2008年02月

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  2. 2008/02/25 この子の七ツのお祝いに
  3. 2008/02/18 手仕事親子の作品集
  4. 2008/02/14 テスト意味無し
  5. 2008/02/04 子供を抱きしめよう

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この子の七ツのお祝いに

シュタイナー学校では、「誕生日」を大事にする。
先日、7歳の誕生日を迎えた娘・ぴーぽこ(仮名)のクラスでも、「練習」の授業を使ってお誕生会が開かれた。
因みに、夏休み等の長期休暇と誕生日が重なる子も、日を改めてお祝いする。

心待ちにしていた誕生会の前日、我が家の紙袋ストックの中からとりわけ大きな紙袋を取り出し、学校用のリュックに入れようとするぴーぽこ。

私:「何に使うの?」
ぴ:「皆に貰ったプレゼントを、これに入れるの」

それにしても、紙袋、大きすぎるって!!

貰う気満々だな!

私:「もう少し小さい袋でいいんじゃない?」
ぴ:「だって、これ位大きくないと、入りきらないよ!」

・・・コイツ、絶対「大きなツヅラ」を選ぶタイプだな。どれだけ貰う気でいるのか。
とは云え、早生まれのぴーぽこ、これまでの皆のお誕生会で、一人の子が貰うプレゼント量は把握している筈。その大きな紙袋を持たせる事に。

さて、誕生日の子の親には仕事がある。子供が産まれた時のエピソードを交えた手紙を書く事と、お誕生会で皆に振舞うおやつを作る事である。
おやつはケーキを焼くも良し、多忙ならおにぎりでも何でも、負担にならない範囲で用意すればよい、との事。
妻・みぽち申すに、

でいいじゃろ。買っといて」

って、手ェ抜き過ぎだろ!

せめて一手間かけよう、と云う事で、みぽちが手紙を書き、私がクラスメート及び先生の、都合十五人分の苺ミルクゼリーを作った。

お誕生会も大事な「授業」、ゆえにその様子を親が見ることは出来ないが、お誕生日を祝う歌を皆で歌い、クラスメートや担任の先生からプレゼントを貰ったり、親が書いた手紙を先生が読み上げたり、そして皆でおやつを食べる、概ねこういう様子らしい。

みぽちがお迎えに行っている間に、一寸した飾り付けを。毛糸で組み紐を作り、蜜ろうクレヨンで、

ぴーぽこ  おたんじょうび  おめでとう

と書いた折り紙を付け、玄関に吊るす。

帰宅したぴーぽこ、玄関を開けるや、これを見て目を丸くし、

「ワァ~~~~~~~オゥ!!」 

オマエは一体ナニ人だ?

ケーキを食べつつ、紙袋一杯のプレゼントを見せて貰う。絵、編み物、工作・・・。クラスの皆の、暖かい手作り作品の数々を見るがいい!

ぷれぜんと 002


そして、担任のウール先生(仮名)からのプレゼント、羊毛にくるまれたローズクオーツ

ぷれぜんと 001


シュタイナーは、人生のバイオリズムを七年周期で捉えている。
0~7歳は、第一・七年期。この時期は、体を作り上げる。頭蓋骨を閉ざしたり、歯を生えさせたり、時には小児病の発熱すら利用して、自分に合った体を作るのだ。
内面でこれだけの事をする一方で、足で立ち、歩く事を獲得したり、言語を覚えたり、外的な成長も遂げようとする。
信じられない程の奇跡が、七歳までの子供の中で起きているのだ。
そして、この時期に周囲からどれだけの愛情が注がれたかが、後の人生を大きく左右する、という。

シュタイナー教育は、余程の聖人君子でなければ、その完璧な実行は不可能に近いだろう。
大事なのは「完璧に行う」ことではなく、親が努力、試行錯誤しながら、子供と、そして自分と向き合うことではないだろうか。

ぴーぽこ、七歳。これまでの自分が、ぴーぽこに対してどうであったか、心の中でリストアップしてみた。

・感情的に怒鳴りつけた事もあった。
・思わず手を出し、叩いたりもした。
・感情を抑えようとしたが、うまくいかず、ネチネチと説教をする形になりもした。

親として、まだまだ未熟である。
が、過去は変えられない。これら反省点を今後に生かし、補ってゆこう。
七歳からは、まどろんだ状態から、外に対して目覚めて行く時期。優しくゆり起こすように、ゆっくりと目覚めさせてゆこう。

さて、誕生日の夕、入浴時にぴーぽこの手に、ペンで何かが書かれているのを見付ける。
見ると、今日欠席した子や、プレゼントを忘れた子達の名前が、文字通りリストアップされている。
当日プレゼントを渡せなかった子は、後日渡す。誰から貰っていないのか、覚え書きしたらしい。

・・・浅ましいヤツだな・・・。

オマエの手は、閻魔帳か。

通常は蜜ろう粘土等を行う時間
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手仕事親子の作品集

一年生の祭壇係の一員である私は、学校・親の活動部屋で、空いた時間に二月の祭壇用の羊毛人形を作成。
ゆきんこ

雪の妖精、雪ン子ちゃん。(本体は羊毛。着物は千代紙。蓑は藁)

作品は製作者やその家族に似る、とよくいうが、実際これを見た多くの母達に、この人形が私の娘・ぴーぽこ(仮名)に似ている、と云われた。
上級生の母・キッコロさん(仮名)などは、

「これ・・・ぴーぽこちゃんじゃん・・・ぴーぽこちゃんじゃん!・・・

ぴーぽこちゃんじゃん!!


・・・何故三度云う?

祭壇係に限らず、この学校の母達はよく手仕事作品を作っているが、子供達も負けてはいない。なにしろ一年生でも週に二回、「手仕事」の授業があるのだ。

ぴーぽこが初めて作った作品が、これ。
てしごと 005しじゅうから

羊毛の四十雀(シジュウカラ)、小枝と毛糸で作った四十雀のおうち(巣)。羊毛玉は餌だそうだ。
一年生が初めて先生から話して貰ったメルヘンの中に、四十雀が登場する。それを、手仕事の授業で、自分達の手で作る。子供達はさぞかしワクワクして作ったことだろう。

最近は、こんな物を作成。
てしごと 001ふえぶくろ

指編みの、虹色の笛袋。

ぴーぽこは手仕事の授業が大好きで、創作意欲は授業のみに止まらない。
てしごと 006ぼうし

授業でマフラーを作ったかと思えば、家では帽子を作成。ありあわせの毛糸で作ったので、色彩が微妙なのは御愛嬌。

また、写真は無いが、「アイヌの学び」で、マタンプシと呼ばれる鉢巻に刺繍をしたりもしていた。

私が育ったのは、男尊女卑の激しい地域。編み物や刺繍に興味はあったが、そんな事をしているのを知られたら

「女の腐ったようなヤツ」 

と、差別用語を投げ掛けられるような土地柄。ついにやらずに今まで来たが、そのうちぴーぽこにご教授願おう。

これだけ物があふれる時代。「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!?」とアントワネットを気取れそうな昨今だが、この学校で育ったら

「パンが無ければ小麦から育てればいいじゃない!?」

位の発想をしそうだ。小麦が育つ前に飢え死にするって。
だが、実際そういう過程も大事で、学年が進むと、毛糸の帽子一つ作るのに、牧場に羊に会いに行くところから始めるようだ。
こうした体験をした子供達は、将来、物やその作り手に対して、感謝や尊敬の念が持てる人間に成長するのではないだろうか。

また、シュタイナーは「頭」だけを使って学習するのではなく、「体全体」や「指先」をも使う事を大切にしている。「手仕事」を通して、感性が頭のみならず、指先にまで降りるのだろう。

それに、「自分で作る」というのは単純に楽しい。
以前、ぴーぽこと二人で江ノ島の弁財天を詣でた時の事。土産物屋に、本尊の一つ、
妙音弁財天(通称・裸弁財天、全裸体で琵琶を弾く姿)」を模した置物が売られていた。

欲しい!ハウマッチ?・・・金8万円也。・・・高ッ!!買えないっての!!

泣く泣く諦めたが、ふと思った。・・・高くて買えないなら、自分で作ればいいじゃない!?どうせならオリジナル・妙音弁財天を作ろう。
そんな次第で紙粘土で作ったのが、これ。
てしごとべんざいてん 003
(琵琶と膝の蛇は取り外し可能)
妻・みほちに見せたところ、生温い視線で私を一瞥し、

「これ、自分に似せて作ったン?

・・・アンタ、どこまでナルシストなン!?

え?似てる?いくら私が「自称・弁財天の化身」の倒錯馬鹿とはいえ、本気で自分に似せた弁財天像を作る程どうかしてはいない。
実際、自分では似ているとは思えないのだが、矢張り「作品は製作者やその家族に似る」のだろうか。

結論。元々、私自身が弁財天に似てるんだ、って事で。

テスト意味無し

最近の教育現場がどうかは知らないが、私の世代は詰め込み教育全盛期であり、偏差値が幅を利かせていた。
高校時代の私は文系が強く、特に国語の成績は良かった。
折しも、「共通一次」から「センター試験」への転換期、模試も筆記からマークシートが導入された。
根が素直な私はマークシート特有のひっかけ問題に悉くひっかかり、それまで60~70だった国語の偏差値が、事件後のライ○ドアの株価の如く、一気に35に大暴落。

35って。体温以下だっての。

教師によっては「点数や偏差値が全てじゃない、大事なのは努力だ!」と、真っ当な事をおっしゃる人もいたが、成績表に「努力」は反映されない。
「結局、点数で判断してんじゃん!」と、折角の先生の教訓も、当時の私には欺瞞に思えたものだ。
また、「努力しようがすまいが、結果が全て、偏差値が全てだ!」と云い切る教師もおり、何を信じていいのやら、混乱したものだ。

当時の私は、こうした「テスト」や「偏差値」に振り回されつつ勉強をしていた。

ドイツ人シュタイナー教師の宝船先生(仮名)は、「試験には意味が無い」と、一刀両断。単に記憶力を量るだけのもので、その結果から、その生徒の努力や取り組み、興味や創造性は問われない。また、教師側がその試験をどう準備したのかも問われない、と云う。

尤もな話で、テストの結果では人間性までは量れない。
就職試験や公務員試験で、

「この人は公金、税金をチョロまかす可能性がありますよ」
「インサイダー取引で儲けようと思ってますよ」
「偽装しますよ」
「国民の事とか考えず、テキトーに年金を管理しますよ」

等といった事までは、当然判断しようがない。
政治家の場合は選挙があるので、皮肉は一部の企業や官僚相手に留めて置いて、と。

さて、娘・ぴーぽこが通うシュタイナー学校には、テストが無い。
厳密には皆無ではなく、中等部頃になって、「自分がどれだけ覚えたか、理解しているかを客観的に知りたい」という思いが子供達の中に涌き上がると、教師の判断で小テストを行う事がある。
勿論、その結果で教師が生徒を評価する事はない。そもそも成績表すら無いのだから、評価のしようがないのだ。
それもあくまで高学年の場合で、「一旦忘れる」という過程が特に重要な小等部の子供達に対して、常に記憶を強いるテストを行う事はない。

子安美知子さんの著書・「シュタイナー教育を考える」の中に、ある有名難関校の校長が、「点数があるから子どもは勉強する(同書より抜粋)という論を新聞紙上で展開していた事が紹介されている。
その校長先生に、この学校の子供達の様子をお見せしたい。

一年生の娘・ぴーぽこはまだ「お勉強」という段階ではないが、興味の対象が膨らみ、授業を楽しみにしている。

ある学年の子供達は、二年生の頃、掛け算の面白さに魅了され、九九だけでは飽き足りず、十二の段、十三の段、十四、十五・・・と、自発的に際限なく覚えようとしたそうだ。流石にキリが無いので、教師が程々で上手く切り上げさせたらしい。

また、ある七年生の男の子と話したところ、「苦手な科目はあるけど、嫌いな科目は無い、どの授業も面白いです」と云っていた。

高学年でたまに小テストこそあるが、所謂定期テストは無い。それでも魅力的な授業が行われれば、子供達は嬉々として勉強する。
件の校長先生に反論するまでもなく、「点数がなくても子どもは勉強する」という事を、この学校の子供達は実証しているではないか。

赤ん坊はテストが無くても言語を習得する。
同じ様に、人間が本来持っている知的探究心を、赤子が言語を獲得するように開花させる、それが教育の在り方ではないだろうか。

この程、文部科学省が学力・学習状況を調査した結果が出た。生活習慣と平均正答率に関する指摘があり、

「朝食を毎日食べている子供」・・・・平均正答率64
「朝食を全く食べていない子供」・・・平均正答率44

「家で宿題をしている子供」・・・・・・平均正答率65
「全くしていない子供」・・・・・・・・・・平均正答率41

等の結果が出たそうだ。他にも学校への持ち物の準備をしているか、家族と学校での話をしているか、等の問いに、「している」と答えた子供と「していない」子供との平均正答率の差も、ほぼ同様だという。
この様に生活習慣と正答率に相関関係があるので、保護者各位は子供の生活習慣を振り返って頂きたい、との資料があるのだが。

子供にとってリズムのある生活が重要なのは、シュタイナーを持ち出すまでもなく、当然の事だ。これだけ多様化した社会だから、事情によっては「規則正しく」とはなかなかいかない家庭もあるだろうが、出来るだけ意識を向ければ補いは出来る筈である。

リズムのある生活は、子供の健康は無論、精神面にも大切な事で、「正答率」はその副産物に過ぎない。
それを、あたかも「正答率を上げる」為に、生活習慣を見直すように指導するのは、本末転倒もいいところではなかろうか。
それとも、「正答率」を持ち出さなければ、今の親には響かないのか。

冒頭で、私は文系の成績が良かった、と書いたが、それも中三の途中からで、それまでの成績は惨憺たるものであった。通知表の5段階評価では、

 「 2 2 2 2 2 ・・・」

って、カルガモの行列の様で、可愛い。
そんな私の当時の生活習慣。
「朝食は毎日食べる」     「宿題は毎日する
「持ち物の準備はしている」  「家族と会話はしている

ちゃんとしてるのに、この成績って。

・・・私は例外って事で。

子供を抱きしめよう

私は一人っ子だが、血の繋がらぬ姉がいる。

などと意味深な事を書くと、何やら出生の秘密めいた匂いがするが、何の事は無い、上級生の母・フォアグラさん(仮名)を、一方的に「姉」と慕っているだけである。
彼女と並んでいると、時折「似てるね~」等と云われる。美人さんのフォアグラさんに似てると云われて、私は単純に嬉しいが、あちらはどうか。
「乙女」と名乗りながらも私は生物学的には「オス」に分類される。男である私に「似てる」と云われたところで、苦笑するしか無いであろう。

それでも、「妹にして~!」という私の倒錯丸出しの申し出を受け入れて下さる懐の深さを、彼女は有しておられる。

さて、先日、ドイツ人の宝船先生(仮名)のゼミナールが開かれたのだが、初日の講座は、私は参加出来なかった。
そこで、姉・フォアグラさんのノートをコピーさせて貰う。

内容は、思春期の子供の内面や、親の向き合う姿勢について等。
フォアグラさんのノートは、常より綺麗にまとまっているが、今回は一段と真摯さが伺える。

その筈で、フォアグラさんの娘・ポンパドールちゃん(仮名)は、もうじき七年生、思春期へのカウントダウンが既に始まっているのだ。
来るべき思春期に、今まさに、フォアグラさんは備えている。

我が娘・ぴーぽこ(仮名)は、まだ一年生だが、思えばついこの前は赤子だったのだ、ぼやぼやしていると、思春期を迎える歳になるだろう。フォアグラさんに限らず、上級生の母達は一様に「あっという間だよ~!」とおっしゃる。
今出来る事を、可能な限りやろう。

ノートによると、思春期は「個」の誕生の時期、あたかも母体から「おぎゃあ」と生まれるように、若者の中で、新たな感情の能力が生まれ出ずるそうだ。
この時期は、親にとってはつらい事だが、「子供から手を離す時」だと云う。

「手を離す」とは、勿論比喩で、これまで子供の為にしてきた事を手放し、違った形での関わりを持つ、という事を意味する。

また、「手を離す」の文字通り、思春期の子供は親と手を繋ぐ事も嫌がるだろう。そうした事も含め、精神的にも肉体的にも、親は「手を離す」、という事だろうと、私は解釈した。

と云うのも、以前の金毘羅舟ふね先生(仮名・ドイツ人女性)の講座を思い出したのだ。
0歳~7歳の子供にとってスキンシップは重要。また、それ以後も三年生(9歳)位までは、スキンシップは必要。それ以後はケースバイケース、もう必要無い子もいれば、まだまだ甘えたい子もいる。甘えたくても照れて、わざと嫌がってみせる子もいる。子供の様子を見て判断すべきだ。
この時期に十分な愛が注がれないと、大人になってから問題が生じる、と。


(『大人になってから問題が生じる』などと書くと、『うちの子はもう手遅れ!?』と思われる方もおられるだろうが、『どの時期からでも補いは出来る。遅過ぎる、という事は無い』というのがシュタイナー教育の理念)

そうだ、思春期になれば、子供の方でスキンシップなど御免被るだろう。今の内に、子供にとって十分なスキンシップを持つべきだ、それが今やるべき事の一つだ、と、再認識したのだ。

子供を、抱きしめよう。

中には、例え我が子と云えど、スキンシップ自体がどうしても苦手、という人もいる。そういう悩みを抱える方々には、容易な事ではないだろう。
が、子供と触れ合う時期など、人生の中ではそう長い歳月ではない。それに、一日二十四時間、のべつ触れ合う必要も無い。一日何度か食事をする様に、何度か子供と向き合い、愛を注げば子供の心は充電される。

スキンシップが苦手な親に抱かれた子供は、無意識に、心の奥深くで、「お母さんは、本当は私と触れ合うのを嫌がっている」と見抜くだろう。が、次に、「お母さんは触れ合うのが苦手なのに、それでも私を抱っこしてくれているんだ!」と、理解してくれるに違いない。(飽くまで、意識の届かない、心の奥底で)

案外、「子供とのスキンシップが苦痛」という悩みを持つ人ほど、それに取り組めば、子供とより強い絆で結ばれる可能性があるのかも知れない。

また、腰痛等で、子供を抱っこやおんぶ出来ない人もいるだろう。

が、パンが無ければケーキを食べればいいじゃない。

抱っこが無理なら、手を繋げば良い。
手に障害があるなら、添い寝するのでもいい。
添い寝する体が無ければ、首だけで頬擦りすればいい。
首も無いなら、心を寄せればいい。…って、それはもはや「『スキン』シップ」ではない。
が、肌で触れ合うと同時に、子供と向き合う、心を寄せる、というのも重要な事だ。

この、「スキンシップ」の講座を聴いた日、同じ一年生の母・ウズメさん(仮名)、

「今日、早速実行しようよ!お迎えの時、皆で子供を抱きしめよう! 」

と、提案。授業が終わって教室から出て来る子供達。

子供の視線の高さにしゃがんで両手を広げ、笑顔でそれを迎える母達。

この常ならぬ異様な光景に、一瞬戸惑う子供が一人。が、すぐに満面の笑顔で母の胸に飛び込む。
他の子供達も、皆嬉しそうに、銘々の母めがけて駆けて来る。それを受け止め、抱きしめる母達。多聞に漏れず、ぴーぽこも私に抱き付く。
一年生は、まだまだ甘えたい盛りなのだ、と実感した。

思春期まで、まだ猶予がある。改めて、今の内に、

子供を抱きしめよう。

以後、時々思い出しては、私もこうして出迎える。

先日も嬉しそうに、私に駆け寄るぴーぽこ。
目前で、フイと身をかわし、ケタケタ笑って逃げ出した。

・・・ちッ。フェイントを覚えたか。

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