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テストの無い学校

学校のゼミナール委員会の時、上級生の母、小リスさん(仮名)から、恐るべき話を聞いた。曰く、

「都心の方じゃ、子供にお受験させない親は、『育児放棄だ!』って云われるんだって~!」

・・・なんですと?都心からやや離れているとはいえ、ここも東京。私の周りではそんな話は聞いた事が無い。都市伝説の類ではないのか?
もし本当だとすると、この理論に則れば、このシュタイナー学校の親は

全員育児放棄
ということになる。

なにしろこの学校には、テストが無い。

シュタイナー教育がテストを必要としていない理由は、いくつかある。
例えば、子供には、学んだ事を一旦忘れる、という作業が必要だからだ。
表面的には「忘れる」が、それは心の奥深くで熟成され、単なる「知識」ではない、本当の力となって、その子の身に付く、というのだ。
テストによって常に「思い出す」事を強いていると、学んだ事について、表面的にしか捉えられなくなるのだろう。

・・・って、なんだか分かったような分からないような話だが、もっと単純な理由として、

テストをせずとも、子供達は学ぶ

からだ。
本当にこの学校の子供達の学びへの意欲には驚かされる。

それはシュタイナー教育のカリキュラムが、子供の年齢や心の発達度合いに応じて様々に工夫されている事もあるだろう。(カリキュラムの具体的な内容については、今後も折に触れて紹介していきたい。)
が、そもそも子供とは、本質的に学びたがっている存在なのではないだろうか。

知る、学ぶ、分かる、出来る、といった事に対して、子供ほど素直な喜びを感じる存在は無いであろう。それを、テストによって大人が評価する事で、素直な喜びが歪んで行く。
また、勉強意外でその子が興味を持っている事に関しても、「そんなテストにも出ないような事を覚えてどうする!」などと親や教師に云われたりすれば、無限に広がる子供の世界が、瞬く間に狭いものとなってしまう。

私なども幼少の砌から狐狸妖怪の類が大好きで、仲間内では博士号を賜っていた。
恐竜に詳しい子が「恐竜博士」、虫なら「昆虫博士」などと呼ばれる、あれだ。

「妖怪博士」。まるで南方熊楠か井上円了である。

ただ、残念な事に、小学校の授業には「妖怪学」は無い。受験には一切役には立たないのだ。

私が妖怪やら妖精やらに惹かれたのは、別段「妖怪検定」に合格しようと思ったからではない。今でこそ「境港妖怪検定」というのがあるが、当時は「妖怪検定」など無いし、あっても履歴書の資格欄には書けない。
資格:妖怪検定ぬらりひょん級取得。人事部長に一笑に付されて終わりである。

それでも私が子供時代、妖怪や妖精、仏像(特に天部)などに詳しかったのは、単純に興味があったからに他ならない。興味さえ持てば、子供とは元来どんどん学ぶ存在なのだ。

赤子に至っては、テストもしないのに言語を獲得するではないか。子供・・・いや、人間という存在自体、本来学ぶ事への欲求を持っているのだ。

二年生の娘・ぴーぽこも、文字や数の学習のみならず、笛の練習に余念が無いし、驚異的な速さで一輪車乗りも上達しているそうだ。上級生の姿を見て、「早くあんなふうに、色々な事が出来るようになりたい!」と憧れている。

こうした次第で、小リスさんを中心に、次回のゼミナールのテーマは「テストがなくてもどんどん学ぶ!子育て講座」に決定した。

「テスト」といえば、高校の共通模試で、「賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に破れた武将の名を書け」という質問が出た。「名を書け」とは、随分居丈高な物言いだ。
答えは当然「柴田勝家」なのだが、私はなんの気無しに、歴史小説で馴染み深かった「柴田権六」の名を書いた。(勝家は忌み名、権六は通称)

採点結果は、×
厳密に云えば賤ヶ岳の戦い当時の秀吉の姓は、「豊臣」ではなく「羽柴」である。こっちはそれに目をつぶってやってるのに、テメェは「権六」ではダメときた。
日本史の教師に異議を申し立てると、
「う~ん、俺なら○をやるんだが・・・模試の採点者は模範解答でしか採点しないからなぁ・・・。ま、今度から教科書通りに書いとけ」
だって。

「教科書通り」と指導したこの教師は、まだまっとうなほうで、何かで読んだのだが、

「漢字の書き取りで『未』『末』か分からなくなったら、横線を同じ長さに引いておけ」
などと教える教師がいたという。
・・・子供に姑息さを教えてどうする。

マークシートが導入された直後もひどかった。
参考書を読むと、「選択肢だけ読んで、出題者の心理を読め!」って、もはや心理学である。

挙句の果てに、化学の元素記号周期表・ハロゲンの覚え方、

 F  Cl  Br  I  At
「ふっくらブラジャー愛のあと」

だって。受験生に妄想させるなっての。


※ゼミナールに御興味を持たれた方は、「リンク」の「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」を御覧下さい。学校の公式H.P.です。



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コメント

テストがないことがこんなに重要だとは。
そうなんだよね。たとえ今みたいに「全国テスト」で子供をランク付けするなんていうひどい状況じゃなくても、テストで調べる、ということだけで私たちは比較してしまい、心の中で優劣がつき、じつは傷ついていたり、いやだったりしたんだなあ、とこの学校の様子を知れば知るほど思いますね。「みんなちがってみんないい」とか聞こえはいいけど、その実テストで点数分けしてたりしてたら、なんにもならない以上に子供たちに対して罪だとおもう。小学校低学年の算数にしたって、どうやら法則を自分で見つけ出すまでとことん同じことや一見遠回りに見えるやり方をするようです。そしてそれが面白くてたまらないので、子供たちは休み時間も計算をしていたり、友達と教え合ったりしているのだとか。すごいよねえ。
井上円了
・・・に反応してしまった。
レス遅れてすみません・・・
やっと仕事が一段落付いたと思ったら、今度は熱を出して寝込んでいる私です(--;

>ミニョンの母さん
公立学校の現場の先生の中には、「点数が全てじゃない!努力や過程が大事!」と云いながら、システム上点数で評価せざるを得ない状況にジレンマを感じている方もいらっしゃるでしょうねぇ・・・。
私自身にしたって、すぐに答えや結果を求めてしまったり・・・染み付いてますよねぇ(--;
公式や法則を、暗記させるんじゃなくて、遠回りでも自分達で見つけ出していく。楽しいだろうねぇ。。

>うちさん
何故?^^;
因みに井上円了は、私の出身大学の創設者です^^;
ちびたちは宿題がでると大喜びで「あ、しゅくだーい」って喜々としてやってますー
>あいぴょんぴょん
そういや貴女も井上円了つながりでしたね^^
ぴーぽこは学童で宿題やってるけど、毎日の事なのでもはや「大喜び」とかは無いなぁ^^;普通の事として淡々とやってるよ^^;

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