2008年05月

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  2. 2008/05/13 テストの無い学校
  3. 2008/05/07 田んぼで発見!ピンクの蛙

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テストの無い学校

学校のゼミナール委員会の時、上級生の母、小リスさん(仮名)から、恐るべき話を聞いた。曰く、

「都心の方じゃ、子供にお受験させない親は、『育児放棄だ!』って云われるんだって~!」

・・・なんですと?都心からやや離れているとはいえ、ここも東京。私の周りではそんな話は聞いた事が無い。都市伝説の類ではないのか?
もし本当だとすると、この理論に則れば、このシュタイナー学校の親は

全員育児放棄
ということになる。

なにしろこの学校には、テストが無い。

シュタイナー教育がテストを必要としていない理由は、いくつかある。
例えば、子供には、学んだ事を一旦忘れる、という作業が必要だからだ。
表面的には「忘れる」が、それは心の奥深くで熟成され、単なる「知識」ではない、本当の力となって、その子の身に付く、というのだ。
テストによって常に「思い出す」事を強いていると、学んだ事について、表面的にしか捉えられなくなるのだろう。

・・・って、なんだか分かったような分からないような話だが、もっと単純な理由として、

テストをせずとも、子供達は学ぶ

からだ。
本当にこの学校の子供達の学びへの意欲には驚かされる。

それはシュタイナー教育のカリキュラムが、子供の年齢や心の発達度合いに応じて様々に工夫されている事もあるだろう。(カリキュラムの具体的な内容については、今後も折に触れて紹介していきたい。)
が、そもそも子供とは、本質的に学びたがっている存在なのではないだろうか。

知る、学ぶ、分かる、出来る、といった事に対して、子供ほど素直な喜びを感じる存在は無いであろう。それを、テストによって大人が評価する事で、素直な喜びが歪んで行く。
また、勉強意外でその子が興味を持っている事に関しても、「そんなテストにも出ないような事を覚えてどうする!」などと親や教師に云われたりすれば、無限に広がる子供の世界が、瞬く間に狭いものとなってしまう。

私なども幼少の砌から狐狸妖怪の類が大好きで、仲間内では博士号を賜っていた。
恐竜に詳しい子が「恐竜博士」、虫なら「昆虫博士」などと呼ばれる、あれだ。

「妖怪博士」。まるで南方熊楠か井上円了である。

ただ、残念な事に、小学校の授業には「妖怪学」は無い。受験には一切役には立たないのだ。

私が妖怪やら妖精やらに惹かれたのは、別段「妖怪検定」に合格しようと思ったからではない。今でこそ「境港妖怪検定」というのがあるが、当時は「妖怪検定」など無いし、あっても履歴書の資格欄には書けない。
資格:妖怪検定ぬらりひょん級取得。人事部長に一笑に付されて終わりである。

それでも私が子供時代、妖怪や妖精、仏像(特に天部)などに詳しかったのは、単純に興味があったからに他ならない。興味さえ持てば、子供とは元来どんどん学ぶ存在なのだ。

赤子に至っては、テストもしないのに言語を獲得するではないか。子供・・・いや、人間という存在自体、本来学ぶ事への欲求を持っているのだ。

二年生の娘・ぴーぽこも、文字や数の学習のみならず、笛の練習に余念が無いし、驚異的な速さで一輪車乗りも上達しているそうだ。上級生の姿を見て、「早くあんなふうに、色々な事が出来るようになりたい!」と憧れている。

こうした次第で、小リスさんを中心に、次回のゼミナールのテーマは「テストがなくてもどんどん学ぶ!子育て講座」に決定した。

「テスト」といえば、高校の共通模試で、「賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に破れた武将の名を書け」という質問が出た。「名を書け」とは、随分居丈高な物言いだ。
答えは当然「柴田勝家」なのだが、私はなんの気無しに、歴史小説で馴染み深かった「柴田権六」の名を書いた。(勝家は忌み名、権六は通称)

採点結果は、×
厳密に云えば賤ヶ岳の戦い当時の秀吉の姓は、「豊臣」ではなく「羽柴」である。こっちはそれに目をつぶってやってるのに、テメェは「権六」ではダメときた。
日本史の教師に異議を申し立てると、
「う~ん、俺なら○をやるんだが・・・模試の採点者は模範解答でしか採点しないからなぁ・・・。ま、今度から教科書通りに書いとけ」
だって。

「教科書通り」と指導したこの教師は、まだまっとうなほうで、何かで読んだのだが、

「漢字の書き取りで『未』『末』か分からなくなったら、横線を同じ長さに引いておけ」
などと教える教師がいたという。
・・・子供に姑息さを教えてどうする。

マークシートが導入された直後もひどかった。
参考書を読むと、「選択肢だけ読んで、出題者の心理を読め!」って、もはや心理学である。

挙句の果てに、化学の元素記号周期表・ハロゲンの覚え方、

 F  Cl  Br  I  At
「ふっくらブラジャー愛のあと」

だって。受験生に妄想させるなっての。


※ゼミナールに御興味を持たれた方は、「リンク」の「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」を御覧下さい。学校の公式H.P.です。



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田んぼで発見!ピンクの蛙

子供の頃、クラスに一人は他愛も無いウソツキがいて、「うちにはドラ○もんが居る!」などとどうしようもない嘘をついていたものだ。
そいつの家に行ったところで青いネコ型ロボットがいるべくもない。
「今、タイムマシンで、未来に行ってる!」って、なんだその云い訳。

が、これから私が話す内容も、ともすればそんな嘘と同一視される危険性を孕んでいる。

なにしろ、埼玉の田圃脇の小川で、ピンク色の蛙を見たのだ。

海外の蛙、特にヤドクガエル類は黄色コバルトブルー等の、鮮やかな原色のものもいるが、日本の蛙は大抵茶色、アカガエル類でさえ鮮やかな赤ではなく、赤褐色、レンガ色だ。
だが、私は確かに、ピンク色の蛙を見た。

順を追って話す。

あるつてで、ぴーぽこと共に埼玉の某所に農業体験に参加した。空気が澄んだ、自然に囲まれた田園である。
そこで喫茶店を経営しながら農業を営むぽっぽさん夫婦(仮名)の御指導で、米作りを体験するのだ。

ぽっぽさん夫婦が行っているのは、原始的な水稲栽培である。
「自然農法」や、シュタイナーの「バイオダイナミック農法」等と共通しているのは、農薬や化学肥料を使わず、作物の生命力を強め、それに任せる栽培法である、という事だ。

シュタイナー教育では「直接体験」を重視しているが、この日の体験はまさにそれにもってこいのものであった。
泥田の手触り、足触り。泥の表面は太陽の熱で温まっているが、奥はひんやりとしている。
また、泥の匂い、草の匂い、風の涼やかさ。これらは本やテレビ画面からは得られない。

さて、この日は午前中に籾撒き体験。ぴーぽこも泥田に足を沈め、丁寧な手つきで籾を撒いてゆく。
そして皆で持ち寄ったお弁当を分け合って食べた後は、しばしぴーぽこや、一緒に参加した子供達と、田圃や小川で遊ぶ。

実は、我々親娘のもう一つの目的は、蛙の捕獲である。我が家ではイグアナやら蛇やらイモリやら、色々飼っているが、蛙も飼おう、という魂胆だ。
家を出る時、蛙を捕る気満々でプラケースを用意する我々に、妻・みぽちは「これ以上、生き物を増やさないでよ!」と釘を刺して送り出したが、そんな事はノン・シャラン。子供達と蛙捕りに興じた。

キリリリリと鳴いているのは、これから繁殖期を迎えるシュレーゲルアオガエル。が、土中に隠れているので、姿は見えない。
水場のオタマジャクシは、ぽっぽ旦那さんによると、推定ヤマアカガエル。畦で跳ねているのは、トウキョウダルマガエルで、これが沢山いる。
田圃脇の小川にはツチガエル、遠くからカジカガエルの声さえ聞こえる。ここはまさに蛙天国である。

それにしても、蛙は不思議である。種類によって、繁殖期が違うのだ。
最も早いヤマアカガエルやヒキガエルなどは、二~三月頃に一度冬眠から覚めて卵を産み、暖かくなるまで再度冬眠しなおすのだ。わざわざ二度寝をする位なら、暖かくなってから産卵すれば良いではないか。
が、もし全ての種類の蛙達が、冬眠から覚めていっせいに産卵したとすると、その蛙達の生息域の水辺は、いっぺんに生態系が崩れてしまうだろう。

そうならないように、それぞれの種類によって、早春から夏にかけて、時期をずらして産卵するのだ。

また、一説では、繁殖期が同じであるトノサマガエルとダルマガエルは、同じ地域ではそれぞれ時期をずらして産卵していたのだが、生息地が激減している事から敢えて産卵時期を同じにし、自然交雑する事で生き残りを図った、という。(その自然交雑種が、トウキョウダルマガエル)

まるで、各種の蛙の代表が「蛙サミット」を開催し、相談でもして繁殖期を決めたのではないか、と思える程、よく出来ている。
蛙サミットはともかく、何か自然の見えざる力が働いている様だ。この、自然の見えざる力を感じる事を、シュタイナーは重視していた。

さて、子供達とツチガエル、トウキョウダルマガエルを計五匹捕まえたが、生態系を崩さぬよう、各一匹ずつだけを連れ帰り、飼育する事にした。
かえるすいそう
ドジョウの水槽をアクアテラリウムに改造、水場ではドジョウが泳ぎ、奥の陸地に二匹の蛙が暮らす。

その、蛙捕りの最中、小川の方から大人達が呼ぶ声が聞こえたのだ。
「あき乙女さ~ん!珍しい蛙がいる~!」
ぴーぽこを置いて駆け出す私、蛙の入ったプラケースを大事そうに抱え、必死で追いかけるぴーぽこ。
「まだいますか?どこですか?」
「そこです、そこの水の中!」

指された所に目を凝らすと、清流の中、石に擬態した蛙の上半身。下半分は石の下に潜らせている。

これが、ピンクなのだ!然も結構でかい。手の平ぐらいはあるのではないか。
「ピンク」といっても灰色を帯び、ややくすんではいるが、確かにピンクなのだ。駆け付けた子供達も歓声を上げる。

「あき乙女さん、これ、何ていう蛙ですか?」
「さぁ・・・?」
云いつつそっと石をどかすと、ピンク蛙の全貌が明らかになった。
全体的にピンクだが、腰のあたりは褐色がかり、腹部から足にかけては黄色味を帯びている。
色や体型から察するに、
「多分・・・ヤマアカガエルだと思うけど・・・こんな色は初めて見ました!」

蛙の体色など同種でも個体差があるし、同じ固体でも温度等の条件で結構変わる。

それにしても、ピンク・・・。
デジカメを持たずに来た事を後悔する。私は携帯すら持っていないのだ。
同行した方々も、カメラのフィルム切れや、手元に携帯やカメラが無かったりで、誰も撮影出来なかった。
つまり、証拠が無いのだ。だが、信じて欲しい。

本当に、巨大なピンク色の蛙が居たのだ!

そして、その蛙がこう云ったのだ。
「私は、実は人間なのです。悪い魔女の魔法で、蛙の姿に変えられてしまったのです」
それなら、魔法を解く方法を知っている、おとぎ話でも有名だ。
私は人助け、と思って、蛙にそっと接吻した。
すると忽ち魔法は解け、蛙は元の林家ぺーの姿に戻った。
それでピンク色だったのか、と、合点がいった次第だ。

いやいや、途中からくだらない嘘話になってるって!こんなつまらぬ駄話を入れたら、話全体が胡散臭くなるっての。

本当は蛙の正体は、林家ぺーではなく、林家パー子だった。

って、これも嘘じゃん!

帰ってから改めて考えてみたが、大きさや痩せ具合から、産卵後間もないメスのヤマアカガエルかと思われた。が、ヤマアカガエルの産卵期はとっくに終わっている。
色や形態が最も近いのはタゴガエルで、これなら産卵期も符号する。が、それにしてはあまりにも大きすぎる。調べれば調べる程、謎は深まるばかりだ。

もういいや、魔法をかけられた林家ぺーって事で。




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