2009年01月

  1. --/--/-- スポンサーサイト
  2. 2009/01/29 奇跡のことば、呪いのことば
  3. 2009/01/22 こびとさんからの手紙
  4. 2009/01/04 サンタの方向で

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

奇跡のことば、呪いのことば

「何かの本で読んだんだけど。シュタイナーによるとね、」と、ママ友・北政所さん(仮名)が話し出す。彼女の話は、いつも興味深い。

北:「シュタイナーによると、『奇跡』の言葉って云うのは、当たり前の事を云う事なんだって。で、その逆は、『呪い』の言葉。
つまり、例えば川に向かって『川よ、流れろ!』って云うのが、これが『奇跡』なんだって」


私:「じゃぁ、『流れるな!』とか『逆流せよ!』、『枯れよ!』と云うのは・・・」

北:「そう、『呪い』」

以上の話は又聞きなので、シュタイナーが実際にどの様に述べていたのかの裏付けは無いのだが、面白い話ではないか。

植木や鉢植えに優しい言葉をかけると元気に育つ、というのは、よく聞く話だ。
「元気にすくすく育ってね」「綺麗なお花を咲かせてね」
こうした言葉は「奇跡」の部類に入るだろう。

また、ある部族は、通行に邪魔な大木を、刃物を用いずに倒すそうだ。
どうするのかと云うと、皆して、その大木に罵詈雑言を浴びせ続ける。

「邪魔だ、このでくのぼう!」

「お前なぞ倒れっちまえ!」


一~数ヶ月こう云い続けると、その木は枯れて倒れるのだそうだ。気の長い話である。
無論、これは「呪い」の言葉であろう。

いくら私が夢見がちとはいえ、こうした事例から、「植物達も、言葉が解るのね!」とは思わない。
が、「言霊」という言葉が示す通り、言葉にはなにがしかの力が宿り、その力は言葉を理解しない植物にさえ作用する、という見方は出来ないだろうか。

言葉が、民族に作用した例もある。
かつてイヌイットは、氷上に裸で生活していたそうだ。
それを見たヨーロッパ人は驚いたね。だから云ってやったのさ、
「そんな生活をしていたら凍傷になりますよ!」
ってね。
それからさ、イヌイットの間に「凍傷」が蔓延し、彼等が毛皮を着る様になったのは。

・・・って、こんな文体で書いたら、安っぽいアメリカン・ジョークだって。

ともかく、17世紀頃にイヌイットの生活に触れたヨーロッパの探検隊の常識からすれば、裸で氷の上に寝ている彼等にこうした忠告を与えたのは「奇跡」、つまり当たり前の事だったろう。
が、イヌイットにとっては皮肉にも、「凍傷」をもたらした「呪い」という形で作用した。
まさにジョークの様な話だが、「凍傷」という概念がもたらされるまで、イヌイットは凍傷に罹らなかったそうだ。

同様の事が、日本における「ストレス」という外来語の例に見られる。
「ストレス」に該当する日本語が無い事から、元来日本人は「ストレス」を感じなかったのではないか、という説がある。
「ストレス」という概念をもたらされてから、日本は「ストレス大国」に変貌した、というのだ。

ともかくも、言葉の持つ力は強大で、それがネガティブな「呪い」である程、その作用は深く及び易い。

個人的な例として、私は歌が上手い方ではないが、幼少の頃、私が楽しく歌う度、母は苦笑交じりに「音痴だ」と云っていた。
私の父は歌が上手いので有名だったが、母は苦手であった。息子の私の歌い方が、父に似れば良かったのに自分に似てしまった、という自虐の思いで、そう云っていたらしい。
その言葉が繰り返されるうちに私に浸透し、未だに歌う時はこの言葉が思い出され、楽しく歌うのが困難なのである。まさに、「三つ子の魂百まで」とは、よくいったものだ。

してみると、親が子供に発する言葉は、思っている以上に影響を与えるのだろう。
感情的に発する、「バカ!」「早くしなさい、グズなんだから!」「どうしてそんな事も出来ないの!?」
また、何気無く云った、「あなた○○が下手ねぇ」「うちの子、出来が悪くって・・・」「○○ちゃんは良い子なのにねぇ・・・(比べてあなたは悪い子、といったニュアンス)等の、「呪い」の言葉。
これらを繰り返して発しているうちに、それらの言霊が子供の魂の奥に浸透してしまう、という事を、我々親はもっと自覚し、常日頃から言葉使いに留意すべきではないだろうか。

ところで私は、娘・ぴーぽこ(仮名)を寝かしつける時、シュタイナーの「こどものためのお祈り」を、毎晩繰り返し朗読している。
シュタイナーが「そのうち子供も詩を覚え、一緒に唱和するようになるでしょう」と述べている通り、今では「夜のお祈り」や「おひさまは植物に」といった、美しい「奇跡」の詩を、二人で暗誦してから眠りに就いている。
これらは子供は勿論だが、読んでいる大人の内部にも作用するように思える。子供に向けて読みながら、親も優しく暖かい気持ちになれる、これこそ「奇跡」であり、そして「奇跡」は当たり前の事なのである。

シュタイナーに限らず、「金子みすゞ」などの詩を読んであげるのも良いだろう。
美しく暖かい「奇跡」の言葉で綴られており、親自身も心から大好きな詩やお祈りを、毎晩繰り返し読んであげると、子供のみならず親自身にも、何かしらの作用がある筈である。

ところで、こうした「奇跡」でもなければ、罵詈雑言といった「呪い」でもない、通俗で猥雑な詩は、どんな作用を及ぼすのだろう。例えば、

「きのうとうちゃんと寝たときに 変なところにイモがある 『とうちゃんこのイモ なんのイモ?』
『ぼうやよく聞け このイモは オマエを作った種イモだ』」


といった、猥歌。・・・いや、ある意味で当然の事、つまり「奇跡」を歌ってはいるが。


※「霊学の観点からの子供の教育」(イザラ書房・刊)に、詩やお祈りが数篇紹介されています

~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~

廉価本「豊臣秀吉勇将録」(リイド社)に、「脇坂安治」「播磨軍記」の2編収録。
どうぞ御一読下さい。


ブログランキング
乙女への励まし代わりに↓をクリック
σ.σ
ブログランキング・にほんブログ村へ
こちらも↓
b_04.gif
スポンサーサイト

こびとさんからの手紙

娘・ぴーぽこ(仮名)は、乳歯が生えるのが極めて遅かった。
2歳を過ぎても一向に生える気配が無いので、物事に大らかな妻・みぽちも流石に心配になり、検診で医師に相談したそうだ。
医師は笑って曰く、
「大丈夫。私も長年医師をしていますが、歯が生えてこないお子さんを見たことはありませんから」

ご尤も。

だからかどうか、ぴーぽこは歯が生え変わるのも遅く、まもなく8歳になろうというのに、未だに一本しか生え変わっていない。

さて、私が子供の頃は、抜けた歯を、下の歯なら屋根に、上の歯なら床下に投げ込んだものだ。
これは日本をはじめ、アジアによく見られる風習らしいが、現代の日本、特に都心部の住宅事情では極めて難しいだろう。アパートや、ましてや高層マンションでは、抜けた歯をどこにも投げ込みようがない。

そうした家庭では、欧米の風習を取り入れてみるのも一興だろう。

抜けた歯を箱に入れて枕元に置くか、枕の下に入れておくと、夜の間に「歯の妖精」またはネズミが、歯をコインや何か一寸したプレゼントに変えてくれる、というものだ。

こうした子供のメルヘンに働きかけるやり方は、シュタイナー育児の実践者にも広く好まれている様だ。
大抵は「こびとさん」が、抜けた歯を水晶等の天然石に変えてくれる。

私見では、「こびとさん」とは恐らく土の妖精・グノーム(ノームとも)の一種であろう。
地水火風の所謂四大元素霊のうち、地の精・グノームが担う働きの一つは、「形成」だそうだ。
グノームの仲間である小人が、子供の抜けた乳歯を素敵な石に再形成してくれるのではないか。

ともかく、子供にとって乳歯が抜けるというのは一大事件のようだ。ぴーぽこの歯が初めて抜けた時、クラスメイトのパンジャちゃん(仮名)などは、「歯が抜けておめでとう」といった内容のお手紙を書いてくれた程だ。

ぴーぽこも上級生や同級生から、抜けた歯が石になっていた、という体験談を聞き知っていたので、授業中に抜けた歯を大事に持ち帰り、それを小箱に入れて枕元に置き、
「こびとさん、来てくれるかなぁ・・・。どんな石になってるかなぁ・・・」
と、期待しつつ就寝。

こちとら抜け目は無い。こびとさんの代理人として、かねて用意しておいた、前歯に似た形状のムーン・ストーンのタンブルと歯をすり替え、任務完了。

翌朝のぴーぽこの喜びもひとしお。が、流石にメルヘンから現実に目覚めかけている年齢。

「・・・でもこれ、本当にこびとさんがやったのかなぁ・・・。

・・・おとーさんが入れたんじゃないでしょうねぇ!?


ささやかな疑念を抱くぴーぽこに、何故そう思うのか訳を問うと、

「だって(歯と石の)大きさが違うじゃん」

「そこがこびとの魔法の不思議なところじゃない?」との私の答えに、納得した様子の七歳児。

これで無事終了と思った私、後になって見落とした事があるのに気付いた。

枕元に、ぴーぽこがこびとさん宛に書いた手紙があったのに気付かなかったのだ!

ぴーぽこは字が書けるようになってからというもの、毎年クリスマス・イブにはサンタさんへのお手紙を書いている。私はそれに、サンタさんの代筆で、返事を書いていた。然も筆跡から足が付かぬように、わざわざ英語で(流石にフィンランド語は分からないので)。
また、ぴーぽこが書いたサンタ宛の手紙やプレゼントも、入念に隠蔽してきた。

尤も、こうした小細工は不要なのかも知れない。
例えば私が小一か二の頃、サンタさんからの手紙の文字が、母親の字に酷似している事に気付いた。だが、その様に何事かを薄々察知しつつも、
「でもこれはサンタさんからの手紙だ!」
と信じきれるだけのメルヘンの力を、子供は有しているからだ。

それでも念には念を入れて、入れ過ぎるという事は無い。

なのに、今回、こびとさんへの手紙に気付かなかったばかりに、返事を用意していなかったのだ!
入念に証拠隠滅を図り、名探偵を煙に巻く、知能犯のようなこの私が、である。
自ら云うのもおこがましいが、上手の手から水が漏れるという始末である。

こびとさんからの返事が無かった事に、がっかりしたのではあるまいか。
だが、もう後の祭りである。

何日もこの事が気になっていたのだが、ある日、やはり返事を書こう、と思い立った。
これは、「私」が思い立った、というより、ぴーぽこに返事を書きたい、という小人の思いを、私のアストラル体が受け取ったのだろう。

冒頭に、手紙に気付かずに返事が遅れた事を詫びる一文を添え、改めてお返事を書く。
今回は日本語だが、私の字だと気付かれぬよう、利き手とは逆の左手で書いたのが、知能犯たる所以である。

何にせよ、このヘロヘロな文字で書かれた手紙を見付けたぴーぽこ、驚きと喜びの入り混じった表情で、私に報告してきた。
そして暫し、平仮名のみの、幼児が書いた様な拙い文字で書かれた手紙を眺め、ポツリと呟く。

「・・・こびとさんも、字を書く練習をしてるところなのかなぁ」

・・・いらぬお世話だ。


~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~

廉価本「豊臣秀吉勇将録」(リイド社)に、「脇坂安治」「播磨軍記」の2編収録。
どうぞ御一読下さい。


ブログランキング
乙女への励まし代わりに↓をクリック
σ.σ
ブログランキング・にほんブログ村へ
こちらも↓
b_04.gif

サンタの方向で

普段、ラジオをつけていることが多い我が家だが、クリスマス前後は無音か、または音楽をかけるようにしている。
これは何もクリスマスの雰囲気作り、というだけではない。時として、ラジオから不用意な情報がもたらされる事があるからだ。

子供も聴いているような時間帯に、サンタ・クロースを信じていないリスナーからの、サンタが存在しない事を前提とした内容のメールやファックスが紹介されることがあるのだ。

「ウチの子はまだサンタを信じているので云々~」

などと、子供のメルヘンの力を弱めるアーリマン的な内容のものが紹介される度、慌ててラジオのボリュームを絞って娘・ぴーぽこ(仮名)に聞かれないようにした事が何度かあった。
それならいっそ、そうした話題が出そうな時期は、ラジオやテレビはつけないでおくに限る。

さて、これまでも何度か書いたが、私はサンタ・クロースを信じている。と云うか、存在するのだから信じないもハチの頭もない。

サンタ・クロースという、神様だか天使だか精霊だか、または聖・ニコラウスの霊だか、ともかくそういった肉体を持たない高次の存在が、大人たちのアストラル体に働きかけ、我々の物質体を通して子供達にプレゼントを贈っているのではなかろうか、と、私は睨んでいる。

さて、今年のプレゼントをどうするか、ギリギリまで決めあぐねていたところ、ふと、浮かんだ。
ぴーぽこがお気に入りの本、ラッセル・E・エリクソン作、ヒキガエルとんだ大冒険シリーズの一作目、「火ようびのごちそうはヒキガエル」にしよう、と。

限られた時間の中でこっそり本屋に向かう。が、この時点で、私の心中に響く、心の声。

「お探しの書籍は、書店A及びBには御座いません。書店Cにてお求めになれます」

って、どこのサービス・カウンターだ?

そもそも云われる間でも無く、書店Cはこの三店舗の中では最も広く、品数も豊富、流石に書店Cにはあるだろう。
とは云え、書店Bとて結構大きい、書店AかBに無いとは云い切れない。
元来、こうした心の声というか、直感めいたものに懐疑的な私、近い順に書店A→B→Cと回ることにした。
AかBにあれば、時間、労力ともに削減出来る。

ところが、心の声が云う通り、この二店舗には無かった。

時間的にも、書店Cが最後の頼み。書店Cに向かいつつ、(もしそこにも無かったら、別の本を・・・何にしよう・・・)と、善後の策を練る私に、再度心の声。

「あります、あります」

って、坂上二郎か?「とびます、とびます」か?

書店Cの児童書コーナーに到着、沢山の品揃えの中から、いともあっさり発見。
折角だから、もう一冊ぐらいプレゼントしようかな、と思いつつぐるりと見回したところ、一冊の本に目が止まる。
本当に、まるで映画のワンシーンの様に、周囲がぼやけ、その本だけがはっきり見えたのだ。

それは、私も子供の頃に大好きだった、ウィリアムズ作の「しろいうさぎとくろいうさぎ」。
いつかぴーぽこにも読んであげようと思いつつ、ついぞその機会が無かった。
(これにしようか・・・でも、そろそろ絵本よりも『ヒキガエル・シリーズ』みたいな読み物の方が・・・)などと迷う私に、心の声。

「これ(しろいうさぎとくろいうさぎ)にしときなさい」

・・・うるさいな、さっきから。誰なんだ、オマエは。

目当ての本がすぐに見付かり時間があいた事だし、一通り物色してみたが、目ぼしい本も見付からず、結局「しろいうさぎとくろいうさぎ」を購入。

帰路、思う。低学年のうちは丁寧に時間をかけて学ばせるシュタイナー教育、二年生のぴーぽこは、そろそろ音読に取り組むらしい。
やがて、次第に絵本から読み物へと移ってゆく頃だ。
今年のプレゼントは、ぴーぽこにとって「最後の絵本」と「最初の読み物」になるのではないか。
サンタは、それをぴーぽこに贈りたくて、私に働きかけたのかもしれない。

してみると、この日の出来事はサンタによって演出されたのだろう。
私の内に響いた「心の声」も、「サンタ・クロースの声」と思えば素敵ではなかろうか。
そんな次第で、私の中では、この日聞こえた「心の声」は、「サンタ・クロースの声」という方向で解釈することにしている。

いや、あれはサンタの声に決定!

・・・でも、何故、日本語?


~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~


廉価本「豊臣秀吉勇将録」(リイド社)に、「脇坂安治」「播磨軍記」の2編収録。
どうぞ御一読下さい。


ブログランキング
乙女への励まし代わりに↓をクリック
σ.σ
ブログランキング・にほんブログ村へ
こちらも↓
b_04.gif

  Template Designed by めもらんだむ RSS

special thanks: Sky Ruins, web*citronDW99 : aqua_3cpl Customized Version】


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。