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人間の本質とは(7)~人間のエーテル体と子供の記憶~

娘・ぴーぽこ(仮名)が幼稚園の頃。
帰宅したぴーぽこに、
「今日はどうだった?」
と訊ねると、判で押したように
「楽しかった~!」
と答えていた。
「何が?」
と問うと、

「忘れちゃった~!」

早ッ!もう忘れたんかい。
この様に、印象的な事以外は、大概忘れている。

小学校に上がってからも、この調子。が、あまり根掘り葉掘り聞くべきではない
それが、二年生になった今、色々な話をするようになった。
「ウール先生(仮名・担任)は、こんな風にマッチを擦るんだよ」
などと、結構細かいところまで覚えている。

子供のこうした様子から、「エーテル体」がどのような状態にあるのかが観察出来る。前回述べた通り、エーテル体は記憶力の形成をも担っているのだ。

松井るり子さんの著書のタイトルに代表されるように、シュタイナー教育では「七歳までは夢の中」という視点がある。幼時の意識は完全に目覚めてはおらず、夢見の状態にあるのだそうだ。
また、シュタイナーは、動物の意識も夢見の状態、と述べている。(因みに、植物の意識は深い眠り・ノンレム睡眠で、鉱物の意識は最も深い眠りの状態だそうだ)

さて、誕生したばかりの子供。三島由紀夫は生まれた時の記憶があったそうで、寺山修司に至っては生まれる前の記憶があったらしい。
こうした人々は例外として、大概は0歳の頃は、記憶力はまだ十分に形成されていない。
私の0歳の頃の記憶は、当時の映像とその時抱いた気持ちが、断片的に残っているだけである。

この頃の乳児は、夢見のなかでもかなり深めな、レム睡眠とノンレム睡眠の狭間といった状態だろうか。
動物の中でも下等な動物の意識に近いと思える。例えば、ミミズなどの負の走光性を持つ生物は、光を「不快」と感じ、暗い方へと進む。
乳児の意識は自分と外界とが繋がっており、外的な印象を、快・不快で捉える。
横にお母さんがいる・・・快、オムツが濡れた・・・不快、といった様に。

家族などへの認識は、まだ「記憶」を伴っていないのではないだろうか。前回の記事で述べた様な、記憶力を持たない動物の認識力に近いのかも知れない。
尤も、両親を選んで生まれてきた「魂の絆」という点を考慮に入れずに、子供の親に対する認識を語ることは出来ない。

やがて子供は、言語を獲得する。2歳頃から5歳にかけて、子供の記憶力は、エーテル体によって飛躍的に形成される。
私が2歳の頃の記憶から考察すると、この頃の子供の意識は、断片的で前後の脈絡の無い夢を見ているようなものだ。
野生動物も、こうした夢見の状態にあると思われる。

冒頭に紹介した、幼稚園時代のぴーぽこのエピソードも、夢に例えることが出来る。
目覚めてからの印象で、怖い夢やエロい夢を見ていた事は確かだが、具体的に何が怖かったのかや、どうエロかったか、夢の内容は殆んど覚えていない、という事がある。
この頃の子供の記憶も同様で、誰とどんな遊びをしたかは覚えていないが、「楽しかった」という印象は保持していることが多い。

私は4歳の頃に、よりはっきりした記憶と意識を持ったが、発達の段階としては就学適齢期、つまり6~7歳頃にこの段階に立つのが望ましいのではないだろうか。
夢の中でも、比較的一貫性のある夢がある。「自分」をより意識しており、以前見た夢と同じ場面が出てくると、「あ、ここ前にも来た」と感じることが出来る。夢の中においての記憶を、その後の夢の中でも保持しているのだ。
「今、自分は夢を見ている」と意識することすらある。
就学前後の子供の意識は、こうした夢の状態に近いのではないか。

人と暮らす犬や猫、人と関わりを持つ類人猿なども、この夢見の状態にあるのではないか、と、私は思っている。
前回、シュタイナーの思想に則って「動物には人間においての『記憶力』がない」と述べたが、実のところ、こうした動物には「記憶力」に近い何か~記憶力の萌芽、と呼べるような~が、育っているのではないか、と見ている。

この段階のエーテル体は、人体や記憶能力の形成が、ほぼ終わりかけている。
大切なのは、この時点までのエーテル体は、まだ誕生していない、という事だ。
シュタイナーによると、エーテル体はこうした活動を、エーテル的な膜に覆われた状態で行っている、という。
乳歯から永久歯への生え変わりを区切りに、エーテル体は、生命が卵から孵化したり母胎から産まれ出るように、エーテル的な膜から「誕生」し、自由を得るそうだ。

それ以後、子供は目覚めた意識としっかりとした記憶力を持つようになる。が、7~8歳頃の意識は、まだ完全に目覚める途上にある。目覚まし時計で急激に目覚めるのではなく、ゆっくりと、まどろみつつ次第に目が覚める時の意識と云えよう。

目覚めるに従い、記憶力がはっきりしてくる。冒頭に紹介した、現在のぴーぽこが、この状態に当たるだろう。

人間が目覚めた意識を持っているのは記憶力を担ったエーテル体が自由に活動しているからで、エーテル体が記憶力を形成途上の、つまりエーテル体が「誕生」する前の幼児や、人間的な意味での記憶力を持たない(もしくは萌芽状態の)動物は、夢見の意識状態にある、と云えるのではないだろうか。

つい先日、冬休み初日の日曜日。パートから帰宅した妻・みぽち、夕餉の席で、かくのたまえり。

「そういえば、ぴーぽこの学校、

冬休みいつからだっけ?


・・・オマエのエーテル体は、大丈夫か?


※・・・何故聞くべきではないのかは、近く「早期教育」をテーマにした記事で述べたい。


~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~

廉価本・「豊臣秀吉勇将録」(リイド社)に、「脇坂安治」「播磨軍記」の2編収録。
どうぞ御一読下さい。


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コメント

うちのセガレ(小4・10歳)は未だに夕飯どきに
“今日ね、学校でね”・・・ってのをやりません。
たまーに話してくれても
あんたは4歳男児か!?ってぐらい意味不明。
“ん?それは誰が言ったの?”とかちょっと質問するともう不機嫌で
“忘れた!”ですよぉ。

男のコはみんなそうなのかと思ってましたが
次男(年長・6歳)はわりと女の子のように
“それでね、○○ちゃんが△△っていってね、それでね、あのね”と
いろいろ教えてくれます。

人それぞれですねぇ。

ちなみに私も息子どもの冬休みがいつからいつまでなのかよくわかりません。
旦那がいつまで会社に行くのかも知りません。今日なのかな、月曜日なのかな・・・。
>ちゃい蔵さん
私も次男くんと同じタイプでした~^^本当に人それぞれです。
シュタイナーが述べているのは基本的な流れだけど、勿論個人差はあるし、最近はシュタイナーが述べる周期が若干早まる傾向にあるとか。
長男くんの場合は記憶云々じゃなく、お話しすること自体が好きじゃなかったりするのでしょうか?

会社や学校はともかく、幼稚園はいつからお休みか把握してなくても、お迎えの時にそれが分かるからいいですよね^^
読んだよ
鍋島直茂、知らない人だったけど面白かった。
奇襲シリーズできそうですね。
石投げ部隊、武田騎馬隊も面白かったな。
奥さまに似た女郎がいたよ(^_^;)
>25さん
いつも読んで下さって有難うございます~^^
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」でお馴染み「葉隠」で有名な肥前佐賀藩の礎を築いたのが、鍋島直茂です^^
>奥さまに似た女郎がいたよ(^_^;)
時々モデルにさせて貰ってます^^;

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