2008年10月

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  2. 2008/10/30 インコの様に、育児
  3. 2008/10/23 人間の本質とは(5)~動物の「エーテル体」とメタモルフォーゼ~
  4. 2008/10/16 メルヘンとキャラ弁
  5. 2008/10/05 BGMの無い運動会

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インコの様に、育児

サザナミインコの「るーたん」(本名はセラフィー)が我が家の一員になってから、二ヶ月経つ。

セラフィ 005 @
詳しくは妻・みぽちのブログ「コトリマンガ。」

あるインコの飼い方の本によると、インコは歌ってあげると喜ぶ、特に歌にインコの名前を織り込んで歌うと、更に嬉しがるそうだ。

・・・なんですと?

早速試してみる。手乗りのるーたん、後頭部を掻いてやると気持ち良さそうに顔の羽毛を膨らます(インコが心地良い時の行動)
そこで、二年生の娘・ぴーぽこ(仮名)が、学校のリズムの時間に習った「ブルッキーのひつじ」の歌を歌ってみた。元は、

「♪みみのうしろをかいてやる こひつじはいった めぇめぇめぇ」

という歌詞。それを替え歌で、

「♪み~み~の~うしろ~を~ か~いてやる~
るーたんは~いった~ きゅー~きゅーきゅー」


と歌いつつ掻いてやっているうち、今ではこう歌うだけで顔の羽毛を膨らませ、頭を「掻いて」と云わんばかりに差し出すようになった。
「ただの条件反射」とも思えるが、時々甘えたい気分ではない時は、逃げる。この事からもパブロフの犬的な、単純な「条件反射」ではない事が分かる。

思えば、鳥は言語的な「歌」を獲得した生き物である。
美しい鳴き声は勿論歌のようだが、あまり美しくない声であっても、一定のリズムに則っている。つまり、音楽的と云える。

無論、虫や蛙の鳴き声も音楽的ではある。が、それは「言語的」ではない。
勿論「言語的」な一面もある。そうでなければ鳴く意味が無いからだ。
虫の言語は概ね2、3種類だ。縄張りを示す為や、餌場を知らせる為であるが、最も大きい理由は、「求愛」である。つまり彼等は、

「モテたいっす~、ヤリたいっす~」

という思いを歌に託しているのだ。・・・って、下世話過ぎるっての。彼等にとっては自らの遺伝子を残せるか残せないか、切実な問題なのだ。

蛙も主に「求愛」の為に鳴くが、「解除コール」というのもある。蛙なのに「帰るコール」じゃなくて「解除コール」って。
これは、あるオスが別のオスをメスと勘違いして抱き付いて来た時、

「俺は男だ!」

と、森田健作ばりに宣言する鳴き声の事だ。間違えた蛙は速やかに離れる。交尾が切実なのは蛙とて同様なので、間違っても「いいや、この際、お前の尻を貸せ」という事は起こり得ない。

これらが何故、厳密には「言語的」と云えないのかと云うと、虫にせよ蛙にせよ、鳴くのは基本的にオスだけだからだ。つまり一固体による一方的なアピールや通告であって、その種全体のコミュニケーションをとるものではないのだ。

その点、鳥は雌雄に関わらずに鳴く。また、虫や蛙の様な個的なアピールに加え、外的の襲来や点呼といった、仲間社会に向けての鳴き声を上げる種もあるし、喜怒哀楽を表現する種さえある。鳴き声によって、その種全体で意思を伝え合う。ここで、「言語的」要素が凝縮されたと云えるのではないか。

また、虫は、厳密には「鳴く」というより「鳴らす」のだ。その意味では「歌」というより楽器の「演奏」と云えよう。蛙は声帯と器官(喉袋や頬袋)を同時に使う。
鳥に至って、声帯を使い、呼吸と共に、人間のように「歌える」ようになった。

さて、最近オイリュトミー教師の風姿花伝先生(仮名)から、興味深い話を伺った。
低学年以下の子供には、歌うように話すとよい、との事。

・・・なんですと?・・・インコと同じ!?

だが、確かに思い当たる。例えばぴーぽこに、
「ちゃんと片付けてって云ったじゃん!」
等と感情的に注意したり、ましてや子供相手に説教しても不毛なだけであった。が、歌いつつ促したところ、お互いに良い結果が得られたことが、何度もあったからだ。

私:「♪ぴーぽこさん」

ぴ:「♪な~ぁ~に?」

私:「♪おっ片っ付け」

ぴ:「♪は~ぁ~い」

といった塩梅に。

風姿花伝先生によると、シュタイナー教育で云うところのルビコン世代、九歳頃までの子供は、こうした呼びかけに反応するそうだ。

何故か。

理由を書くと長くなるし、私自身人智学の門前の小僧風情、その理由を正しく把握しているかは疑問である。
ただ、上記のように、蛙や、一部の虫はリズミカルな音響を有している。鳥は、声帯の発達により歌うことを獲得し、それによってコミュニケーションのバリエーションを広げた。

人間はどうだっただろう。「言語」を獲得する前の人間は、どのようにして他者と意思の疎通をはかっていたのだろうか。この問いに、秘密が隠されているだろう。

実際、音楽やリズムは人間にとって心地良い。寝ぐずりで泣く赤子に、
「寝なさい、人間、特にあなたのような乳幼児には殊更に、睡眠が必要なのです」
と語ったところで、相手はまだ言葉を獲得していない赤ん坊、「はい、そうですか」と眠りはしない。
が、胸などを優しく、リズミカルに叩きつつ、子守唄を歌えばどうだろう。他の理由で泣いているのでない限り、やがて落ち着き、眠り出すだろう。

また、「歌うように話す」という風姿花伝先生の言葉で、思い出される事がある。ぴーぽこがかつて通っていたシュタイナー系幼稚園での事だ。
送り迎えや、親参加のイベント等で、度々目にした光景。

子供達が、ざわついている。さて、先生のお話が始まる。
そんな時、先生達は、決して大きくはない声・・・ざわついている子供達が、よく聴き取れるな、といった程度の声で、

「♪こっどもったち」

と、鳥がさえずるように歌いかける。すると、それまで銘々騒いでいた子供達が、一斉に

「♪は~ぁ~い」

と、先生に向き直り、静かに先生の言葉に耳を傾けるではないか。それも、訓練といった風ではなく、ごくごく自然に。
幼い子供にとっては、ただの「言語」よりリズムにのった言語~「歌」~の方が、浸透しやすいのであろう。

あるお父さんが、先生のこうしたやり方に感銘を受け、遊びに来た園児達にこれを試していた。大柄な彼は、子供達の相手をしつつ、渋い低音で、

「♪こっどもったちっ」

とやった。子供達は笑いつつ、からかう様に、

「♪云っわなっいよっ」

と答えた。
子供達が「♪は~ぁ~い」と答えなかったのは、付け焼刃だからでも、歌声が低音だからでもない。
そもそも、彼の試みは、成功を収めているのだ。
何故なら、当の子供達自身気付いていないのだろうが、

「♪云っわなっいよっ」

って、しっかりリズムに乗って返事してるっての。


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人間の本質とは(5)~動物の「エーテル体」とメタモルフォーゼ~

エーテル体の働きの一つに、物質体(肉体)を成長させる、というものがある。これは、暫しメタモルフォーゼ~変容~を伴い、劇的に行われる事がある。
それは、特に動物界において顕著だ。

微生物の様なゾエアが、カニやエビといった甲殻類に成長したり、柳の葉の様なレプトケファルスが、ヘビの様な姿のウナギに成長したりと、枚挙に暇がない。

身近な例としては、オタマジャクシの成長を観察した事がある方も多いのではないか。
両生類のメタモルフォーゼは、実に劇的だ。
イモリやサンショウウオといった有尾目は、まだよい。特に外エラがあるまま幼生成熟したメキシコサラマンダー(ウーパールーパー、アホロートルとも)などは、
「あら~、すっかり大きくなっちゃって・・・でも、やっぱり小さい頃の面影が残ってるわねぇ・・・」
などと、親戚のおばさんのような言葉をかけたくなる。

が、無尾目、つまりカエルはどうだろう。音符のようなオタマジャクシが、あの姿に成長するのである。

面影のカケラも無い。

このメタモルフォーゼは、姿形のみにとどまらない。

まず、食性が変わる。
草食だったオタマジャクシは、足が生えた頃から雑食化してゆき、カエルになったら完全に肉食になるのだ。
また、オタマジャクシはエラ呼吸、カエルは肺呼吸と、呼吸法まで変わる。その為、カエルに変態しかけている、または変態したばかりのカエルは、しばしば溺れ死ぬことさえあるのだ。
こうした変化は勿論、内臓にまで及ぶ。

更に劇的なのは、ハエ(双翅目)や蝶(鱗翅目)、カブト虫(鞘翅目・甲虫目)などといった、一部の昆虫たちである。
彼等は幼虫と成虫の姿が全く違うばかりか、その間に「蛹」という時期があるのだ。

幼虫が脱皮を重ねて成長してゆき、十分に成長したところで、幼虫最後の脱皮が行われる。幼虫の皮が裂け、内部から蛹が登場する。これだけでも既に劇的なメタモルフォーゼである。

更に劇的なのは、蛹の内部だ。一部の器官を除き、彼らの内部はドロドロの状態になり、成虫としての体が再構築されるのだ。
恐らく、青写真としての成虫のエーテル体があり、その働きかけによって、物質体としての蛹がかくも劇的なメタモルフォーゼを遂げるのではないだろうか。

これに近い事が、実は人間でも起こっている。
水疱瘡、はしか、おたふく風邪といった小児病がそれである。って、いや、別にはしかに罹っている間に体内がドロドロになっている訳ではない。

子供の身体は、母親の胎内で形成される。子供は、大好きな母親の胎内で、体を提供してくれた母と共に、物質体としての「肉体」を作り上げるのだ。
実に尊い事ではあるが、こうして母親が提供してくれた体は、いわば「モデル」であり、必ずしも子供の魂に合致した肉体ではないのだそうだ。
子供は産まれてからおよそ七年をかけて、愛すべき母が提供してくれた体を、自分の魂に相応しい体に作りあげるのだという。
その為に、小児病の力を借りて、体を再構築するのだそうだ。例えば発疹により、皮膚はより強くなる、といった様に。

小さな我が子が、熱に苦しむ姿を見るのは、本当に辛いものだ。
が、その時子供の体内は、あたかも蛹の内部で成虫としての形姿が再構築されているかのように、自分に相応しい体を作り変えている、メタモルフォーゼの最中なのだ。

この様に、子供のエーテル体は、肉体の成長やメタモルフォーゼの為に多くの力を注ぐ。歯が生え変わる頃、その作業を終了したエーテル体は、胎児が母体から産み出されるように、「誕生」する。

さて、私の学生時代、自分の体についての関心事と云えば、ちんぽのメタモルフォーゼについてであった。
いや、下ネタでお茶を濁そうというのではない。男のお子さんをお持ちの母親の中には、息子さんのムスコさん、つまり「お孫さん」についての悩みを抱える方も少なくない。
どうも旦那さんには相談しづらい方が多いようで、私も何度となくママ友に相談されたものだ。いわばスピリチンポ・カウンセラーである。
ここで、ついでながらそのことに触れよう、というのだ。なお、「シュタイナー育児」のブログで「ちんぽちんぽ」と「ちんぽ」を連発するのも如何なものかと思うので、以後「お孫さん」と呼びたい。

さて、ちんぽいやさお孫さんのメタモルフォーゼといえば、包皮を被っているか、ムケているか、という事だ。件の関心事とはそれで、大学時代などはムケている者は「エリート」、仮性包茎は「部下」という、得体の知れないヒエラルキーすら存在していた。

乳幼児の男の子を持つママ友からの相談事もそれについてが多く、

「息子の『孫』を、今のうちからむいてあげた方がいいのかしら、そっとしておいた方がいいのかしら?」と。

かつて喜納昌吉 は「泣きなさい 笑いなさい」と歌ったが、私はこう答えたい。

「むきなさい 洗いなさい」

ただし、入浴時のみに止めておくべきだ。(むいたり洗ったりは子供が痛がらない範囲で。亀頭はこすらず、ぬるま湯でそっと流す)
つまり、清潔を保つ習慣さえつけておけばそれで十分、形状がムケているかいないかなどは重要ではない。

こうした母達の悩みや、男子の包茎ヒエラルキーが起こるのは、「ムケた『孫』が良い」という思い込みがあるからで、それは男性誌などによくある包茎矯正器具や○○クリニックといった業者が作り出した幻想に過ぎない。
そもそもそうした業者のよくあるコピー、

「包茎ボーイじゃモテないぞ!」

って、服着た上から包茎かどうかなぞ分からないだろっての。
それとも何か、自己申告か?
「俺、ムケてるゼ!」って、そんな事吹聴する男がモテるとは思えない。
また、ムケてはいるが、さしてモテない友人も知っている。

真性またはカントン包茎は別として、仮性なら問題は無いし、それが自然であることは、ミケランジェロの「ダビデ像」が教えてくれている。

尚、私のそれはメタモルフォーゼを遂げてはいないが(仮性)、ノン・シャラン。




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メルヘンとキャラ弁

二年生の娘・ぴーぽこと共に、埼玉の田んぼの稲刈り体験に行った。
ぴーぽこは、同行の七年生・ポンパドールさん(仮名)は勿論、その母・フォアグラさん(仮名)にもすっかりなついており、田んぼへの道すがら、フォアグラさんの後を付いて歩いていた。

途中、ススキの穂を見付け、手折る二人。と、ぴーぽこは一度手にしたススキの穂を、元に返す。

「いらないの?」

と聞くフォアグラさんに、ぴーぽこ、

「帰りに取って行く~!」

と答える。確かにススキを持って稲刈りするのは邪魔で仕方なかろう。
そんなぴーぽこに、フォアグラさんはこう云った。

「じゃあ、ぴーぽこちゃんが戻るまで、『誰にも取られないように待ってて』って、ススキに云っておこう!」

なんと見事な受け答えではないか。低学年の子供に対して、こうしたメルヘン溢れる対応がサラリと出来るのは流石であり、実に親として見習うべきものがある。私が(一方的に)姉と慕うだけのことはある。

つつがなく稲刈りを終えた帰路、ぴーぽこはまたフォアグラさんに付いて歩き、無事、例のススキを回収した。
帰宅後、ぴーぽこが、

「・・・ススキはちゃんと(フォアグラさんの)云う事をきいてたねぇ・・・」

と呟いたのが印象的であった。
そりゃあ、ススキなど別に珍しくもない、わざわざ持って行く人もそうはいるまい。
が、ぴーぽこには、ススキが「誰にも取られないように待ってて」とのフォアグラさんの云い付けを守り、ぴーぽこをじっと待っていたように思えたのだろう。

七歳までの子供はメルヘンの世界の住人である、と、シュタイナーは云う。その後も、鐘の音が余韻を響かせながら消えてゆく様に、暫くは余韻の様にメルヘンの作用は続く。
ぴーぽこはまだ、メルヘンの余韻の中に居る。

また、こんな事もあった。
学童の帰路、家の近くの道端に、一匹のヒキガエルが佇んでいるのを見付けた。ぴーぽこに示したところ、

「あ!ウォートン!!」

「ウォートン」とは、ラッセル・E・エリクソン作の物語・「ひきがえる とんだ大冒険シリーズ」の主人公の、気のいいヒキガエルの名前である。

シュタイナーによると、子供に語る物語の好例として、主人公が冒険~時に、命懸けの~をして、ハッピー・エンドで終わるものが望ましいそうだ。
そうした意味でこのシリーズ、特に一作目の「火よう日のごちそうはひきがえる」は、まさにそのお手本とも云うべき傑作であろう。
担任のウール先生(仮名)がこの物語をクラスの子供達に読み聞かせて以来、ぴーぽこはこのシリーズが大好きになったのだ。

さて、ぴーぽこは道端のヒキガエルを眺めて、

「あれ、ウォートンかなぁ!?」

ここで、フォアグラさんのような、メルヘンに富んだ返しが出来るかどうか、私の真価が問われる場面だ。月並みだが、「そうかも!話しかけてみようか!?」ぐらいの事を云おうとして、口をつぐむ。
・・・この近所では、ヒキガエルがよく車に轢かれて潰れているのを目にする。もし、このヒキガエルをウォートン、という事にして、その後、そのカエルが車に轢かれでもしたら。
翌朝の通学中、この場所でヒキガエルの轢死体を見る事になろう。

「・・・ウォートンが・・・ウォートンが、車に・・・

と、ショックを受けるであろう事は、火を見るより明らかである。
そうした判断により、私には

「・・・でも、このヒキガエルはウォートンみたいな服を着てないねぇ・・・」

と、面白くも何ともない返答をするのがやっとであった。納得したぴーぽこ、

「あ~、ウォートンに会ってみたいなぁ・・・」

と、完全にメルヘンの住人。

そこまでご執心ならば、と、翌日のお弁当はウォートンのキャラ弁を作ることに。
と云っても、巷で流行っているような本格的かつ芸術的なそれではない。朝の忙しい時に、そんな創作活動をしているような余裕は、私には無い。
また、リアル・ウォートン、つまり本物のヒキガエルを弁当箱に詰める訳でもない。そんな事をしたら、児童と動物、ダブルで虐待である。

なんのことはない。まず、前夜の残りのソバメシを、弁当箱に敷き詰める。
そして、その茶色いソバメシの上に、マヨネーズで、

ウォートン

と、カタカナで書いただけである。

・・・って、「キャラ弁」か、それ!?

私にすれば、一寸した下らない思い付きである。が、ぴーぽこは、意外な程喜んだ。
ぴーぽこだけではない。その日のお弁当の時間、クラス中の子供達が全員、ぴーぽこのお弁当を見に来て面白がっていたそうだ。
お迎えの時などもクラスメイトのマーライオンくん(仮名)と、
マ:「明日は『モートン(ウォートンの弟)』って書いて貰ったら?」
ぴ:「うん、そうする」
などと話していた。

ウール先生の報告によると、ぴーぽこは

「どこから食べようかな~・・・」

と云って暫く箸を付けず、結局かき混ぜて食べていたそうだ。

・・・そこまで感情移入するか、カタカナに。






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BGMの無い運動会

運動会の定番BGMの一つに、アラム・ハチャトゥリアンの「剣の舞」がある。
子供時代、運動会が嫌いだったというか、むしろ憎んでいた私は、まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎しで、この曲が嫌いであった。
大人になって、改めて組曲・「ガイーヌ」を聴いて、やっと「剣の舞」の良さに気付いたが、それまでこの曲を聴く度に、子供時代の運動会の、憂鬱な気分が蘇っていたものだ。

最近では流行の曲やアニメソングをBGMにしている学校も多いようだが、「子供を楽しませる工夫」と受け取れば結構なことだろう。が、行き過ぎると、学校が子供達に迎合し、おもねっている様な印象を受ける時もある。
個人的な好みの問題ではあるが、私としては、そうした流行歌、アニソンが流れる運動会など、どうにもやりきれない。

そもそも、運動会にBGMは必要なのか?ダンスやら音楽に合わせた競技ならともかく、何故「剣の舞」や「トランペット吹きの休日」にせかされて徒競走を走らねばならぬのか。トランペット吹きも、休日ぐらい大人しく休んでろっての。

以前の記事・「少し変わった運動会」で紹介した、娘・ぴーぽこ(仮名)が通うシュタイナー学校の運動会では、BGMは一切無い。
無くても、相当に盛り上がるのだ。

また、競技によってはBGMがむしろ邪魔になるものもある。
例えば、二年生のぴーぽこが出場した、一・二年生の「障害物レース」。まだメルヘンの力が作用しているこの年代の子供達には、競技のやり方を「ルール」という形では説明しない。障害物を橋やトンネル、大蛇などに見立てて進み、最後に「勇者の剣」を手にしてゴールという、「競技」というよりむしろ「冒険」なのだ。

「タイヤをくぐって進むのがルールです」、これでは味気ない。
「トンネルを通って・・・」と云えば、子供達には、何の変哲も無い古タイヤが、冒険者達の前に立ち塞がり、避けては通れぬ洞窟になる。

さて、この競技、いやさ冒険で、最初に訪れる難関が、竜が潜む谷である。竜が起きて鳴いている間は通れず、眠っている間に通過せねばならないのだ。

まぁ、云ってしまえ途中で先生が銅鑼を「ボワ~~~~~ン・・・」と鳴らす。これが、竜の咆哮。これが鳴っている間は動きを止める、というのだ。

これは、結構難しいのではないか。「だるまさんがころんだ」等のように、音が鳴っている間に動き、音が止まると動きも止める、というのは簡単だが、逆は難しい。尤も「難しい」事をやるから「障害物」なのだが。

そして、御存知の様に、銅鑼の音は、

「ボワ~~~~~~~~~~~~ン・・・」

と、フェイド・アウトしてゆく。子供達は動きを止め、耳に全神経を集中させ、音が鳴り止むのに耳をそばだたせるのだ。
こんな時にBGMで、古くて音の割れたラジカセから大音量で「道化師のギャロップ」などが流れてもみよ。邪魔で仕方が無い。道化師も竜に食われるかどうかの瀬戸際でまで、おどけてギャロップなぞしている場合ではない。

他の競技中も、運動会にありがちなBGMは一切無いが、競技を見守る生徒や先生、親達の声援で、終始盛り上がっていた。

実は、この学校の運動会にBGMが無い事は、編入してこられた親の指摘で、はじめて気が付いた。
「あ、そういえば、普通運動会ってBGMかかってるよねぇ・・・」
といった具合に。
シュタイナー学校だからそれは当然、という思いもあったが、それにしても去年、今年と参加して、あまりその事に意識が向かなかったのは、BGMの無い運動会が、私にとってあまりにも自然で、違和感無く感じたからだろう。

剣が舞ったりトランペット吹きが休日を謳歌したり、道化師がギャロップするような、賑やかな運動会も良い。私には若干のトラウマはあるが、いかにも運動会、といった原風景を感じさせてくれるものである。
一方、この学校の様に、皆の歓声がBGM、という運動会も、決して悪くはないものだ。

とはいえ、終始無音ではない。開・閉会式の時の歌は、音楽講師のアコーディオン生演奏であったり、「七頭舞」はいつも通り、お囃子担当の生徒達による太鼓や笛の生演奏なのだ。
また、一~三年生の「アイヌの踊り」。親、教師、他学年の子供達の手拍子と唱和に包まれて、低学年の子供達は生き生きと踊っている。
こうした時、子供達は「周囲に守られている」と、無意識に実感するのではないだろうか。

さて、以前競技については「至って普通」と書いたが、学年競技にはこの学校らしい工夫も施されている。例えば低学年は、上記の通り、普通の障害物レースにメルヘンの要素を取り入れているように、他学年にもそれぞれの意味合いがある。
が、ここでは出し惜しみしておく。いずれ娘・ぴーぽこがその学年に至ったら、改めて紹介したい。(それまでこのブログを続けていれば、だが)

折角なので、書きそびれていた去年の運動会の情景を紹介したい。

生徒、教師、親、全員参加のプログラムが、パン食い競争である。
親は交代で競技に参加したり、パンを吊るした棒を支えたりする。
このパン支え係は面白いもので、大の大人が真剣に、あたかも池の鯉のように口をパクパクさせてパンに食らい付こうとする様を、間近に観察出来る。

やがて、「よ~い、ドン!」の合図と共に、パンを支える私の前に高等部担当教師のアンガール先生(仮名)が駆け寄り、パンと格闘を始めた。

袋入りのパン、普通は唇か歯で食い付く。
が、アンガール先生は舌を伸ばし、絡め取ろうとしている。

アンガール先生は、スラリとした長身。

その姿は、あたかもアカシアの木の葉を舌で巻き取って食べるキリンの様であったと云う。

と云うか、カメレオンじゃないので、舌で取るのは無理




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