HOME>スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
HOME>家庭でシュタイナー

お祈りロック

元「ボ・ガンボス」のVo・どんとの急逝以来の衝撃だったのが、忌野清志郎の訃報であった。
仕事中、彼のアルバムを聴きまくりたい衝動にかられたが、問題がある。
ゴールデンウィーク中なので、小三の娘・ぴーぽこ(仮名)が、日がな家にいるのである。決して広くはないアパート、私が聴くということは、必然的にぴーぽこにも聞こえる、ということだ。

シュタイナー教育においては、子供(特に幼児)には、極力デジタルな音を聞かせないように配慮するのだが、問題はそれではない。いや、それも無論配慮すべき問題ではあるのだが、私にとっての問題は、「子供にロックを聴かせたくない」という事だ。

ロックを有害視しているのではなく、子供にはしかるべき年代に、自らロックと出会って欲しいからである。そもそもロックは親から与えられるものではないし、ぴーぽこの年にロックなど猫に小判、勿体無いというものだ。
が、杓子定規に構えても仕方がない。常日頃聴かせる訳ではない、故人を偲んで、その人が残した音楽を聴く、特別な日があっても良いのではないか。

ただ、もう一つの問題は、清志郎の歌詞に時折見られる、アダルトな比喩である。
どこかの地方に伝わる歌でも、「きのう父ちゃんと寝たときに ヘンなところにイモがある」などというのがあるが、この「イモ」が何の比喩か・・・って、清志郎の歌を猥歌と一緒にするなっての!

だが、ここまで下世話ではないが、彼の歌詞にこうした表現が散見されるのは事実である。
例えばRCサクセション「雨上がりの夜空に」の、「エンジン」や「バッテリー」、「ポンコツ」などは何の比喩なのか。
また、HIS「スキー・スキー(スキーなの)」の、「あなたの板」、「私の丘」とは?
RC「スカイ・パイロット」に至っては、「おまえのGスポット」って、ド直球。

だが、清志郎の歌が聴きたい、今すぐに!
いいや、もしぴーぽこに何か聞かれたら、
「『雨上がりの夜空に』はクルマの歌!『スキー・スキー』はスキーの歌!『スカイ・パイロット』はヒコーキの歌!!」
と答えることにして、所蔵している清志郎関係のCD、MDをかき集める。

さて、私は忌野清志郎のファンではない。
彼以上に影響を受けたアーティストは何人もいるし、MDも含めて持っているアルバムは6枚やそこらである。こんな私が「ファン」を名乗ったら、本当のファンに失礼というものだ。

だが、改めて彼のアルバムを聴いてみると、思っていた以上に彼の歌が自分に浸透していた事に、改めて気付かされた。

例えば、妻・みぽちがコーヒーを淹れてくれる度に、「君が僕を知ってる」が、頭の中で流れていた。
原発関係のニュースや話題に接すると、「サマータイム・ブルース」が、第二次大戦や核の話題では「LONG TIME AGO」(タイマーズ)が流れた。

優等生を演じていた高校時代に出来なかった事を「トランジスタ・ラジオ」で追体験したり。
自分が世界から孤立し、誰からも理解を得られないと感じていた日々、「わかってもらえるさ」に支えられたり。
飲み会でジン・ライムを頼む時、必ず「雨上がりの~」が流れた、って、これはピン・ポイントすぎる例だっての。こんな細かいことまで云い出せば、それこそ枚挙に暇がない。

持っているアルバムこそ少なかったが、それら数枚のアルバムを、何度も繰り返し聴いていた。そして、それら清志郎の歌詞やリズムの一部は、私に浸透していたのである。

シュタイナー学校では、朝の詩を唱えてから学びが始まる。また、私はぴーぽこを寝かしつける時、シュタイナーのお祈りのことば(『夜のお祈り』、『こどものためのお祈りのことば』等)を毎晩繰り返し、一緒に唱えている。こうした「光」と「愛」に包まれた言葉を繰り返すことで、それらが子供のエーテル体に浸透し、成人後の力になるのだろう。
そうした詩や祈りの言葉に出会わなかった私にとっては、様々なロックが、私の力となっていた。

シュタイナーは音楽を、調和の「アポロン的」なものと、熱狂の「ディオニュソス的」なものとに大きく分類していたそうだ。簡単に云うと、前者の代表がクラシック、後者がロックなのだとか。(無論シュタイナーの存命時には『ロック』は無く、現代の視点での解釈である)
更に云えば、シュタイナーの詩や祈りなどは「アポロン的」、ロックの歌詞は「ディオニュソス的」とも云えるかも知れない。

ところで、私にとって「ロック」とは何ぞや。
ロックを定義付けする時点でその態度は既にロックではないが、敢えて云うなら、私にとっては「再構築への欲求を秘めた破壊衝動」である。
破壊にはディオニュソス(酒、演劇、豊穣の神)の熱狂が伴う。そこに再構築の光や予感がなければ、その熱狂はルツィフェル(ルシファー。退廃、迷妄等に誘う悪魔)的なものに陥るのではないだろうか。

さて、清志郎の音楽を聴いたぴーぽこの反応。
流石に冒頭で挙げた、アダルトな比喩に関しては完全スルーで、HISの「渡り鳥」に羅列された鳥の名前を、いちいちメモし出す。まぁ、子供の反応としてはそんなものか。

だが、相手はルビコン世代の子供である、客観的な視点も育っている。
同じくHISの、「おやすみ もうすぐ逢える」という曲。おそらく遠距離恋愛でもあろうか、夜、恋人同士の夢が、開いた窓から抜け出して互いの部屋に行き来できるように、窓の鍵をかけずに眠る、といった内容の、浪漫溢れる名曲である。この歌を聴いたぴーぽこ、しかつめらしい顔で云った。

「・・・でも、それじゃぁ泥棒も入ってくるよね」

いや、お説御尤もではあるが。
この身も蓋も無い破壊力。オマエが、ロック。

~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~σ.σ~~~~~

★コメントの表示を承認制にしましたので、反映に時間がかかる事があります。御了承下さい。


ブログランキング
乙女への励まし代わりに↓をクリック
σ.σ
ブログランキング・にほんブログ村へ
こちらも↓
b_04.gif
スポンサーサイト

この記事のトラックバックURL

http://akiotome.blog123.fc2.com/tb.php/75-c605ed8d

コメント

久しぶり~
健在ですね!

清志郎は妹の思春期の支えでした。

シュタインマン先生が、お父さん席からの「ロックはダメですか?」という質問に、「聴くよりバンドを結成して演奏することを勧めます」って答えてましたね。

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
>25さん
私の邦楽ロックでの支えはブルーハーツとザ・スターリンの遠藤ミチロウ、戸川純、たま(ロックか?^^;)あたりが四天王なわけですが、清志郎が亡くなって改めて、彼の楽曲からも思ってた以上に支えられていたことに気付きました。。妹さんによろしくお伝え下さいませませσ.σ

私は周鯛鰻先生(仮名)より下世話な視点からの意見なのですが、ロックを親が子供に聞かせるというのは本末転倒だろ、と^^
「ロックの抜け殻」を子供に聴かせたところで本質的なものは受け取れないでしょうに^^;
デュオニソスは人間の「自我」と深い関わりがあるので、思春期に「デュオニソス的音楽」であるロックの洗礼を受けるのも、なにがしかの意味があるように思えます^^

>hさん
ネットに疎い為、どう返信したものか分からないので、この場でレスさせて頂きます^^;
ストリートの生音はいいですよね、私もつい足を止めます^^どういうジャンルであれ、その場に居合わせるのも何かの縁でしょうから、一緒にその場を楽しむというのも素敵なことですね。。
そちらのブログも一寸拝見させて頂きました~。またゆっくりお邪魔させて頂きますね~σ.σ

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

  Template Designed by めもらんだむ RSS

special thanks: Sky Ruins, web*citronDW99 : aqua_3cpl Customized Version】


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。