2008年01月

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  2. 2008/01/28 餅降る山で、どんど焼き
  3. 2008/01/21 腹ペコ娘の算数力
  4. 2008/01/15 乙女の独演会~小粋を目指して~
  5. 2008/01/07 画伯の冬休み
  6. 2008/01/04 若者と希望

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餅降る山で、どんど焼き

折しもその日は、東京で初雪が観測された。

青梅の山に降り立つと、木々は薄く雪化粧。
風が吹くたび、その雪がふわりと舞い、白銀の粉が空に舞い、幻想的な光景。

色彩は大事で、それが白銀だから美しい。
黄色だったら、まるで花粉、鼻がむず痒くなりそうな光景だったろう。

山頂に着くと、空はどこまでも青く、木々の緑に白い雪が残る。遠くの赤い花もやけにくっきり見えるのは、空気が澄んでいるからだろう。
開けたこの地には、我が学校の自然農の畑も広がる。

この日は、四年生が「家作りのエポック授業」で建てた家の落成式、及びどんど焼き。全校を挙げて、これまで生徒達が作った家々が並び建つ、この青梅の山にやって来た。

「家」と云っても不動産屋で紹介される物件とまではいかないが、なかなか立派なもの。キャンプ場のバンガローか、田舎の農家の離れ屋敷ぐらいは十分ある。
勿論一から十まで子供達が作る訳ではなく、土地や資材を提供して下さる鉄砲隊氏(仮名)の御指導やフォローあっての事である。

家作りのエポックの詳細については、私の娘・ぴーぽこ(仮名)が四年生になり、実際家作りを始めたら、記事にしたい。尤もそれまで、このブログを続けていればの話だが。

さて、落成式が始まる。御幣を飾った榊を捧げ、四年生の家作りを手伝った七年生が祝詞を挙げたりと、しめやかに進み、いよいよ子供達が楽しみにしている「餅撒き」が始まる。
棟上げ式で、家の屋根から餅や小銭のおひねりを撒く、あの行事だ。通常、骨組みが完成した時点で行うものだが、この学校では便宜上完成してから行っている。

学年毎に順番に撒かれた餅や菓子、おひねりを拾う子供達も楽しそうだが、屋根の上から餅を撒く四・七年生達の誇らしそうな笑顔も印象的だ。

やがて、我々手伝いに入った親達の番になる。
私は程々に拾っておき、沢山拾った親を、
「あら貴女、そんなに拾って、欲の深いお方ね、ヲホホホホ」
と、嘲笑うつもりであった。が、いざ始まると、子供の頃、近所の棟上げ式での餅撒きの記憶が蘇り、必死に拾う私。また、高校時代に百人一首大会のクラス代表になった記憶も蘇り、人が拾おうとしている餅を、横合いから掠め取る。

我ながら、浅ましい・・・。

必死な私の姿に、周囲の母達、「あっきー(私の徒名)、怖い・・・」
恐れられつつ、大漁旗を揚げる。欲が深いのは他ならぬ私自身であった模様。

引き続き、どんど焼きに移る。

鉄砲隊氏が組んで下さった櫓に、先程の落成式で捧げた榊や、各自持ち寄った正月飾りを重ね、火をくべる。その火の周りを、三年生担任のジオード先生(仮名)を先頭に、どんど焼きの歌を歌い、踊って回る。

「♪ど~んどん焼ッきは~ 十四日~、 おッ猿~のおッ尻~は 真っ赤っか~

と、高らかに歌い、珍妙な踊りで練り歩く。
なんだ、その歌!「十四日」と「真っ赤っか」を掛けているのだろうが、「~っか」しか合っていない。これなら
「じさまが出血、クモ膜下~」とか
「美少女フィギュアが もう劣化~」とか、何でもいい。
尤もこれは、どんど焼きの歌の中では定番なので、ケチをつけても仕方が無い。

驚いたのは、思春期真っ盛りの九・十一年生※1男子が、ノリノリでジオード先生に続いて歌い踊っている事だ。七・八年生あたりは流石に照れが見えるが、九・十一年生男子はなにかふっ切れた様に、愉しげである。
オイリュトミーや七頭舞※2で鍛えた、しなやかでキレのある動きで珍奇な踊りを踊る様は圧巻、その後を、これも愉しそうに踊りながら付いて行く低学年の子供達、さながらハーメルンの笛吹き男。

私の傍らでこの様子を見ていた高等部のアンガール先生(仮名)、苦笑しつつ、
「くだらないなぁ」
と私に話しかける。
「毎年こういうくだらん事をしてるんですよ、この学校は。まぁ、どんど焼きの歌は大体くだらない。私が前に行った地方では『目○そ、鼻○そ、飛んで行け~』とか、そんな歌でした」
こんな事を云うものだから、アンガール先生は傍観を決め込むものかと思いきや、先頭集団が前を通るや嬉々として、

「♪ゴ~リラ~のおッ尻~も 真っ赤っか~

だって。貴方も十分くだらないっての。一応突っ込んでおくと、ゴリラの尻は、むしろ青黒くはないか?

そして、子供達はお団子を木の枝に刺し、どんど焼きの火で炙って頂く。お団子は前日、有志の親達が作って下さったものだ。
口の周りを醤油だらけにしながら食べる一年生。八年生だか九年生だかの男子の中には、お団子をまんべんなく、こんがり狐色に炙るこだわり屋さんもちらほら。

シュタイナー教育では、直接体験を重視する。(特に幼少期)
家を建てた四・七年生の子供達は無論、全校挙げてこうした行事を体験した子供達の心には、きっと素敵な何かが残ったことだろう。

帰宅後、一年生の娘・ぴーぽこ、早速踊りだす。

「♪ど~んどん焼ッきは~ 十四日~、 おッ

猿~のおッ尻~は真っ赤っか~!」


・・・オマエの心に残ったのは、それか。


※1・・・この学校では現在最上級生は十一年生。一学年空いて、次が九年生。
※2・・・七頭舞とは、岩手の民族芸能。この学校では四年生以上が、本格的にこの七頭舞に取り組んでいる。
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腹ペコ娘の算数力

子供の事を「餓鬼」と呼ぶのは、実に云い得て妙である。
語源には幾つか説があるが、代表的なのは、子供は手足が細く、お腹がぽっこりと出ている。所謂幼児体型が、「餓鬼草紙」等に描かれる「餓鬼」に似ているから、という説。
また、成長期の子供は常に空腹を訴える。その様をいくら食べても飢え続けている「餓鬼」に例えた、とする説等。

我が娘・ぴーぽこ(仮名)も、多聞に漏れない。

以前、あるイベントで学校が特別プログラムになった日、学童を終えたぴーぽこを学校の門前で出迎える私に対し、ぴーぽこは開口一番、

「あ~、おなかすいた!」

夕方とはいえ、学童でおやつを食ったろうが!

傍らの軽食班・上級生の母、フォアグラさん(仮名)の特別な計らいで、軽食の余ったシチューを、安く分けて貰う事になった。

子供好きなフォアグラさん、「ぴーぽこちゃん、美味しい?もっと温かかったら良かったねぇ」と話しかけて下さる。
無言でシチューを貪り食らうぴーぽこ。
フォアグラさんは私が(一方的に)「姉」と慕っている方である。つまりぴーぽこよ、オマエにとっては「伯母」に当たる(私の妄想の中で)。伯母さんに返事ぐらいしろっての!

喰い終えたぴーぽこ、ハァ~ッと息を付き、

「あ~、おなかすいた!」

オバQか、オマエは!!

その前に「ごちそうさまでした」とか、伯母さんいやさフォアグラさんに「ありがとうございました」とか、幾らでも云うべき事があるだろう!
いくら食べても満たされない「餓鬼」に、施餓鬼供養は無用である。


閑話休題、それはさておき。

シュタイナー学校では算数の教え方も、一風変わっている。

よく、「算数は答えは一つ」等と云われる。例えば、

「4+6=?」

と問われたら、答えは「10」一つしか無い。が、

「10=?」

と問われたらどうだろうか?

ふゆやすみ 005
ぴーぽこの宿題ノートより

答えは「1+9」、「2+8」、「3+7」~・・・また、「1+1+1+~」と1を9回足しても良いし、「1+2+6」等の答えもある。
また、「11-1」と引き算も加わると、答えは無限に広がる。
更に学年が上がって、掛け算や割り算を習うと、「2×6-2」等、多様さも増す。

答えは一つどころか、無限なのである。

因みに、シュタイナー教育での掛け算の導入は、芸術的、劇的ですらあるが、それはまたの機会に譲る。

ともかく、一年生は、おはじきや拾ってきたドングリなどを使って、こうした計算を行う。
暗誦する時は、膝や手、肩を叩きつつ、リズムに乗せて「5=、1+4、5=、2+3・・・」とやる。
尤も日常的には、「48+36=?」等の、普通の計算も必要だ。こうした計算問題や漢字の書き取り等、反復練習が必要なものもある。
そうした問題は学年が進んでから、計算ドリル等で補う。実際、中学年の子供達を見ていると、こうした計算ドリルの宿題に嬉々として取り組んでいる。低学年で数の不思議さ、面白さを知る事が、後の算数、ひいては数学への興味に繋がってゆく。

また、「4+6=10」というやり方は、他所から「4」と「6」を持って来て、自分の所で「10」にする、という感覚であるのに対し、「10=○+○」というやり方は、自分の所にある「10」を、様々に「分ける」、という感覚である。
つまり、実際にドングリ等を使い、こうした計算をする事によって、子供達の中に「分配」という感覚を教える事にも繋がる、というのだ。

シュタイナー教育には「道徳」の授業が無い。それは、どの教科からでも「道徳」の概念を教える事が出来るし、全ての授業が繋がりを持っているからだ、という。
分かるような分からぬような、曖昧模糊とした判じ物のようだが、上記の方法によって、この思想の一端を垣間見る事が出来る気がする。

さて、前述の餓鬼娘・ぴーぽこ。
我が家の食卓では、おかずは大皿に盛り、各自取り分ける。
例えば竜田揚げなどを出すと、ぴーぽこは必ず数を数える。

「1、2、3、・・・7、8、9。…全部で9個だから、一人3個ずつだね!

計算早ッ!!

然も、まだ習ってもいない割り算の概念である。

…空腹も子供の計算能力を高める…のか?

乙女の独演会~小粋を目指して~

ひょんな経緯で、先日、学童の子供達に落語を披露した。

一寸した新春落語独演会、演者は私こと、女神家弁天師匠」!!
って、この「女神家弁天」などという、倒錯者丸出しで「小粋さ」のかけらも無い芸名は、私が心の中で名乗っているだけで、子供達に名乗ってはない。

さて、私は漫画家であって、落語家ではない、師匠に稽古を付けて貰った事も無ければ、大学時代に落研であった訳ですら無い。
小学五~六年生の頃、趣味で独習し、お楽しみ会等で披露した事がある程度でしかない。
だから人前で一席お付き合い頂くのは、実に二十数年振り、という事になる。

少ない持ちネタの中から、低学年の子供達にも分かるように、と、「寿限無」をかける事にした。

とは云え、シュタイナー学校の子供達は、普段から先生の語るメルヘンに、静かに耳を傾ける事に慣れている。

私の落語に、静かに耳を傾けられたら、それはそれで非常にやり辛い。

そう憂いつつ高座に上がったが、思ったより子供達の食い付きは良く、それなりに受け、「また聴きたい」との声まで頂いた。
他に出来そうなネタは三つ四つ程度ではあるが、機会があればまた語り聞かせたいと思う。
その為に、常日頃から「小粋」であることを心掛けたいものだ。

さて、シュタイナー学校では、高学年になると、「ユーモアの授業」というのがあるらしい。

はい。いくらシュタイナー教育推進者である私とは云え、「ユーモアの授業」には突っ込みたい。流石にそれは授業で身に付くか!?

尤も、シュタイナー教育の発祥地と云えば、ドイツである。ドイツ人は比較的真面目なので、英米人やパリジャン・パリジェンヌに比べて、ユーモアやエスプリの効いた、ウィットに富んだ会話が苦手なのだそうだ。
って、この「ウィットに富んだ」という云い回しのうすら寒さが、むしろ面白い。

また、シュタイナー自身もユーモア感覚の大切さを説いている。

では、実際、どの様な授業をしているのか。
それは各教師の取り組みによって違うようだが、ある真面目なドイツ人の先生は、「私は市販の『ジョーク集』等を使用しています」と仰っていた。

ダウト!

「俺がウェイターをしていた時の話さ。上品そうなマダムが俺を呼び止め、こう云った。
『一寸、ボーイさん!私に運ばれたスープの上で、死んだハエが泳いでいるわ!!』
だから云ってやったのさ、
『奥様、それは不可能です。死んだハエは泳げません』・・・ってね!」


面白いか、こんなんが!?なんだ、得意そうに「・・・ってね!」って。

だが、まぁ、真面目なドイツの先生が、ジョーク集を片手に「ユーモアの授業」を行っている姿は、皮肉抜きに微笑ましくもある。

娘・ぴーぽこが通うシュタイナー学校でも、高学年になると、ユーモアの授業がある。各教師にもよるだろうが、この授業で「落語」を取り入れているようだ。
日本のシュタイナー学校で、日本ならではの文化である「落語」に取り組む、これは非常に良い考えだと思う。
何より、落語には「粋」がある。
イギリスが「ユーモア」、フランスが「エスプリ」なら、日本は「粋」を大事にしたい。

また、シュタイナーは、教師や親もユーモアを持って子供を育てるべき、と説く。
確かに心に余裕が無ければユーモアどころではない。心にゆとりを持ち、ユーモアや粋を大事にしながら子育てするのは確かに望ましい事だろう。

ドイツ人女性の金毘羅舟ふね先生(仮名)は、思春期の子供との向き合い方に付いて、以下のような事を仰っていた。
思春期の子供は、わざと荒れた言葉や、大人が眉をしかめる様な髪型、ファッションをしがちだ。
自分の子供がそうなった時、頭ごなしに否定してはいけない。例えば、この様に云うのが良い。

「私はお前の髪型やファッション、言葉遣いも嫌いだ。でも、

お前の事は大好きだ

これは、実に小粋ではないか。いや、「大好きだ」などと口に出すのは却って「野暮」だ、との意見もあろう。
が、元来日本人は、こういった事を伝えるのは苦手だ。かと云ってこれを伝えず、子供の言動をなじるだけなら、子供は「自分そのものを否定された」、と感じるだろう。
伝えるべき事を上手く伝える、それにユーモアや粋の要素は、大いに役立つのだ。

中にはユーモアをはき違えた親もいるもので、矢鱈と流行り言葉を使ってみせたりする。それも、微妙にズレた時期に。
例えば、自分が今まさに、思春期真っ只中だとする。食卓を囲んだ団欒の場などで、2008年1月の時点で、母親に「どんだけ~!」だの「そんなの関係ねぇ!」などと云われてもみよ。
無意味に腹が立って、「ご馳走様」も云わず、席を立つ筈である、仮におかずが残っていようと。

むしろ一回りして、「ゲッツ!」とか「だっちゅ~の!」などと云われた方が、「今かよ!」と突っ込めるだけ有り難い。

いや、「だっちゅ~の!」の決めポーズをする母親像は、決して見たくはないが。

画伯の冬休み

試験も成績表も無いシュタイナー学校だが、宿題はちゃんとある。
この冬休みも、無論宿題は盛り沢山であった。

その中で、冬休みの楽しかった事の絵を2枚描く、というものがあった。
「絵日記」ではないので、言葉は書かない。何故なら一年生は、まだ平仮名を全部習いきっていないから。

娘・ぴーぽこ(仮名)はやる気満々で、

「なんの絵を描こうかな~」

って、まだ冬休み初日から描くな!さっき起きて、冬休み始まってわずか二時間程で、もう冬休みの総括をする気か!?

「これから楽しい事が沢山待ってるから、その宿題は冬休みが終わる頃にやるといいよ」
そう説いて納得させる。

そして冬休みも終わりに近付いたある日、ぴーぽこ画伯によって2枚の絵が完成された。

その前に断っておくが、私は漫画家とはいえ、あまり絵が上手い方ではない。デッサン力などは決定的に不足しており、私より上手い素人などいくらもいる。
が、まがりなりにもプロとしてやっていける程度には描ける。

参考までに。↓は数年前にベニヤ板にアクリル絵の具で描いた「弁財天」。
弁天


因みに、妻・みぽちは私より確かな画力、デッサン力を持っている。

こうした才質は、天賦のものと、後天的な努力で培われるものとがある。後者を「獲得形質」と定義できるか、そしてそれも遺伝するのか、ラマルクに聞いてみたいところだ。

そんな、絵師夫婦の間に生まれたぴーぽこ画伯の作品。

どーーーーーーーーーん!

ふゆやすみ 003


・・・微妙。
この絵を見ても、ラマルクは「それでも獲得形質は遺伝する」と云い切れるだろうか?

解説すると、これはクリスマス・イヴの日、ぴーぽこ(向かって右)と私(左)とで、「ツリーケーキ」(中央)を作っているところ。

ツリーケーキ↓。以前、料理番組で観たものをアレンジ。ちぎったスポンジと生クリームを、クリスマスツリー状に重ねる。抹茶パウダーでモミの木の緑を表現してみた。苺とチョコ・スプレーでデコレーション。
ふゆやすみ 002


子供と一緒に料理を作るのは、時として煩わしいものだ。手際が悪いし、無理な事を「やりたい」と駄々をこねたりする。
が、子供にとって「お手伝い」も重要な「遊び」。幼少期に親の家事等の手伝いを、親と一緒にする、という体験は、子供にとって重要である、と、シュタイナーは説く。
夕方の忙しい時間は仕方が無いだろうが、我々親は、極力心にゆとりと遊び心を持って、子供のお手伝いを受け入れたい。
子供も次第に「やりたい事」と「出来る事」との境界を知り、楽しくお手伝いが出来るようになる。

因みに画面左側の微妙に空いたスペース。ここに、我々がケーキを作っている間、パソコンをしていた妻・みぽちの絵を描こうと思ったが、やめたそうだ。
そんな場面は描かんで正解。

もう一枚の絵は、正月二日の日に、高尾山薬王院に家族三人でお参りに行った時のもの。
高尾山と云えば天狗の総本山、一緒にリフトで上り下りする時、ぴーぽこと天狗を探した。
何度も書いたが、子供にとって小人さんや妖精等のメルヘンは大切だ。私の中では、「天狗」も立派なメルヘンである。

私「きっとあの辺りに天狗いるよ。呼んでみよう」

「天狗さ~~~ん!」

などと話していると、山中でメリメリッと木が折れる音。
ぴーぽこと顔を見合わせ、

ぴ「何だろう、今の音?」

私「天狗じゃない!?」

ぴ「そうだ、きっと天狗だよ!」

天狗の姿こそ見られなかったが、ぴーぽこは天狗を身近に感じた高尾詣でであったろう。
その時の事を描いた、ぴーぽこ画伯の絵が、これ。

どどーーーーーーーーーーーーーーん!!

ふゆやすみ 004


向かって左に立っているのは、天狗
オンリー天狗である。そこには我々親子の姿すら描かれてはいない。

冬休みは昨日で終わり、今日から授業が始まっている。
担任のウール先生(仮名)は、このぴーぽこ画伯の絵を見て、さぞかし面食らった事だろう。

若者と希望

ある日、上級生の母の小リスさん(仮名)に、こう云われた。

「あき乙女さんって、妖精っぽいよね」

自称・「弁財天の化身」である私だが、フェアリーと云われて悪い気はしない。
ところが小リスさん、

「いや、フェアリーとか、羽の生えてる系じゃなくて、なんかキノコの陰にいそうな

って、土の妖精、ドワーフかい!
「それで、ナメクジからキノコを守ってそう」
だって。どんなイメージだ!?挙句の果てに、

「あき乙女さんて、人間離れしてますよね、良い意味で」

って、「良い意味で」と云えば何でも誉め言葉にはならないっての!

また、以前小リスさんと並んで歩いていた時、小リスさん、突如転んで尻餅を付く。
「大丈夫ですか?」
幸い、怪我はない。それにしても、つまづく要素が何も無い、平坦な道である。
小リスさん、立ち上がりつつ、

「まぁ、すねこすりの仕業って事で」

って、そんなまとめ方かい!?そもそも「すねこすり」は日常会話に登場する程メジャーな妖怪か?

この小リスさんの御長男・ロッキーチャック君(仮名)は、現在最上級生の十一年生なのだが、これが母の小リスさん同様、愛すべき天然キャラである。
学習発表会でナントカ幾何学とか云う小難しい発表をしていたのだが、

「この直線cと交わるのが、点qで御座います

って、そこは普通に「点qです」で良さそうなものだ。何も接点q に対してそこまでへりくだる必要は無い。

これに対し、小リスさんは「丁寧語の使い方が変なのよ!」と、手厳しい。他にも母として不満が多いらしく、「もっと早くシュタイナー教育を知っていれば良かった」等とこぼしてはいるが、それは親の欲目、ロッキーチャック君は個性的な好青年である。
尤も親という物は、我が子を過小か過大か、いずれかに評価しがちで、なかなか客観的に見られないものだ。
それに、シュタイナー教育との出会いに、「遅過ぎる」という事は無いのではないか。ロッキーチャック君を見る限り、そう思えてならない。
その根拠たるエピソードの前に、ある調査結果を紹介したい。

最近、ドイツで、シュタイナー学校の卒業生を対象に、調査がなされたそうだ。
調査を行ったのは、公正を期す為、シュタイナー教育関係者や人智学者を除いた研究グループで、シュタイナー学校卒業生の中から1200人を抽出してアンケートを行ったそうだ。

その調査によると、卒業生の職業で最も多かったのが、「教師」で14,5%。2位、「エンジニア」で9,8%、3位「学者」9,5%と僅差で続く。
以下、医者やナース、セラピスト、薬学者等の医療系、芸術家、福祉士、商業、事務、法律家に職人・大工、その他諸々と、実に幅広い職種に偏る事無く就いている。

また、ドイツの公立学校の大学進学率が30~40%なのに対し、シュタイナー学校のそれは68%にのぼるそうだ。「芸術偏重」と偏見を持たれがちなシュタイナー教育だが、確かな学力が身に付く事が分かる。

また、卒業生の多くに共通した特徴として、「クリエイティブ」、「困難を乗り越える能力」、そして「人生に希望を持ち、肯定的」であるという。

ある日、小リスさんは新聞か何かで、「現代の若者の80%以上が『人生に希望が持てない』と回答」といった内容の記事を見たそうだ。尤も思春期の若者は斜に構えがちなので、これは必ずしも憂慮すべき数値ではないかも知れない。
ともかく、小リスさん、長男に訊ねたらしい。
「ねぇ、ロッキーチャック、あんた人生に希望とか持ってる?」
ロッキーチャック君は、こう云い切ったそうだ。

「いや、希望しか持ってない

「現代の若者の80%以上が『人生に希望が持てない』と回答」。
してみると、君が残り20%以下の若者か。


※「すねこすり」・・・岡山県の妖怪。雨の夜道等に現れ、人の足に纏わり付いて歩行困難にさせる。子犬が擦り寄る様な感触だが、姿は見えないという。脛を擦る事から「すねこすり(脛擦り)」と呼ぶ。

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