2009年02月

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最後の取り組み

「最後の取り組み」って、あたかも引退力士の千秋楽の様だが、そうではない。

この度、娘が通うシュタイナー学校から、初の卒業生が出る。彼ら十二年生の、卒業前の最後の大きな取り組みとして、彼らによる演劇の発表会が行われたのだ。

この記事を書くにあたり、パンフレットに書かれた十二年生担任・風姿花伝先生(仮名)の文章を一部抜粋して良いか伺ったところ、快諾下さった挙句、
「彼等にインタビューしますか?」
との御提案。流石にこんな得体の知れないブログの為にそこまでは、と気が引けたが、折角の好機、お言葉に甘えさせて頂く事に。

さて、劇のタイトルは「偽のプリマドンナ」、ボイエルレ作の、ウィーンの民衆劇である。
粗筋は、老いた権力者がのさばる中世・ウィーンで、俳優の若者がプリマドンナに変装して権力者たちを翻弄し、軍司令官と結婚させられかけていた恋人を取り戻すという、痛快な物語。

結構長い劇で、途中幕が閉じられたと思うや、十二年生・母のジーナさん(仮名)が壇上に上がり、

「10分間休憩です」

って、「七人の侍」か!?

ともかく、それ程の大作を、彼等は演じきった。

シュタイナー学校では、高等部前の八年生でも、区切りとして演劇の発表を行う。その時と今回との違いを、生徒達に聞いてみた。要約すると、以下の様な意見。

・八年生の頃は照れがあったが、今回はのびのびと出来た。
・前は自分の台詞を云うだけで精一杯だったが、今回は相手の演者との間の取り方なども意識しつつ演じられた。
・台詞を云いながらの所作が、一連の流れの中で、自然に表現出来た。

八年生といえば思春期の最中。やっと「アストラル体」が自由な活動を始める頃である。
自分の内に向いていた視点が、「自我」が目覚める十二年生において、自分や他者、舞台の間などを客観的視点で捉えるようになった、と云えるのではないだろうか。

また、八年生の頃は学校の、決して広くはないホールが舞台だったが、今回は市民ホールを借りての本格的な舞台、それによって落ち着いて演じられたとの意見も。
生徒達同様、学校そのものも成長しているとの実感も得られたのではないだろうか。

高等部から編入のステッグくん(仮名)は、演劇は初めてで、それだけに特に意欲的だった様子。主演の、「女装する俳優」という難しい役を見事に演じた。演出のアカヒメクマタカ先生(仮名)による、「女性より女性らしく!」との演技指導を特に意識したそうだ。

また、逆に「男装する女性」という、これも難しい役を演じてのけたバジルさん、一人二役に挑戦し、見事に演じ分けたリコリスさん、本人とは真逆のキャラを違和感無く表現した白波くん、発声や振り付けなどにこだわりの演技を見せたロッキーチャックくん(いずれも仮名)、それぞれ上記の点が難しかった、または特に意識して演じたそうだ。

さて、劇や映画などで「友情出演」というロールを目にするが、これは役者がスタッフや俳優と懇意で、安いギャラまたはノーギャラで出演した場合に用いられる。
が、この劇の「友情出演」は、文字通りの「友情出演」である。十二年生以外の高等部の生徒全員が、「友情出演」として参加しているのだ。

なにしろ十二年生は五人、一人が二役以上やったとしても限界があり、下の学年に出演協力をお願いしているうちに、結局高等部総出演の壮大な舞台となったのだそうだ。
十二年生は勿論、高等部の生徒達にとっても、この学年を超えての取り組みは、大きな感動をもたらした様だ。

それぞれの演技も勿論だが、最後の出演者全員による合唱に至ってはもう言葉で云い尽くせぬ感動であった。
「演劇部」でも「合唱部」でもない生徒達がこの舞台を作り上げたのかと思うと、改めてシュタイナー教育の奥深さに瞠目した。(念の為、この教育は決して芸術偏重ではない。彼等は確かな学力をも身に付けている)

こうした上級生の舞台を、下級生は一年生に至るまで引き込まれるように、大笑いしながら観劇していた。子供達も高等部の生徒達のこうした姿を間近に見て、憧れ、いずれ成長したら今度は自分達が舞台に立ち、下級生達の見本になってゆくのだろう。

さて、何故シュタイナー教育では、折に触れて演劇に取り組むのか。
ここで、冒頭に触れた風姿花伝先生の文章の一部を抜粋しよう。

「他の人間を演ずるプロセスの中で、生徒は自分自身を客観的に取り組むことになるからです。他の人間になることで外側から自分を見つめているのです。自分の中から出ていくことは、自己認識を得る道だという教育的観点から、演劇が取り組まれています。この意味においてもシュタイナー教育は卒業していく若者たちが、最後の大きなプロジェクトを通して、新しい世界へ向かってしっかりと歩んでいく、個としての人間の成長を願っているのです。」

十二年生といえば、つまり高三。私が高三の頃は、「個」の育成どころか、受験一色。周囲はライバルを通り越してむしろ「敵」、といった風潮であった。
この年代で仲間たちと演劇に取り組むなど、なんと贅沢な体験だろう。

この劇は、生徒達で話し合って演目を決めたそうだ。
ただ、主役が「女装」するということで、男子達は当初難色を示していたという。

パンフレットの表紙のコピーに曰く、

「愛する女性のためなら 女装だってできる!」

私なんぞは「愛する女性」のためでも何でもなく、単にミクシィのトップ画像に貼るだけのために女装しましたが何か。

あきナース

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一緒にケーキ

去るクリスマス・イヴ。
ケーキの材料を買った帰りの道すがら、娘・ぴーぽこ(仮名)に話す。

「今年も去年みたいな『ツリーケーキ』を作ろうか?」

「う~ん・・・それもいいんだけどさ、」

と、いっちょ前の口をきく七歳児。

「今年はリースみたいなケーキにしない?」

「あ、面白いねぇ!・・・じゃぁスポンジをドーナツみたいに形抜きして・・・」

といった塩梅で、二人して「リース・ケーキ」のアイデアを出し合う。

さて、料理を子供、殊に幼児に手伝って貰うのは、時として苦行である。
なにしろ連中は、手際が悪い上に、自分の能力値を超えた作業をやらせろと駄々を捏ねる。
それが特に夕方の忙しい時に、短時間でさっさと済ませたい時など、煩わしいことおびただしい。私もかつて「それは『お手伝い』ななくて、『邪魔』してるだけ!」などと叱りつけ、ぴーぽこの心を傷付けた事も何度かあった。

その都度反省し、最近では親子一緒に、楽しく料理をする様になった。
尤もそれは、私の心の持ちようもあるが、ぴーぽこが器用になったことや、聞き分けが良くなったことに負うところが大きい。

子供は元来お手伝いが好きなものだが、それも子供にとっては重要な「遊び」なのだ。親と一緒に、いかに「お手伝い遊び」を体験するかは、子供のその後の成長に、少なからず影響するだろう。
それはなにも「大きくなったら家事を手伝わせてやろう」「老後には面倒見て貰おう」といった下心からではない。
幼少期の「お手伝い」を通して、「自分」という存在が世界に受け入れられ、必要とされている、という感覚に繋がる様に思える。
子供の頃に、あまりにも邪魔者扱いされ、大人からお手伝いを拒否される体験をしすぎると、長じてから(自分は社会に必要とされていない)という、自己否定の思いを持つ一因になるのではないだろうか。

さて、親子でのケーキ作り。と云っても、オーブンの無い我が家、既製品のスポンジにデコレーションするだけではあるが。

イラつくことなく、子供に手伝って貰う工夫、その一つは、

・後の工程を先にやらせる

これは普段の料理の時にも応用できる。今回の場合、最後の仕上げで必要なデコレ用のミカンの房の薄皮剥きや、イチゴのヘタ取りを、最初にやって貰う。その間に、こちらは必要な道具の準備や下ごしらえなどを着々と進めるのだ。
こうすれば多少子供の手際が悪くても、「まだ終わらないの?早くして!」などと急かす必要は無い。

流石に二年生のぴーぽこは、思ったより早く、また丁寧にその作業を終わらせたので、次のお手伝いを依頼。ここでイラつくことなく、子供に手伝って貰う、次なる工夫、

・仕上がりを期待しない

スポンジケーキの真ん中を、丸い形抜きでリース状に抜いて貰う。最初から「綺麗に形抜き出来なくても、また少々中心からズレても、まぁ、いいじゃない」と思っていれば、例え子供が失敗してもノン・シャラン。また、大人が一緒に行うのでも良いだろう。

が、普段のフォルメン線描の授業の成果か、ぴーぽこは割と正確に形を抜いた。上手く出来れば出来たで拍子抜けである。

そして、生クリームの泡立て。
我が家には電動の泡立て器があるのだが、敢えて使用せず、手動。
これには理由があるのだが、ここでそれについて述べていては、ただでさえ越中ふんどしの様に長いこのブログが、更に六尺ふんどし程の長さになってしまうので、またの機会に譲る。

泡立て器で生クリームをかき混ぜる私に、ぴーぽこは当然「うちもやりたい!」と申し出る。が、手動の泡立て器は、それほど生半可なものではない。

イラつくことなく、子供に手伝って貰う工夫、

・子供が飽きたら、はい、おしまい

特に真面目な方は、「途中やめしない子に育てたい」との理由で、一度始めたお手伝いを最後までやり遂げさせようとするのではないだろうか。
が、子供にとってはお手伝いも「遊び」であり、飽きた時点で遊びは終了なのである。
大事なのは子供がお手伝いを「楽しむ」ことであり、そこに「責任感の育成」を付与しようとすると、却って逆効果になるのではないだろうか。
「責任感の育成」は、別の成長過程で、違ったやり方で行えばよい。

無論、ぴーぽこは独力で泡立てるには至らず、交代しつつ泡立て完了。一緒にデコレーションしつつ出来た、

「リース・ケーキ」が、これ。

ケーキ
右は抜いた生地で作った、サンタさんへのミニケーキ

この後、折角のイヴなので、妻・みぽちと家族三人で外食へ。然も、食べに行った先が、

油そば

って、イヴだというのにおシャレ度ゼロの我が家。
この油そばがかなり腹持ちが良く、帰宅後、折角楽しみにしていたケーキが、ロクに食べられないという体たらく。

翌朝、朝食用のパンを切らしていたのに気付く。

「パンが無ければケーキを食べたら良いじゃな~い!?」

・・・食ったさ、アントワネットよ。


※「ツリー・ケーキ」についてはこちら

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