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HOME>シュタイナーと不思議

神秘の扉が開くとき②

前回の記事の続き。

シュタイナーは、視えない領分について知覚する為には、必ずしも霊視能力は必要ではない、と云う。思考する事によって、そうした事への知覚は可能なのだそうだ。

さて、「視えない領分」と云っても、別に神仏や天使や魂、といったことばかりではない。現実にあるものが、思考や想像力不足の為、認識出来ない事もある。

例えば、何年か前、こんな話がメディアに取り上げられていた。なんでも、

「ウチの子に、給食の時、

『いただきます』と云わせないで下さい!


と、教師に申し出る親がいるのだそうだ。「給食費を払っているのだから、当然食べる権利がある。だから『いただきます』と云う必要は無い」という論理。
・・・してみると、なにかい。オメェ様が「いただきます」を云うのは、

オゴリでタダ飯食らう時だけか!?

そもそも給食費での負担は材料費のみで、給食を作る為の設備費、人件費等は税金で賄われているのである。子供がいない家庭でも、税金は支払っているのだ。

お金の問題だけではない。調理する人々や、漁師、農作物や家畜を育てる人々、家畜を屠殺する人々、配送業者や、食器、包装製造業者その他、一膳の給食の裏で、多くの人々が働いているのだ。

また、食材の家畜、魚介類は勿論生き物。植物にもエーテル体(生命体)があるのだから、農作物にしてもその命を頂いている事には変わりない。
そうして、それらを育んだ太陽、大地の恵み。シュタイナーによると、植物の生育には元素霊と呼ばれる妖精の働きが欠かせないそうだ。

そうした全てに感謝して、「いただきます」ではないのか!?

無論、妖精は実際に視えないが、上記の業者さんやお百姓さん達の働きも、一膳の給食を見ただけでは知覚できない。が、実際にその現場を見なくても、思考や想像力を働かせれば容易に分かる事だ。
「給食費を払っているのだから、『いただきます』と云う必要は無い」、こう主張する親にとっては、目の前の給食及び、材料費のみの給食費といった、目に見える物質のみが全てで、その裏で実際に働いている人々の存在は、妖精が視えないのと同様に、知覚出来ないのだろう。

普通に考えれば、一膳の給食の裏で多くの人々が働いているのが分かる。同様に、動植物や鉱物、または人間や自分自身について観察し、思考すれば、その裏で妖精や天使、自然霊といった、不可視の存在が働いている事が知覚出来るだろう。
今後、そうした事も含め、人智学、神秘学についても考察してゆきたい。

「いただきます」について、もう少し触れる。
教会や神社、お寺が経営する幼稚園では、食事の前にお祈りをするところが多いだろう。
が、近頃は、

「ウチの子に宗教的なお祈りをさせないで下さい!」

とクレームを付ける親御さんも少なくないとか。
短絡的に宗教的なものを十把一絡げに「怪しいもの」と判断し、大切な「心」の領域まで否定するのも如何なものか。
尤も義務教育においては、宗教色を排除する為、給食前のお祈りはしない。「公立」という立場上、それは至極当然のことだが、その上、上記の親のような輩が「いただきます」すら云わせるな、となると、むしろ殺伐とした食事風景になるのではないか。
「お祈り」まではさせずとも、せめて「いただきます」ぐらいは云って、気持ちよく頂きたいものだ。

因みに、娘・ぴーぽこ(仮名)が通うシュタイナー学校では、お弁当(給食は無い)の前に、こんなお祈りをする。

「静かな時間を持ちましょう。これらのものをもたらしてくれた大地よ、これらのものを育んでくれた太陽よ、愛する太陽、愛する大地、あなたがたが忘れ去られる事がありませんように、食べ物に感謝して、いただきます」
私とて、食前にいちいち全てに感謝して頂いている訳ではない。形ばかりで「いただきます」と云う事の方が多い。それでも、時々でも食卓の裏で働いている多くのもの~農家や業者さんのみならず、太陽や大地、また、妖精等~に思いを馳せると、自ずと感謝の念が湧いてくる。

・・・尤も、産地やら賞味期限やらの偽装がこれだけ横行していれば、感謝の前に疑念が湧き、素直に感謝しにくい御時世ではある。
が、食材自体に罪は無い。

川柳を思い付く。

「しょくざい(食材/贖罪)を ないがしろにして 老舗消え」

って、綺麗じゃない?今回は下ネタでもないし。

だが、残念ながら、面白くはない。



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コメント

食事の偈
ええー。面白そうなので昔買った永平寺の料理本には、五観の偈、といって食事の前に唱える言葉があるらしい、それには「一つには功の多少を計り、彼の来所を量る(この食事が作られるまでにかけられた多くの手間と努力を考えてみよう)」とかあります。シュタイナーの理論を学ぶべく参加した合宿で、そのセミナーハウスでやっていた偈にも「この食べ物を食べるに値する人間になれますように」というのがあります。インドやイラクでも食事の前の感謝の言葉は自前でつくるところもあるようだし、全世界的にみて食事の前に何も言わない方が珍しいのでは?さらに私がぐっときたのは、五観の偈にもある次の意味の言葉。「この食べ物をむさぼり、欲望のままに食べることがありませんように」。自戒したいです。一日3度。
あとね、
座布団3枚!!おもろいやんかー、時事ネタやし。
食前の祈り
Dちが園児になってすぐに覚えたのが、「食前の祈り」。ちびっこが言うととても感動。型から入ったっていいじゃない。型を大事にする日本文化だしねぇ。

って、もっと不思議な扉が開いたのかと思ったよ。w
>ミニョンの母さん
色々読んでますねぇ^^;
今の日本は食べ物に溢れてるから(自給率は低いのに^^;)、食べ物=物質、というか、食べられて当然、という意識が蔓延してますねぇ。・・・って、私も普段から意識してる訳でもなく、ついつい感謝を忘れがちになってしまいますが(--;
>「この食べ物を食べるに値する人間になれますように」
>「この食べ物をむさぼり、欲望のままに食べることがありませんように」
いずれも良い言葉だ・・・。学校の七夕みたいに、「~値する人間になります!」、「~食べることがありません!」と、断言口調で唱えてみようかな。
あとね、面白いですか?^^;小さくまとまりすぎてる感じじゃない?
私的には座布団が貰えるようなネタより、全部持ってかれるぐらいの方が好きだったりします^^

>もんちゃん
いいお祈りだよね。私も好きだなぁ。小さいうちは深い内容までは理解出来ないから、形から入るのが良いよねぇ。毎日そういう美しい言葉を唱えていれば、いずれ心にまで浸透して、形だけには止まらない、本当の感謝に結実していくと思う。
そういえば、幼稚園の頃、親父の飲み会で、「食前の祈りそのものは良いと思うし、幼稚園や家で唱える分にはいいけど、ファミレスで唱え始めたのには参った」、と語るお父さんがおられました^^;「神様」とか出てくるから、周りの客に何か宗教をやってる一家と思われそうで恥ずかしかったそうだよ^^

もっと不思議な扉はねぇ、じわじわ開けていくよ^^理想は妖精やら天使やらは、当然存在するもの、という前提で語れたらな、と^^当然、輪廻もあり。今はまだ大手門辺り。本丸までは遠いわよ~!

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