2009年06月

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  2. 2009/06/16 お祈りロック

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お祈りロック

元「ボ・ガンボス」のVo・どんとの急逝以来の衝撃だったのが、忌野清志郎の訃報であった。
仕事中、彼のアルバムを聴きまくりたい衝動にかられたが、問題がある。
ゴールデンウィーク中なので、小三の娘・ぴーぽこ(仮名)が、日がな家にいるのである。決して広くはないアパート、私が聴くということは、必然的にぴーぽこにも聞こえる、ということだ。

シュタイナー教育においては、子供(特に幼児)には、極力デジタルな音を聞かせないように配慮するのだが、問題はそれではない。いや、それも無論配慮すべき問題ではあるのだが、私にとっての問題は、「子供にロックを聴かせたくない」という事だ。

ロックを有害視しているのではなく、子供にはしかるべき年代に、自らロックと出会って欲しいからである。そもそもロックは親から与えられるものではないし、ぴーぽこの年にロックなど猫に小判、勿体無いというものだ。
が、杓子定規に構えても仕方がない。常日頃聴かせる訳ではない、故人を偲んで、その人が残した音楽を聴く、特別な日があっても良いのではないか。

ただ、もう一つの問題は、清志郎の歌詞に時折見られる、アダルトな比喩である。
どこかの地方に伝わる歌でも、「きのう父ちゃんと寝たときに ヘンなところにイモがある」などというのがあるが、この「イモ」が何の比喩か・・・って、清志郎の歌を猥歌と一緒にするなっての!

だが、ここまで下世話ではないが、彼の歌詞にこうした表現が散見されるのは事実である。
例えばRCサクセション「雨上がりの夜空に」の、「エンジン」や「バッテリー」、「ポンコツ」などは何の比喩なのか。
また、HIS「スキー・スキー(スキーなの)」の、「あなたの板」、「私の丘」とは?
RC「スカイ・パイロット」に至っては、「おまえのGスポット」って、ド直球。

だが、清志郎の歌が聴きたい、今すぐに!
いいや、もしぴーぽこに何か聞かれたら、
「『雨上がりの夜空に』はクルマの歌!『スキー・スキー』はスキーの歌!『スカイ・パイロット』はヒコーキの歌!!」
と答えることにして、所蔵している清志郎関係のCD、MDをかき集める。

さて、私は忌野清志郎のファンではない。
彼以上に影響を受けたアーティストは何人もいるし、MDも含めて持っているアルバムは6枚やそこらである。こんな私が「ファン」を名乗ったら、本当のファンに失礼というものだ。

だが、改めて彼のアルバムを聴いてみると、思っていた以上に彼の歌が自分に浸透していた事に、改めて気付かされた。

例えば、妻・みぽちがコーヒーを淹れてくれる度に、「君が僕を知ってる」が、頭の中で流れていた。
原発関係のニュースや話題に接すると、「サマータイム・ブルース」が、第二次大戦や核の話題では「LONG TIME AGO」(タイマーズ)が流れた。

優等生を演じていた高校時代に出来なかった事を「トランジスタ・ラジオ」で追体験したり。
自分が世界から孤立し、誰からも理解を得られないと感じていた日々、「わかってもらえるさ」に支えられたり。
飲み会でジン・ライムを頼む時、必ず「雨上がりの~」が流れた、って、これはピン・ポイントすぎる例だっての。こんな細かいことまで云い出せば、それこそ枚挙に暇がない。

持っているアルバムこそ少なかったが、それら数枚のアルバムを、何度も繰り返し聴いていた。そして、それら清志郎の歌詞やリズムの一部は、私に浸透していたのである。

シュタイナー学校では、朝の詩を唱えてから学びが始まる。また、私はぴーぽこを寝かしつける時、シュタイナーのお祈りのことば(『夜のお祈り』、『こどものためのお祈りのことば』等)を毎晩繰り返し、一緒に唱えている。こうした「光」と「愛」に包まれた言葉を繰り返すことで、それらが子供のエーテル体に浸透し、成人後の力になるのだろう。
そうした詩や祈りの言葉に出会わなかった私にとっては、様々なロックが、私の力となっていた。

シュタイナーは音楽を、調和の「アポロン的」なものと、熱狂の「ディオニュソス的」なものとに大きく分類していたそうだ。簡単に云うと、前者の代表がクラシック、後者がロックなのだとか。(無論シュタイナーの存命時には『ロック』は無く、現代の視点での解釈である)
更に云えば、シュタイナーの詩や祈りなどは「アポロン的」、ロックの歌詞は「ディオニュソス的」とも云えるかも知れない。

ところで、私にとって「ロック」とは何ぞや。
ロックを定義付けする時点でその態度は既にロックではないが、敢えて云うなら、私にとっては「再構築への欲求を秘めた破壊衝動」である。
破壊にはディオニュソス(酒、演劇、豊穣の神)の熱狂が伴う。そこに再構築の光や予感がなければ、その熱狂はルツィフェル(ルシファー。退廃、迷妄等に誘う悪魔)的なものに陥るのではないだろうか。

さて、清志郎の音楽を聴いたぴーぽこの反応。
流石に冒頭で挙げた、アダルトな比喩に関しては完全スルーで、HISの「渡り鳥」に羅列された鳥の名前を、いちいちメモし出す。まぁ、子供の反応としてはそんなものか。

だが、相手はルビコン世代の子供である、客観的な視点も育っている。
同じくHISの、「おやすみ もうすぐ逢える」という曲。おそらく遠距離恋愛でもあろうか、夜、恋人同士の夢が、開いた窓から抜け出して互いの部屋に行き来できるように、窓の鍵をかけずに眠る、といった内容の、浪漫溢れる名曲である。この歌を聴いたぴーぽこ、しかつめらしい顔で云った。

「・・・でも、それじゃぁ泥棒も入ってくるよね」

いや、お説御尤もではあるが。
この身も蓋も無い破壊力。オマエが、ロック。

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