シュタイナー学校の日常

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ハロウィンの選択肢

日本でもすっかり定着した観のある、ハロウィン。
お馴染みのセリフ、「TRICK or TREAT!」、「お菓子くれなきゃ悪戯するぞ!」と意訳されているが、直訳すると「悪戯か、おもてなしか」といったところか。
普通はそこでお菓子をあげるわけだが、
「じゃあ、悪戯で」
と選択したなら、彼等はどんな悪戯をしでかしてくれるのだろう。

六年生のある女子生徒に聞いてみたところ、

「う~ん・・・ぶちます

って、それ悪戯か!?
悪戯と云えば、例えば靴の中にミミズを入れるとか、ウォシュレットの水勢・温度をこっそり「強」にしておくとか、食料品に異物を混入したり、刃物で刺して「ムシャクシャしてやった、相手は誰でもよかった」と供述してみるとか、って、途中から悪戯通り越して犯罪になってるっての。
ともかくこうしたネガティブなベクトルへの想像力は、豊かでなくて良し。

二年生の娘・ぴーぽこ(仮名)の学校でも、学童の子供達がハロウィンを企画し、ぴーぽこも何日も前から、
「うちは黒猫になるんだ」
「やっぱりコウモリになることにした」

などと楽しみにしていた。

こうした子供達の企画を学童教師や母達がサポートし、10月31日、ハロウィン当日を迎えた。

その日は月末、クラスの祭壇係の私は、放課後10月の祭壇を片付け、11月の祭壇をセットし、学童の手伝いに行った時には、既に仮装して校内を練り歩いた子供達が、おやつを食べるところであった。

コウモリに扮したぴーぽこの他にも、色々な動物や魔女に化けた女子達や、骸骨、騎士の男子達などが、声を揃えて

「トリック・オア・トリート!」

学童教師やサポートの母達の中にも、仮装をしている方々が。
特にカボチャ大王の学童教師・ドジョウ先生(仮名)や、魔女に扮したシュレーゲルさん(仮名)などは、子供以上に気合が入った仮装である。

そんな中、日本の妖怪・ろくろ首までいるではないか。着物をすっぽり頭まで被り、首を手で動かすという、凝った作りである。そういう状態なので、誰が扮しているか、顔は見えない。
ぴーぽこに、
「ほら、ろくろ首がいるよ!」
と示すと、ぴーぽこ、淡々と
「知ってるよ」更に、
「中に誰が入ってるか知ってる?」
などと云ってくる。

これまでも何度も述べて来たが、七歳までの幼児はメルヘンの世界の住人である。歯が生え変わる頃から次第にメルヘンから離れ、この世界に足を下ろす。つまり、自分と外界との境界を、少しずつ認識してゆくのである。
シュタイナー教育では、そうした時期の子供達を強引に揺さぶり起こすようなことはしない。
まだ作用が及んでいるメルヘンの力を大切にしながら、ゆっくり目を覚まさせるように導くのだ。

早生まれのぴーぽこ、まだ七歳、然も一本の乳歯すら抜けてはいない。
まだメルヘンの中だと思っていたが、「中に誰が入ってるか知ってる?」などと云うところを見ると、もう大分目覚めかけているのだろう。
まだ暫し夢の中にいて欲しいと願う私、こう答えた。

「『誰』も何も・・・あれはろくろ首だよ」
「違うよ、きっとレインボーくん(仮名:三年男子)のお母さんだよ」

「・・・ろくろ首だよ!」

「レインボーくんのお母さんだよ!」

「ろくろ首だよ!!」
「レインボーくんのお母さんだよ!!」

こうしたやり取りを、「水掛け論」という。

その後、仮装した大人達が改めて子供達に挨拶する折、ろくろ首はそのヴェールを脱ぎ、レインボーくんの母が顔を出す。
ぴーぽこ、私をねめ付け、

「ほら、やっぱりそうじゃん!」

って、何を勝ち誇っているか。

それにしても、仮装している母や先生達を見るに付け、羨ましくなる。来年もあるのなら、私も参加したいものだ。何になる?魔女?いや、ここはやはり、妖精?難しき選択肢である。

だが、ハロウィンは10月31日。祭壇の入れ替えも月の末日。
・・・ってことは、未来永劫無理じゃん!
こうした私の思いにより、翌週のあるイベントで、私は奇行に走るに至るのだが、それについてはまた改めて。

終了後、低学年の子供達は、魔女に扮した上級生の、手作りの魔女ハットを貰い、銘々嬉しそうにそれを被って帰路に付く。
ぴーぽこも一年生の皇帝くん(仮名)と二人、魔女になり、声を揃えて覚えたての台詞を連呼する。

「トリック オア トリック!

トリック オア トリック!」


・・・って、「悪戯」以外の選択肢は無しかい。


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妖精スプリンクラー

普通の学校では教師や用務員さんといった方々が行う事務や雑務等の仕事を、娘・ぴーぽこ(仮名)が通うシュタイナー学校では、親が行う。
事務は無論、配布物の印刷や分類から植木の水遣り、洗濯まで、それぞれが分担してボランティアで行っているのだ。

私もぴーぽこを送った後、時間がある時は男子トイレの清掃等を行っていたが、今年度からトイレ掃除は高等部の子供達の仕事になった。
さて、今後は何を手伝おうか。

そんな私が目を付けたのが、三年生母のカン・ミヒさん(仮名)である。
彼女は、常に何かを撒いている。

まず、生ゴミを撒く。
と云っても、その辺に無差別に撒くわけではない、それでは単に厄介な人である。
生ゴミを撒くのは、校舎の隅に設置された、「コンポスト」という生ゴミを堆肥化するバケツのような入れ物の中だ。
学童のおやつや講師への昼食等を作る過程で出た生ゴミを、毎朝コンポストに撒く。そして一緒に米ヌカを入れてかき混ぜると、いい堆肥になる。
この作業を手伝おうかと思っていたが、コンポスト周辺には私の天敵であるところのなめくじが出没するとあって、断念。

更に、彼女は校庭に、コーヒーを撒く。いや、液体ではない。親や教師が学校で飲むコーヒー、そのドリップしたあとの残りカスだ。
これが、良い土になる。
以前は砂利が敷かれただけの校舎裏の駐輪場に、彼女がコーヒーを撒きだして数ヶ月、次第に雑草が生え出し、今や青々と茂っているのだ。ある意味、花咲か爺・長期展望版である。

元は工場の倉庫だった学校の敷地、校庭は砂埃立つ痩せた砂と砂利。
カン・ミヒさんと「ここにもコーヒーを撒いて、校庭が良い土に覆われたら、子供達ももっと遊び易いだろうね」と話し合った。
彼女は早速教師に働きかけ、「校庭にもコーヒーを撒いて良い」という教師会の決定を頂き、今では毎朝校庭の真ん中にコーヒーを撒いている。気長に何年も続けていれば、いずれ柔らかな土に覆われた校庭に変貌してゆくだろう。

そして、カン・ミヒさんは、水を撒く。
先に書いた様に、校庭は砂埃が立ち易い。
朝、掃除を終えた子供達は、エポック授業が始まるまでの約15分、外で鬼ごっこや一輪車、独楽回しや、冬場は縄跳び等で遊ぶ。当然、濛々と砂塵が舞い立つ。
少しでも子供達が快適に遊べるように、と、砂埃を押さえるべくじょうろで水を撒いているのだ。

暑い日は勿論水を撒く。
風が強い日も水を撒く。
冬は乾燥するので、水を撒く。
この人は雨が振っても水を撒くんじゃなかろうか、という勢いで、水を撒く。

撒いた端から干上がってゆくので、人手は多いに越した事はない。
彼女の姿に触発された私は、これを手伝おう、と決めた。

さて、シュタイナーは子供の模倣の力を重視している。七歳までは勿論、それ以降もおおよそ三年生ぐらいまで、模倣の力は作用している。
然もそれは、表面的な模倣に止まらず、親の内面まで無意識に模倣しているのだ。

どうせ作業を手伝うなら、内心嫌々行ったり、面倒がってやっつけ仕事をするより、大人自信が喜びをもって楽しく事を行う方が、子供に良い影響を及ぼすだろう。

そう思って子供達が朝の掃除を行っている間、軽やかに水を撒く事にした。

水撒きをしていて気付いたが、回転式のスプリンクラーの様に、ぐるぐる回ると、より広範囲にまんべんなく水が行き渡る。
気分は既にフィギュアスケートの村主 章枝である。両手にじょうろを持って、村主気取りで回転する。回りつつ、軽やかに校庭を駆ける。
傍目には珍妙な行動だが、やってみると楽しい。「独りで楽しい」と書いて「独楽(こま)」、まさに独楽の様に回りながら水を撒く私の姿に、何人かの親は「・・・楽しそうねぇ」えぇ、えぇ、楽しいですとも。

上級生母の紅葉さん(仮名)などは、そんな私を評して曰く、

水撒き妖精みたい」

あら、貴女、私の正体を御存知!?
そう、私は水の妖精・ウンディーネ。おまえは天使の業を考える。しかし、それを知らない。私は、水の成長力を動かす。その成長力は、私の生命素材を作る。

まぁ、自称妖精の戯言は置いといて、こんな私の姿を中・高等部の子供達がどう思っているかは知らない。(またおかしな大人がなんかやってらぁ)ぐらいに思っているだろうが、ノン・シャラン。

低学年の子供達の中には興味深々に、珍獣を見るように私を見る子も。実際に「なんで回ってるの?」と聞かれる事もしばしば。
そんな時、「こうすると水が遠くまで飛ぶんだよ」と、普通にと云うか、凡庸に答えたものだが、いっそ「虹を作ってるんだよ」ぐらいの事を云って、実際にじょうろの口から噴霧される水を太陽に反射させ、虹を作って見せるのも楽しかろう。

ぴーぽこのクラス、二年生の男の子・マーライオンくん(仮名)などは早速私のやり方を模倣していた。子供達も朝の清掃時、自分達が育てている植物に水を与えるのだが、マーライオンくん、じょうろ片手にぐるぐる回っている。砲丸でも投げるつもりか、という勢いで回転しつつ、叫んでいる。

「目~が~ま~わ~る~~~~ッ!!」

・・・止まりなさい。



※ルドルフ・シュタイナー著「天使たち 妖精たち」より抜粋。


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冬の朝は、あたかも昭和

日本広しと云えども、平成の今日、教室の暖房器具が火鉢という学校も、そうはあるまい。
娘・ぴーぽこ(仮名)が通うシュタイナー学校の小学部の教室では、石油ストーブと併用して、火鉢を使っている。

・・・昭和?

これら火鉢は、学童サポートのカーリー先生(仮名)や、三年生の母、カン・ミヒさん(仮名:度々コメントを下さる『ミニョンの母』さん)のご実家等から寄付して頂いたものだ。春休み前の寒い期間、炭熾しの作業が学校の片隅で行われていた。

・・・昭和?


炭熾しの作業は、各学年の親達が交代で行うのだが、私は早いうちに炭熾しの手順を教わった事もあり、娘を送った後、特に予定が無ければ炭熾しの手伝いをする事にしていた。

「手伝い」と云えば聞こえがいいが、実は冷え性の指先を暖める、という下心もある。なにしろ毎年冬場はしもやけになるのだ。成人男子が、しもやけである。妻・みぽちに「子供か!?」と毎年大笑いされているのだ。「しもやけ」という響き自体、既に「昭和」の匂いがする。

さて、炭熾しは各学年の炭当番の親が集まり、焚火でいっぺんに炭を熾し、それを各学年で分配する。
炭熾しの場に行くと、毎日の様に見かける顔があった。
その一人は、件のカン・ミヒさんで、炭熾しの指導をなさっている。
彼女の炭熱は日々温度を増し、「何々の木の炭は匂いが良くない」とか「何々の炭は火の持ちが良い」等、物凄い勢いで炭マイスターの道を邁進していた。
仕舞いには「いつか自分達の手で炭焼きがしたい!」という、壮大なんだか地味なんだかよく分からない夢を語り出すに至った。

もう一人が、現・三年生父のうちさん(仮名)である。
彼は、何故かいつも居る。炭熾しをしている母達の少し後ろに、立っている。
初め、(この人は何故いるんだろう?)と謎だったのだが、うちさん曰く、

「カン・ミヒさんに『炭コーディネーターをやらないか』って、誘われたんです」

何だ、「炭コーディネーター」って。意味不明である。炭の何を、どうコーディネートすると云うのか?謎は深まるばかりである。

だが、うちさんは一見ただただ突っ立っているばかりに見えるが、密かに薪を割っていたり、後片付けの時の力仕事をさり気なくやって下さったりしていた。これが「炭コーディネーター」の業務なのかどうかは知らないが、こまめに働いているふりをしてその実、暖を取っている私とは対照的な仕事振りである。

ともかく、度々顔を出している私もいつの間にかカン・ミヒさんによって、いつの間にやら発足した「炭部」の部員の頭数にカウントされるに至った。

一連の作業が終わると、薪の消し炭を拾う。これを火鉢の炭の上に乗せておくと、火の持ちが良くなるのだ。
焼け残った炭を、お骨を骨壺に入れる様に拾って壺に仕舞うのだが、入り切れない炭は安全の為、水をかけ、埋める必要がある。
これが、勿体無い。
いや、冷静に考えると、単なる消し炭のカケラである。この現場をワンガリ・マータイさんが目撃したとしても、「モォッタイナイ!」とは云わない筈である。
が、この学校で生活していると、そんなものでも「勿体無い」と思ってしまう。

エポック授業が始まる八時半までに教室の火鉢に炭を入れ、後片付けを行う。これらの作業をしつつ、子供達の姿を観察するのも炭部の楽しみの一つである。

シュタイナー学校に限らず公立学校でも目にする光景だが、上級生が、低学年の教室のお掃除を手伝っている。

掃除が終わると、授業開始まで自由遊び。遠くで二、三年生達が一輪車に乗って鬼ごっこをしている。・・・昭和?

男子の多くは、各学年入り乱れて独楽回しに余念が無い。・・・昭和?

一年生達は、もうすぐ始まる一輪車に向けて、バランス感覚を養うべく竹馬に取り組んでいる。自慢げに竹馬を乗りこなしているのは、当時一年生の我が娘・ぴーぽこである。・・・昭和?


多目的に使用される「ゲル」(モンゴルのテントの様な住居)から、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の、ヴァイオリンを中心にした演奏が聞こえてくる。「田園」の生演奏を聞きつつ炭熾しをする、あまりにもハマりすぎである。
後で知ったが、この演奏は、当時の八年生達が小・中学部卒業記念劇での生演奏の練習だったのだ。

独楽や竹馬、一輪車や縄跳びなど、まるで昭和の様な遊びで、冷えた子供達の手を暖めるのがまた、昭和アイテムの火鉢なのである。
シュタイナーと火鉢は別段関係無いが、「自然のもの」を大事にするシュタイナーが火鉢の存在を知ったならば、きっと「ウンダバー!(ワンダホー)と喝采するに違いない。

ある朝、いつもの様に炭熾しをしていると、ぴーぽこのクラスメイト、ハーフの一里塚くん(仮名:当時一年生)が我々の前に現れた。
手に、氷のカケラを持っている。
この学校では園芸で色々な植物を育てているのだが、水栽培用のバケツに張った氷を、彼は食うのだ。この行動、まさに昭和の申し子である。
この日もあまり衛生的とは云えない氷をカチワリの様にポリポリ食いつつ、我々の様子を観察していた一里塚くん、だしぬけに流暢な日本語で、

「遊んでンなァ!?」

遊んでない、遊んでない!これも「炭熾し」という立派な仕事の一つである。

だが、談笑しつつ炭熾しをしている我々の姿が、子供の目に焚火を楽しんでいる様に見えるのは尤もではある。
良いではないか。大人が楽しそうに働いている姿を子供達に見せる方が、眉間に皺を寄せて働く姿より、ずっと良い。

ただ、一里塚くんよ、肝に銘じておくがよい。
我々は一見遊んでいるように見えるかも知れないが、オノレのその氷で冷えた手を暖める為に働いてるんだっての!

※過去記事「カッコウに憧れて」参照


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カッコウに憧れて

ある日、一年生の娘・ぴーぽこ(仮名)が、俄かにこんな事を云い出した。

「おとーさん。うち、八年生まではこの学校に行きたい」

いや、授業料さえ払い続けられれば、十二年生まで行かせるつもりだが。
聞けば、十二年生まで勿論行きたいが、最低でも八年生までは絶対に行きたい、という事らしい。
だが、何故「八年生」なのか。
実はこの数日前、八年生による演劇の発表会が行われたのだ。

「うちも八年生になったら、あれ(演劇)をやりたい」

と云うのだ。

八年生に限らず、シュタイナー学校では授業の一環として、よく演劇を行う。
シュタイナー教育と演劇についての詳細はまたの機会に改めるが、ともかく八年生の演劇は、特に重要性を持つ。
八年間に渡る小・中学部を卒業し、九~十二年生という高等部に進学する、その節目として、子供達の手で演劇を作るのだ。

さて、今年の八年生の演目は、

「アルパカが贈る三つのお話」

アルパカって。南米に生息する、偶蹄目らくだ科の毛だらけの草食獣が、どんな物語を贈るというのか。
聞けば「アルパカ」とは、宮澤賢治の徒名だとか。宮澤賢治が農学校教員時代、「アルパカに似ている」という理由で、生徒達が親しみを込めて賢治をそう呼んでいたいたらしい。特に、口元がアルパカ。そんなピンポイントな特徴で、付いた徒名が、アルパカ

この劇は、宮澤賢治の三つの作品、「猫の事務所」「ポランの広場」「セロ弾きのゴーシュ」により構成されている。

会場は、何年か前に「モンゴルの学び」で校庭の端に建てた、「ゲル」と呼ばれるモンゴルのテントの様な移動式住居。
さして広くもないゲル内に、生徒や教師、親や来賓の方々がぎっしりとひしめきあって座る。まるで桟敷、芝居小屋と云うよりは見世物小屋、
「親のォ~因果がァ、子に報いィ~・・・」
との口上で蛇女でも出てきそうな塩梅である。

さて、開演。物語は宮澤賢治と生徒達の授業風景から始まる。てっきりオムニバスで演じるのかと思ったが、「賢治が生徒達に、自作の童話を聞かせる」というコンセプトで、上記の三作品が展開されてゆく。見事な構成である。

演技もなかなかのもの。特に「猫の事務所」の「かま猫」がしくしくと泣き出すところは私のツボであり、思わず私もしくしく泣きそうになる。と云うか、一寸泣いた。
また、「ポランの広場」の粗筋を語る賢治役の子の一人芝居や金星音楽団・楽長の熱演ぶりも素晴らしい。男子ながらに母鼠を演じる編入間も無い生徒も、すっかり板に付いている。

この学校らしいのは、「セロ弾きのゴーシュ」で子供達が着ていたそろいの黒いベスト。これは子供達が手仕事の授業で、自ら製作したものなのだ。

芝居小屋は役者、観客とも、熱気に包まれる。いや、狭い中に芋を洗うように人が入っているのだから、実際暑い。早春というのに汗が滲む。
どれぐらい暑かったかというと、熱気のあまりヴァイオリンの調弦が狂い、若干演奏の音がずれた程だ。

だが、調弦の問題で、「演奏の実力が遺憾なく発揮」とまではいかなかったものの、劇中の音楽が全て子供達の生演奏なのだから凄い。
セロ(チェロ)も無論生演奏、ゴーシュ役の生徒の演奏も聴き応えがあった。特に猫とのやり取りの場面で、シューマンの「トロメライ(トロイメライ)」を弾きかけ、途中から曲が「インドの虎狩り」に変わる演出は見事。
また、合間合間にそれぞれヴァイオリンやフルートの独奏もあり、最後は作品中に登場するベートーヴェンの「第六交響曲(田園)」を、全員で演奏して幕が閉じる。

来年度から、彼らは高等部。シュタイナー教育では小・中学部の八年間を、一人の担任がずっと受け持つ。そして、その担任教師の手を離れ、高等部に進むのだ。
現・八年生は、この学校の第三期。草創期という事もあり、担任のサザエ先生(仮名)は途中からこの学年を受け持った。
だが、劇終了後のサザエ先生の挨拶の言葉やその表情から、八年間以上の思いを込めて子供達に接してきたのだろう、と感じた。

ぴーぽこはまだ一年生だが、こうして上の学年の姿を見て、憧れて、成長してゆくのだろう。

そんなぴーぽこが特に気に入ったのは、「セロ弾きのゴーシュ」の「くゎくこう鳥(カッコウ)」。カッコウ役の女生徒が、チェロに合わせて羽ばたきながら「カッコー、カッコー」と鳴き続ける場面である。可愛らしく、面白く、私も気に入った場面の一つである。

ぴーぽこは、「八年生になったら、カッコウをやりたい!」と云い出し、帰宅するや布を纏って羽ばたきながら、「カッコー、カッコー・・・」
やがて笛やウクレレ、鉄琴など、家中のあらゆる楽器を駆使して「カッコー」の音をとりだす。
仕舞いには、楽譜のつもりだろう、紙に五線譜のようなものを書き、音符の代わりに延々と

かっこ かっこ かっこ かっこかっこかっ

こかっこかっこかっこかっこ・・・


と記す。ゲシュタルト崩壊現象でも起こしそうである。

わざわざそれを見て、また「カッコー、カッコー、カッコー・・・」

カッコウの台詞「ぼくらならどんな意気地ないやつでも のどから血が出るまではさけぶんですよ」(『セロ弾きのゴーシュ』より)

まさに喉から血が出そうな勢いで、「カッコー、カッコー、カッコー・・・」

私も付き合わされ、羽ばたきながら「カッコー、カッコー、カッコー・・・」

ゴーシュの台詞「えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか」(『セロ弾きのゴーシュ』より)

・・・ゴーシュの気持ちがよく分かった。


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この子の七ツのお祝いに

シュタイナー学校では、「誕生日」を大事にする。
先日、7歳の誕生日を迎えた娘・ぴーぽこ(仮名)のクラスでも、「練習」の授業を使ってお誕生会が開かれた。
因みに、夏休み等の長期休暇と誕生日が重なる子も、日を改めてお祝いする。

心待ちにしていた誕生会の前日、我が家の紙袋ストックの中からとりわけ大きな紙袋を取り出し、学校用のリュックに入れようとするぴーぽこ。

私:「何に使うの?」
ぴ:「皆に貰ったプレゼントを、これに入れるの」

それにしても、紙袋、大きすぎるって!!

貰う気満々だな!

私:「もう少し小さい袋でいいんじゃない?」
ぴ:「だって、これ位大きくないと、入りきらないよ!」

・・・コイツ、絶対「大きなツヅラ」を選ぶタイプだな。どれだけ貰う気でいるのか。
とは云え、早生まれのぴーぽこ、これまでの皆のお誕生会で、一人の子が貰うプレゼント量は把握している筈。その大きな紙袋を持たせる事に。

さて、誕生日の子の親には仕事がある。子供が産まれた時のエピソードを交えた手紙を書く事と、お誕生会で皆に振舞うおやつを作る事である。
おやつはケーキを焼くも良し、多忙ならおにぎりでも何でも、負担にならない範囲で用意すればよい、との事。
妻・みぽち申すに、

でいいじゃろ。買っといて」

って、手ェ抜き過ぎだろ!

せめて一手間かけよう、と云う事で、みぽちが手紙を書き、私がクラスメート及び先生の、都合十五人分の苺ミルクゼリーを作った。

お誕生会も大事な「授業」、ゆえにその様子を親が見ることは出来ないが、お誕生日を祝う歌を皆で歌い、クラスメートや担任の先生からプレゼントを貰ったり、親が書いた手紙を先生が読み上げたり、そして皆でおやつを食べる、概ねこういう様子らしい。

みぽちがお迎えに行っている間に、一寸した飾り付けを。毛糸で組み紐を作り、蜜ろうクレヨンで、

ぴーぽこ  おたんじょうび  おめでとう

と書いた折り紙を付け、玄関に吊るす。

帰宅したぴーぽこ、玄関を開けるや、これを見て目を丸くし、

「ワァ~~~~~~~オゥ!!」 

オマエは一体ナニ人だ?

ケーキを食べつつ、紙袋一杯のプレゼントを見せて貰う。絵、編み物、工作・・・。クラスの皆の、暖かい手作り作品の数々を見るがいい!

ぷれぜんと 002


そして、担任のウール先生(仮名)からのプレゼント、羊毛にくるまれたローズクオーツ

ぷれぜんと 001


シュタイナーは、人生のバイオリズムを七年周期で捉えている。
0~7歳は、第一・七年期。この時期は、体を作り上げる。頭蓋骨を閉ざしたり、歯を生えさせたり、時には小児病の発熱すら利用して、自分に合った体を作るのだ。
内面でこれだけの事をする一方で、足で立ち、歩く事を獲得したり、言語を覚えたり、外的な成長も遂げようとする。
信じられない程の奇跡が、七歳までの子供の中で起きているのだ。
そして、この時期に周囲からどれだけの愛情が注がれたかが、後の人生を大きく左右する、という。

シュタイナー教育は、余程の聖人君子でなければ、その完璧な実行は不可能に近いだろう。
大事なのは「完璧に行う」ことではなく、親が努力、試行錯誤しながら、子供と、そして自分と向き合うことではないだろうか。

ぴーぽこ、七歳。これまでの自分が、ぴーぽこに対してどうであったか、心の中でリストアップしてみた。

・感情的に怒鳴りつけた事もあった。
・思わず手を出し、叩いたりもした。
・感情を抑えようとしたが、うまくいかず、ネチネチと説教をする形になりもした。

親として、まだまだ未熟である。
が、過去は変えられない。これら反省点を今後に生かし、補ってゆこう。
七歳からは、まどろんだ状態から、外に対して目覚めて行く時期。優しくゆり起こすように、ゆっくりと目覚めさせてゆこう。

さて、誕生日の夕、入浴時にぴーぽこの手に、ペンで何かが書かれているのを見付ける。
見ると、今日欠席した子や、プレゼントを忘れた子達の名前が、文字通りリストアップされている。
当日プレゼントを渡せなかった子は、後日渡す。誰から貰っていないのか、覚え書きしたらしい。

・・・浅ましいヤツだな・・・。

オマエの手は、閻魔帳か。

通常は蜜ろう粘土等を行う時間

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