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姫と王子のメルヘンの真実~序論~

グリム童話等のメルヘンの中には、いくつかの類型が見られる。
その一つが、「少女または姫が、苦難の果てに王子様または王様と結ばれる」というものだ。いくつもの話があり、バリエーションも様々だが、この粗筋は共通している。
グリム童話の中から、ざっと思いつく限り羅列してみよう。

「灰かぶり(シンデレラ)」「白雪姫」「手なし娘」「ラプンツェル」「バラ赤さんと雪白さん」「イバラ姫(眠り姫)」「ツグミのひげの王様」「千色皮」「十二人兄弟」「にいさんと妹」「森の中の三人の小人」「白い花よめと黒い花よめ」「ほんとうの花よめさん」「一つ目、二つ目、三つ目」「なきながらはねるヒバリ」「ガチョウ番の少女」・・・
ああ、もう、キリがない!・・・それだけ多いってことだ。

日本の昔話では、「鉢かづき」「こめんぶくあわんぶく」などが同じ類型に入るだろう。

これらのヒロイン達は、軒並み王子様かそれに準ずる身分の男性と結ばれてハッピーエンドを迎えるのだが、そもそも何だ、王子様ってのは。そんな、生まれながらに富と地位が約束された男と結ばれるのが、そんなに価値かね?それが女の幸せかね?
私の様にモテないこと山の如しといった思春期を通過した者としては、王子様をやっかんでみたくもなるってもんだ。

だが、シュタイナーの人智学の観点からすると、この類型におけるメルヘンが、単なる玉の輿話ではないことが見えてくる。「王子様」は現世的な、「地位や金、美貌にまで恵まれた、優しい理想的な男性」のシンボルではないのだ。
では、「王子様」や「娘・姫」は何を表しているのか。
無論、メルヘンによっては「王子様」や「娘」の持つ意味合いは違ってくる。今回は、上記の「少女または姫が、苦難の果てに王子様または王様と結ばれる」という類型に限って述べる。

私が学んだところによると、この類型におけるメルヘンの「少女・姫」とは「魂」であり、「王子様」とは「自我」である。即ちこれらの話は、「魂が正しく自我と結びつく」ということを表しているのだそうだ。

「え?魂?なに?幽霊のこと?・・・恐~い!」
「自我って哲学の?デカルト?・・・難しそ!」
「そもそも結びつくって、どういう意味?・・・解んね!」

そう云わずにまぁ聞くがよい。今回はメルヘンの考察を進める前に、その前提としてのシュタイナーの人間観に眼を向けよう。これはメルヘン解釈のみならず、育児や、自分自身を知る上でも重要な観点となる。

シュタイナーは人間を構成する要素の一つを「Seele(ゼーレ)と呼び、高橋巌氏はこれを「魂」と日本語訳している。
また、別の要素を「das Ich (ダス・イヒ)と名付け、それは「自我」と訳されている。

日本のシュタイナー本では概ねこの訳を踏襲しているようだが、それらを分かり易く表現しようという意図で、西川隆範氏は「Seele」(厳密には、Seeleの活動の場であるアストラル体)を「こころ」と訳し、「das Ich」の訳語の方に「たましい」を充てている。つまり、「心」とは、感情を伴う自分、「魂」は「大和魂」や「主婦魂」というように、自分の奥の、血をたぎらせる、自分の本質的な存在の表現として、これらの訳語を充てたと思われる。より身近に感じられる訳だと思う。
ただ、前記の様に、従来「Seele」に「魂」の訳語が充てられている為、いささかややこしいのが残念である。

更に分かり易い訳もある。志賀くにみつ氏は、「自分」という存在を、「日常で忙しい自分」「永遠性を求める自分/本当の自分」と表現している。
おそらく前者が「Seele (魂)」、後者が「das Ich (自我)」を指しているのではないかと思われる。
日常の喜怒哀楽の感情の中で生きているのが「日常で忙しい自分(魂)」で、その奥に輝く存在が、「永遠性を求める自分/本当の自分(自我)」なのだ。

昔のマンガで、心の中に天使と悪魔が現れる表現がある。例えば、主人公が財布を拾った場面で、

「おまわりさんに届けるのよ!」と、天使。

「誰も見てねェ、貰っとけ!」と、悪魔。

「どうしよう~!?」と、両者の間で葛藤する主人公。

誰でもこれに似た経験はあるのではないだろうか。私の解釈ではこうだ。

主人公=「Seele (魂)」

自分の中の天使=「das Ich (自我)」

因みに悪魔は「感情体(アストラル体)の低次の部分」だ。
主人公が天使の声に従って、財布を交番に届けたなら、それは「魂が自我に結びついた」と云えるかもしれない。

また、大分前に「自分探しの旅」なるものが流行った。これは文字通りにとらえると、非常に矛盾した言葉になる。

「オマエを探してるオマエは一体誰なんだ?」

って話である。まるで落語の「粗忽長屋」、「抱かれてるの(死体)は確かに俺だが、抱いてる俺は誰なんだろう?」みたいなものだ。

だが、この「自分探し」なるものを、上記の視点で分けてみると、こう解釈出来る。

「探している自分」=「Seele」
「日常で忙しい自分」少女・姫

「探されている自分」=「das Ich」
「永遠性を求める自分/本当の自分」自我王子様

魂=少女・姫、自我=王子様の関連等については今後更に考察を深めるとして・・・。

この文脈でいけば、「少女または姫が、苦難の果てに王子様または王様と結ばれる」というメルヘンは、

「自分探しの旅」ってこと!?

うわぁ・・・オノレで展開しつつもこうまとめると、一気に安っぽくなるな・・・。



参考文献
「テオゾフィー 神智学」ルドルフ・シュタイナー著/訳:松浦賢(柏書房)
「ベーシック・シュタイナー 人智学エッセンス」ルドルフ・シュタイナー著/編訳:西川隆範、
撰述:渋沢比呂呼(イザラ書房)
「はじめてのシュタイナー~人生のヒント~」志賀くにみつ著(小学館スクウェア)


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