2010年02月

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  2. 2010/02/03 点子ちゃんとアントン:完全版

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点子ちゃんとアントン:完全版

冬休みのある日、学校のホールにて、八年生卒業劇・「点子ちゃんとアントン」の再演が行われた。
何故「再演」なのかというと、公会堂を借りて行われた本公演では、インフルエンザによる学級閉鎖の為、観劇できない学年があったからだ。
それどころか、当の八年生の生徒の一人も、インフルエンザで欠席を余儀なくされたのだ。

公演そのものが危ぶまれたが、生徒達の工夫によって、この困難な状況は打開された。
数人の生徒が、配役をスライドさせることで、欠けた役を補ったのだ。
自分の役以外の台詞や演技も把握していなければ、こんな離れ業は演じられまい。生徒達がいかにして物事に取り組んでいるか、その姿勢が垣間見えるではないか。

ともかく大盛況に幕を閉じた本公演だったが、改めて全員参加という形で、この日の再演へと漕ぎ着けた訳である。

感想?そんな、感想なんざ冷静に書けませんっての。内輪の生徒自慢にしかならないし。
だが、あの日の感動を記しておきたいので、今回は内輪の生徒自慢にお付き合い頂く。
例によって勝手に仮名を付けさせて頂いたので、もし直接の関係者が御覧になったなら、そこは御容赦願いたい。

「点子ちゃんとアントン」は、ドイツのエーリヒ・ケストナーの作品。

出ずっぱりの点子ちゃんは、ポンパドールさんとテディさんが、場面によって交互に演じるという、「二人一役」方式。二人とも、物語の天真爛漫な点子ちゃんがそのまま飛び出てきたのではないかと思えるほど、本当に「点子ちゃん」であった。それぞれがそれぞれの「点子ちゃん」を演じているのに、全体を通して見ると二人で一役とは思えない程の違和感の無さ。
因みに本公演では彼女達が、一人は欠席した生徒の役をやり、もう一人がずっと点子ちゃんの役をやり続けることで、冒頭で述べた危機を回避したのである。
再演では、出番が無い時に、テディさんがフルート、ポンパドールさんがヴァイオリンを演奏するなど、三面六臂の活躍であった。

点子ちゃんの父・ポッゲ社長は、大人の複雑な事情を、最も多く抱えている役である。それ故に最も難しい役ではないだろうか。大人が何か大事な事に気付き、自らを成長させる。多くの大人にとって、それは困難な事だ。
そんな成長する大人の姿を、エクスキャリバーくんは見事に演じ、表現していた。前半のどこか鬱屈した感じと、後半の威厳、優しさ。ポッゲ社長の内面の変化が伝わるようだった。
個人的には、ポッゲ社長が点子ちゃん、アントンと一緒にシュークリームを食べ、追いかけっこをする場面に涙した。

セレブで、家庭より社交にうつつをぬかす、ヒステリックなポッゲ夫人、つまり点子ちゃんの母。この強烈な役所を、ナッツさんは圧倒的な存在感をもって演じた。原作のポッゲ夫人を凌ぐ勢いの個性、最後に夫に見せたしおらしさ。悪役ではないが、嫌味な役、でもどこか憎めない。ある意味、最も演じ甲斐のある役ではなかろうか。
出番が無いシーンでは、ナッツさんはピアノやヴァイオリン演奏でも実力を発揮していた。

優しく正義感の強い少年・アントン。これを演じたエントくんも、点子ちゃん同様、物語から飛び出してきたようだった。お母さんを傷付けてしまい、後悔に苛まれる場面など、完全に感情移入して観てしまった。その後、お母さんとの涙の和解の場面など、観ているこっちも貰い泣き。涙を流すなと云うほうが無理だっての!
点子ちゃんとのやりとりも、きっとケストナーがイメージしていた若者は、まさにこんな風だったのではないか、と思われた。

セルキーさんは、アントンの母・ガスト夫人と、点子ちゃんの養育係・アンダハトを一人二役で演じた。優しく、病弱で憂鬱質なガスト夫人。無口で「みょうちきりん」な不思議さんのアンダハト嬢。個性は違うものの、いずれも明るいタイプではない二役を演じ分けるのは大したものだ。特にガスト夫人の子を思う様は、私自身の母を重ね合わせて観てしまった。
また、チョイ役で演じたお巡りさんも、光彩を放っていた。

同じく一人二役で、クレッパーバインと悪魔のローベルトを演じたスワロウくんも、難しい役所だったろう。なにしろ二役とも悪役なので、演技を工夫しないと「悪役」という括りで同じ人物と間違われてしまうかも知れないからだ。無頼な悪者クレッパーバイン、陰湿な悪者ローベルトと、それぞれの悪さが伝わってきたが、憎々しい程の悪役とまではいかない。が、これは彼自身の人柄が滲み出てのことだから、むしろ誇るべきであろう。
また、両者とも殴られる場面があるが、殴られっぷりも圧巻であった。

ペルセポネさんが演じたポッゲ家のメイド・太っちょのベルタ。口さがなく文句を云うが愛嬌者のベルタ役も、演じ甲斐のある役所だろう。出番が少ない割には出ると場が沸くという、オイシイ役でもある。実際、実に良い味を出しており、アンダハト嬢との罵詈雑言の応酬や、お巡りさんとのタンゴなど、観終わってからも、娘・ぴーぽこと一緒に何度も思い出しては笑った。三年生のぴーぽこのクラスでは、特にベルタがこん棒を振るってローベルトを殴打する場面が印象的だったようだ。

劇中では、ケストナー自身をナレーターとして登場させることで、ナレーション、原作の「まえがき」や、各章ごとに記されたケストナーの考えなどを語らせていた。
男装してケストナー役を演じたカープさんは、まさにケストナーの代弁者。もはやケストナーを演じているというより、ケストナーが彼女を通して語っているのではないか、と疑うほど、あたかもイタコの口うつし。特にラストの、

「この地上は、もう一度、天国になれるはずだ。できないことなんて、ないんだ」

との力強い語り口調は、我々の胸に熱いものをこみ上げさせるに十分であった。

そして、全員による合唱。

・・・泣くって。

いや、泣ける話じゃないんだけど。むしろ大団円で、スカッとする話なんだけど。
合唱の間、そこここで感動に咽ぶ親達の姿が。

シュタイナー学校では、節目の学年で演劇に取り組む。八年生は、来年度から「高等部」に進学するのだ。
皆、素晴らしい演技を見せてくれたが、「上手く演じる」ということが目的ではない。
クラス全員で一緒に何かに取り組むことや、「他人」になり、演じること。それらを通して、生徒達は多くのものを得る。我々が観たのは「結果」としての公演だが、そこに至るまでに生徒達一人一人が通った「過程」、それこそが生徒達にとって宝であり、我々は演劇の物語そのものやメッセージに加え、生徒達の見えざる「宝」の輝きを感じて、感動するのだろう。

尚、昨年度卒業劇を経験したある生徒さんも、今回の劇について記事を書いておられる。「八年生で劇に取り組む」という事が、御自身の体験も含めて活写されているので、是非こちらも御一読をお勧めする。

   八年生の卒業劇

さて、再演が終わって数日後の昼日中、ママ友のチョウゲンボウさん(仮名)より電話が。曰く、
「八年生の劇の歌って、どんなだったっけ?」
合唱した歌は、”The Rhythm of Life”という曲に、担任のフローレン先生(仮名)が詩をつけたものだ。
チョウゲンボウさんのクラスは学級閉鎖の為、再演で初めて観て感動した模様。二度観ている私は、歌を少しは覚えているのではないかと思い、電話したものらしい。
うろ覚えながら、「こんな感じじゃなかった?」と、受話器越しに歌ってみる。
だが、何故、今それを訊きたいのか。曰く、

「今、息子と木に登ってるんだけど、気持ちが良いから息子とあの歌を歌いたくなって」

してみると、何か。オマエは今、木の枝に座って、携帯でかけてきているのか?

「そうなの」

牧歌的にも程がある。



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