

私が小学二年生の頃、算数の時間に教師が生徒全員起立させた事があった。
銘々、九九を暗誦せよ、と。九の段まで全て云い終わった者から、着席して良し、と。

すわ、えらい事になった。私はこの時、まだ七、八の段が曖昧であったのだ。
が、40人を超える生徒一人一人の暗誦が、正確かどうか聞き分けるのは、聖徳太子でも無理だろう。
私はボソボソと唱える振りをしてやり過ごそうとしたが、決して優等生ではなかった私、あまりに早く着席したら教師に怪しまれはしまいか。
かといって、遅すぎると人数が減り、一人一人の声が聞き分けられてしまう。怯えつつ、どうにか機を見計らって着席したものだった。

この事をぴーぽこの担任・ウール先生(仮名)に話したところ、

「二年生の頃ですよね・・・随分、気を遣わなくていいところに気を遣っていたんですね・・・」

その表情は、同情的ながら、安っぽい哀れみでは決してない。
私を見つめる眼差しは、私の心の奥、過去の、小学二年生の頃の私に向けられているような気さえする。

刹那、私の中の子供・・・インナーチャイルドが、「先生!」と叫んで彼女の胸に抱きついた、そんな思いであった。当時の私の心情に理解を示してくれた事で、当時受けた心の傷が、随分癒された思いである。

無論、実際に抱きついた訳ではない。そんな事をしてセクシャル・ハラスメントで訴えられでもしたら、勝訴できそうな気がしない。



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教壇にて亀を語る

或る朝、いつもの様に水撒き妖精としての仕事を果たし、畑の手入れをしていた七年生のポンパドールさんとボナパルトくん(いずれも仮名)に声をかける。

「ミミズはいませんか~?」

「あ、いますよ」

即答である。スコップで土を掘り起こすと、すぐにミミズが登場。流石は自然農、肥沃な土だ。

自分でミミズを所望しておきながら、私はそれを受け取りもせず、

「それ、亀にあげて貰えますか?」

とんだ意気地無しである。
いい歳をしてミミズを恐れる困った大人の頼みを快く引き受け、二人は四年生の教室の前で飼われているクサガメに、ミミズを与えた。クサガメは既に環境に慣れたのか、私や子供達が見守る中、美味しそうにミミズを食べた。

この亀が来たのは数日前。その日の朝もウンディーネ気取りで水撒きをしていたところ、四年生の教室の前に子供達が人垣を作っている。
何事かと思って見ると、コンテナの中に甲長20cmはあろうかというクサガメが泳いでいる。
四年生の鋳物師くん(仮名)が、登校途中捕らえてきたそうだ。

二年担任のウール先生(仮名)が「その亀、どうしたの?」と訊ねたところ、鋳物師くん答えて曰く、

「落ちてました」

って、誰がこんな大きな亀を落とすというのか。大きな亀をポケットやバッグに、ティッシュ感覚で携帯しているという話は、あまり聞かない。
おそらく川沿いの道を移動していた野生の亀だろう。

子供達に、これが「クサガメ」という亀である事やその名の由来、年輪からして10歳以上だろう、という話をしていると、四年生担任のジオード先生(仮名)、「詳しいですねぇ・・・」
幼少の砌から生き物が好きだった私、これまで色々な生き物を飼ってきた。無論、クサガメの飼育経験もある。

そういう次第で、ジオード先生の申し出により、急遽その直後の授業、「リズムの時間」を利用して、四年生の子供達に亀の飼い方についてレクチャーすることになった。それを踏まえて、この亀を飼育するかどうか決議するのだろう。子供達と車座に座り、亀語りを始めた。

「これは、爬虫類カメ目ヌマガメ科に属する、『クサガメ』という亀である」

こうした説明は、小学部の子供達には無用だ。こんな知識は高等部になってから、生物学の授業で学べばよい。
こういった学術的知識は、小学部の子供達にとっては冷たいものであり、生きた学びにはならない。
この時期は、実際に動物や植物に触れたり育てたり、観察や、大人から学術的ではない、興味深い生態等の話を聞く、所謂「直接体験」が重要である。
こうした体験を通して動植物に向けられた興味や愛、「不思議だ」と思う感覚が、高等部で学ぶ学術的、または解剖学的な生物学を、血が通った知識にしてゆくのだ。

私は無論、シュタイナー教師でもなければ、話す内容について何の下準備も無い。無いまま語りはじめたので、子供達が興味を掻き立てられる様な話は出来なかったが、それでも子供達は熱心に私の亀語りに耳を傾ける。

話は主に、飼い方についての心得や注意点を、私の体験を交えて語るものとなった。
餌はミミズや塩抜きしたニボシ。他にも色々あるが、子供達が自ら調べたり、実際に食べるかどうか与えてみて「食べた!」「食べなかった・・・」と一喜一憂する体験をして欲しいので、敢えて多くは教えない。ミミズとニボシ以外は、
「どんなものを食べるか、色々と試してみて下さい」
と語るに留めた。

他にも水の深さや、下に砂利を敷くと落ち着く事、水換えについて等のノウハウを教えたが、特に日光浴については、亀飼育の重要な事の一つだ。大き目の石や板等、亀が全身登って日の光に当たれる陸場と、暑くなりすぎない為の日陰を設け、亀が自由に体温調節出来るようにするのだ。

日光浴の重要性については、こうだ。

「亀やトカゲ等の爬虫類は変温動物である為、日光に当たる事によって体温を上昇させ、速やかな活動を促す。また、昼行性爬虫類の多くは、日光に含まれる紫外線を取り入れる事で、カルシウムを助けるビタミンD3を体内で形成する。これが不十分だと、骨代謝障害に陥る」

が、無論こんな説明は四年生には不要。とはいえ、

「亀さんは、お日様が微笑んでいると、嬉しくて元気になるのです。だから、亀さんはお日様の微笑を体中に浴びたくて、日向ぼっこをするのです」

という説明は、メルヘンの力が作用している一、二年生ぐらいならともかく、四年生にこう話しても納得しないのではないだろうか。結局、

「亀さんは太陽の光から生きる為の力を貰っているのです」

と説明する事で、日光浴の重要性を説いた。

一通り話した後で質問を受け付けたが、初めは無言で聞いていた子供達も次第に次々と質問を投げ掛ける。
中には私が色々な生き物を飼っている噂を伝え聞いている子もいて、「どんな生き物を飼っているんですか?」との質問が出た。

以前はフェレットやフルーツコウモリも飼っていたが、今飼っているのはイグアナ、イモリ、ドジョウ、カエル(ツチガエル、トウキョウダルマガエル)、アカミミガメ(ミドリガメ)、蛇(コーンスネーク)、と答えたのをきっかけに、ジオード先生が子供達一人一人順番に、それぞれどんな生き物を家で飼っているのかを発表させた。

何も飼っていない子もいるが、カブトムシ、クワガタムシからドジョウや亀、またウサギ等、それぞれのペットを順に披露してゆく。

最後にジオード先生がゆっくりと立ち上がり、穏やかな口調でのたまわく、

「先生の家で飼っているのは・・・

ゴキブリ・・・ナメクジ・・・ダンゴムシ・・・


・・・って、「巨人、大鵬、卵焼き」感覚で羅列しているが、それは「飼っている」んじゃなくて、

単にお宅に出没する生き物でしょう!?

ジオード先生が冗談や駄洒落が好きだ、という噂を忘れていた。突然の冗談に虚を突かれ、ツッコミも入れられず、子供達と苦笑するしかなかった。

・・・よもや彼は、それが云いたくて、子供達に一人ずつ飼っている生き物の発表をさせたのではあるまいか。
だとしたら、随分持って回った、長期展望の前フリである。




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掛け算は芸術的に

二年生になった娘・ぴーぽこ(仮名)、「数のエポック授業」で、本格的に掛け算が開始された。
家でも歩きながら、または風呂の中などで、「2×1が2、2×2が4・・・」と、暗算に余念が無い。然も、嬉々として取り組んでいる。

何がそんなに楽しいのか。私が子供の頃は掛け算九九をひたすらに暗記させられたもので、機械的な暗記に興味が持てなかった、と云うか、むしろ苦痛ですらあった。
そんな私からすると、この憎むべき掛け算九九を、我が娘が楽しそうに覚えている姿が不思議でならない。

それは無論、掛け算の授業が楽しいからに他ならない。
シュタイナー教育における掛け算の導入は、勿論ただの暗記とは違ったやり方で行われる。

一つは、リズム。これについてはまた改めて記事にする。

もう一つは、芸術的とも云えるアプローチである。
まずはこちらを御覧頂きたい。

かけざん 001
ぴーぽこのエポックノートより

シュタイナー教育ではお馴染みの、掛け算の円である。時間がある方は、是非筆記用具を御用意して、実際に描いて頂きたい。

まず、円を描き、それを10等分し、0~9の目盛りを付ける。
そして、0を起点に、2、4、6・・・と、掛け算の2の段を辿る。12、14、等、2桁の数については1の位を取る。そうすると、上図の様な5角形の図形が出来る。

同じ様に、また円を描き、今度は3、6、9、12(2)、15(5)・・・と、3の段を辿る。
そうやって、4の段、5の段・・・と、掛け算九九の格段を描くと、それぞれ美しい図形が出来上がる。
尤も5の段は、0と5を行ったり来たりするだけなので、丸の真ん中に縦線が入っただけ、という、天気記号の「晴れ」のマークの様な図形になるが、例えば4の段などはこの様な図形になる。

かけざん 002

これは先日学校で行われた、親の為のシュタイナー教育体験授業で私が描いたものだ。4の段は、この様に五芒星が現われる。

これら自体には、意味は無い。が、子供達は円の中に現出する図形に、単純に驚きや感動を覚える。
そして、それら図形の中に、様々な法則を発見する。
以下、それについて述べるが、実際にこれをやってみようと思っている方は、色文字部分を読み飛ばして頂きたい。

まず、九九の中には同じ図形になる組み合わせがある。

1、9の段が10角形。 2、8の段が5角形。 3、7の段が10芒星。 4、6の段が5芒星である。
が、それぞれ進む方向が違う。
分かり易い例として、1の段は勿論「1、2、3、4・・・8、9」と続く。
が、9の倍数を辿ると、「9、18(8)、27(7)、36(6)・・・」と、1の段と同じ図形を逆回転で辿るのだ。
これは、上記の各組み合わせ全てに云える。
つまり、丸に縦線の「5の段」を折り返しに、鏡写しの様に展開されてゆくのだ。

そして、それら組み合わせ(1・9、 2・8、 3・7、 4・6)を足すと、いずれも10になる。

また、これは私がやってみて気付いたのだが、奇数の組み合わせ、1・9が10角形、3・7が10芒星と、偶数的な図形になり、また逆に偶数は5角形等、奇数的な図形が描き出されるのも興味深い。


子供達はクレヨンでこれらの図形を描きながら、こうした事を発見してゆく。そして、数の世界の不思議さ、面白さ、法則を発見する喜び等を体験しつつ、「算数」を身に付けてゆく。

この倍数の図形を御存知なかった方や、知っているけど実際に描いた事がない方は、この機会に実際に描いてみる事をお勧めする。シャーペンやボールペンでも良いが、可能ならクレヨンか色鉛筆で、フリーハンドで描いてみると良いだろう。
お子さんが掛け算が苦手なら、一緒にやってみるのも楽しいだろう。(お子さんがまだ掛け算を習っていない場合や、お子さんがシュタイナー学校の二年生以下の場合は、お子さんと一緒にはやらない方が良いでしょう)

倍数と云えば、高校時代、倍数の見分け方というものを聞いた。
2桁以上の数を、1桁になるまで足し算する。つまり、81なら、

81→8+1=「

という具合に。

927なら 9+2+7=「18」→1+8=「」と、1桁にしてゆく。こうして1桁になった数が「」なら、それらは全て「9の倍数」なのだ。
同じ方法で、1桁になった数が「3・6・9」のいずれかなら、それは「3の倍数」である。

これは面白い、他の数でもこの様な見分け方はないか、と、色々試してみたところ、「見分け方」ではないが、一寸した法則性を発見した。それは「8の倍数」についてである。

8・16・24・32・40・48・56・64・72・80・・・

これを上記と同じやり方で1桁にしてゆくと、(16→1+6=『』、 64→6+4=10→1+0=『』等)

8・7・6・5・4・3・2・1・9・8・7・6・5・・・

と並んでゆくではないか!

「エウレーカ!我、発見せり!!」アルキメデス気取りで、早速翌日、クラスメートに披露した。
が、彼等のリアクションは、便所紙の様に薄い。曰く、

「・・・で、それが何の役に立つと?」

「そげん事しちょる間に、公式の一つでも暗記せぇば?」


私の世代は受験戦争全盛期。彼らをそんな世代の効率重視の申し子、と斬って捨てるのは簡単だが、今思えば、当時変わり者だった私を適当にあしらっていただけかも知れない。

・・・いや、「変わり者」なのは今でもそうか。


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