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織田信長と胆汁質

以前、ごく大雑把に、シュタイナーの「4っつの気質」について記事にした。今回は、やや掘り下げてみよう。
「育児」という観点からは、幾つかの名著が既に刊行されているので、私なりの見解で、日本史上で有名な人物を取り上げ、気質を把握する練習としたい。
とかく「ちんぽ」だの「金玉」だの下ネタに走りがちな当ブログだが、私の本業は歴史・時代劇漫画家である。少しはオリコウな一面も垣間見させておこうといった寸法だ。
・・・まぁ、そんなこと云ってる時点で、ちっともオリコウではないのだが。

さて、「織田信長」という人物は、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」や、「桶狭間の奇襲」といった、胆汁質のイメージが先行しがちだが、多血質・粘液質・憂鬱質も多分に有した「4っつの気質」の見本市の様な人物である。が、「歴史の中の織田信長」としての役割を鑑みて、やはり従来のイメージ通り、「胆汁質」の要素を取り上げて述べる。

信長は赤ん坊の頃から癇の強い子で、授乳しようとする乳母の乳首を次々に食い破ったそうだ。まだ歯も生えていないくせに、この激しさはどうだろう。まさに胆汁質の申し子である。ナチュラル・ボーン・胆汁質!

ところが信長、家臣の池田恒興(つねおき)の母(養徳院)の乳だけは、大人しく飲んだ。他の乳は駄目、養徳院の乳限定である。黄レンジャーがのべつカレーばかり食っているように、気に入ったものだけを飽きずに延々口にする。
興味深いのは、これが「胆汁質」の対極である「粘液質」の要素である、という事だ。

ここが「気質」の複雑で面白いところだ。つまり信長は、粘液質の穏やかさを持ってはいるのだが、満足するものが得られるまでは胆汁質の激しさで自己表現をしていたのだ。

逆の場合もある。それまで物事に無関心(粘液質の要素)だった子供が、ひとたび自分の内面から結び付き得る遊び等に出会った途端、生き生きと活発になる、という例だ。シュタイナー学校教師のハイデブラントは、これを「眠れる胆汁質」と表現している。
前記の信長の例は、さしずめ「眠れる粘液質」と呼べるかもしれない。
こうした視点は、育児において、子供を理解する上でも役に立つだろう。

やがて信長十六歳の時、父・信秀が病死した。この葬儀の場面は有名である。
髪は茶筅髷、刀を藁縄で縛り、袴すら穿いていない。今で云えば、喪主が茶パツでジーンズ、なんだったら短パン姿で葬式に出るようなものだ。
その珍妙ないでたちで焼香に立ち、抹香をひっつかんで仏前に投げ付けたのだ。
彼が父の死に対してどの様な感情を抱いたのかは解らないが、こうした、意思が手足からほとばしり出る様な行動は、胆汁質の典型である。

教科書に載っている彼の業績、例えば鉄砲や楽市楽座に注目したり、キリスト教の庇護や南蛮文化を取り入れるといった、所謂新しい物好きは、どちらかというと好奇心旺盛な多血質の要素である。
歴史の上で大切なのは、彼がそれらを次々に実行に移した、という点である。意思に貫かれた行動力は、胆汁質の大いなる特徴だ。

また、正義感の強さも胆汁質の特徴である。
それが良く作用して、領国の治安を維持もしたが、悪く作用して、比叡山の焼き討ちといった結果も招いた。

胆汁質の怒りはしばしば火山の噴火に例えられるように、手が付けられないものだ。自然災害と思ってやり過ごすしかない。
信長の有能な家臣でありながら、反旗を翻した荒木村重や明智光秀などは、やり過ごせなかったのであろう。

信長の場合、その正義感の強さと怒りっぽさは、時として病的ですらあった。彼の尺度から見て許し難き不正を犯したものを、その場で手ずから成敗した、という逸話も多い。
中には「斬る程のことか!?」という例もあり、そこには胆汁質の偏りによる暴力性という問題点も伺える。
こうした事が、胆汁質の子供にも起き得る。
すぐに暴力沙汰に及び、周囲から問題視されている子供がいるとする。彼の問題行動の原因を探ってみると、実は彼は人一倍正義感が強く、彼なりの正義感が周囲に認められなかった時、またはその正義感を押し通そうとした時、人に手を上げてしまう、という場合があるのだ。

信長は参謀を必要とせず、ほぼ彼の独断によって事を進めた。これも胆汁質の持つ意思の表れであるが、同時に他者に耳を貸さず、独裁的になる可能性をも孕んでいる。

また、彼は配下の羽柴(豊臣)秀吉の妻(北政所)に手紙を送って、夫婦喧嘩の仲裁もしている。殺伐としたイメージの強い信長の、数少ないほのぼのエピソードの一つである。
ここにも、胆汁質が見て取れる。義侠心というか、良い意味でのお節介というか。つまり感情が豊かで、そこに行動力が伴うので、他人の為に一肌脱ぐ事を厭わない。胆汁質の愛すべき特性で、こういう一面にこそ信長の本来の姿が反映しているのではないだろうか。

ゲーテとシラーが、胆汁質の特性を「英雄」と表現した様に、ある集団を率いて行く場合、胆汁質の要素が必要とされる。特にこうした時代の転換期には、鬼神もこれを避ける程の断固とした意思が必要であり、それを発揮し、実行できるのが、胆汁質の要素なのである。
時代を中世から近世へと進ませた胆汁質・信長の歴史的役割は大きい。

彼の死の場面も象徴的である。
御存知のように、彼は明智光秀の謀反の為、本能寺において、炎に包まれてこの世を去った。
「地・水・火・風」の四大元素のうち、胆汁質は「火」の要素に分類される。
生まれながらの胆汁質・織田信長は、胆汁質の要素である火の中で死を迎えたのだ。
これは、胆汁質の要素で時代を近世へと押し進めた彼の、歴史的役割を象徴しているように思えてならない。

・・・って、こじつけすぎ?


参考文献
「人間の四つの気質」ルドルフ・シュタイナー著/訳:西川隆範(風濤社)
「4つの気質と個性のしくみ」ヘルムート・エラー著/訳:鳥山雅代(トランスビュー)
「子どもの体と心の成長」カロリーネ・フォン・ハイデブラント著/訳:西川隆範(イザラ書房)


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がっかり珍獣

春休みのある日、我々一家は、とある動物園に出掛けた。
その動物園の見所の一つは、野生下では絶滅したとされる珍獣・四不像(シフゾウ)である。

頭が猿、胴体は狸、足が虎で尻尾が蛇、と云えば、(ヌエ)であるが、これは幻獣や妖怪、自然霊の類で、所謂「動物」ではない。
ところが件の四不像は、こうした特徴を有している、というのだ。
つまり、4種類の動物の形姿を持ちながら、そのいずれとも異なる姿をしている。それが、「四不像」と呼ばれる所以なのだ。

こう聞くと、「一体どんな姿をしているのだろう?」と、いやが上にもこの珍獣に対する期待が高まる。
その姿とは、こうだ。

馬のような頭  ロバのような体と尻尾  

牛のような蹄  鹿のような角


…って、地味!ラインナップ、全て奇蹄目・偶蹄目だし!
いや、十分珍しいのだが、「四不像」などとものものしい名前を付けてハードル上げてるものだから、ヌエ的なものを期待してしまうではないか。それで実際に見ると、一風変わった鹿にしか見えないから、見た者はがっかりする。
がっかり珍獣である。

どれ位がっかりかというと、実は我々夫婦は、結婚前に一度一緒に見たのだが、それから10年以上経った今でも、当時のがっかりっぷりをありありと覚えている程なのだ。
然も妻・みほちに至っては、見た事自体忘れている。
いつまでも記憶に残るか、綺麗さっぱり忘却するか、両極端ながっかりっぷりなのだ。

さて、改めて上記のラインナップを見ると、馬・ロバ(奇蹄目)、牛・鹿(偶蹄目)で、いずれも有蹄の動物である。大雑把に分けると近い仲間(馬とロバに至っては、交配すら可能の近縁種)同士なので、四不像はその名や特徴の割には地味に見えるのだろう。
尤も全く多種の特徴を併せ持っていたら、それはもはや動物の域を離れて、件のヌエやグリフォン、スフィンクス、マンティコア等の幻獣になってしまう。
こうした各地の神話・伝説の合成獣や半人半獣の存在達について、シュタイナーは非常に興味深い洞察を行っているが、到底かいつまんでは説明出来ない。今回はそのごくごくさわり、有蹄動物についてシュタイナーはどのように視ているかの一端のみを紹介したい。

まずは、シュタイナーによる人間の三分割論をごく大雑把に述べたい。人間は、以下の様に考察出来る。

*頭部・・・静的:神経-感覚系:思考の要素

*胸部・・・律動的:律動-循環系:感情の要素

*腹部(手足含む)・・・動的:新陳代謝系:意思の要素

因みにシュタイナー教育のカリキュラムは、上記の観点から子供の成長段階に対応して組まれている。

そして、「動物」とは、これら人間の一部が特化して発展した形姿をしている、という。有蹄動物を見てみよう。

まず共通して特徴的なのは、蹄を持った強靭な四肢である。
捕食者からの逃走における敏捷性もさることながら、時として四肢は攻撃の武器にもなり得る。牛や馬に蹴られたらただでは済まないし、一見細長くて華奢に見えるキリンの脚でさえ、ライオンに致命傷を与えうる脚力を持っているのだ。
また、カモシカや山羊の仲間の中には、切り立った断崖を、あの不器用そうに見える蹄で、軽々と上り下りする種も多い。

他の特徴としては、やはりあの腹であろう。植物の繊維を消化吸収する為、長大な胃腸を有している。牛や山羊等は、胃が四っつある事も知られている。
複数の胃を持つ種は、のんびり休んでいるように見えても、口はもごもご動かしている。反芻しているのだ。
反芻しない種でも、大抵は絶え間なく草や葉を食んでいる。
頭部を更に三分割すると、鼻は胸部(呼吸つまり律動の要素)で、口は腹部(消化や動きの要素)であることが分かる。
常に口を動かすのも、腹部の要素だ。

こうした考察を通して、有蹄動物は云うまでもなく「腹部の存在」であると云える。
シュタイナーは、これらの動物の代表を「牛」と呼び、頭部の代表・「鷲」、胸部の代表・「ライオン」と並ぶ「三大聖獣」としている。

「鷲」、「ライオン」、そして「牛」が一面的に有しているものを、調和・融合した存在が、人間なのだという。

してみると例の四不像は、いかに4種の動物の形姿を有しているとはいえ、その存在の本質は、「ザ・腹部」と云えよう。

さて、広大な動物園で、我々は四不像のエリアから若干コースがずれてしまった。
戻って見に行こう、と主張する私に、妻・みほちが反論。

「ヤだよ。わざわざ戻ってまでがっかりしたくない」

彼女は、かつて私と一緒に四不像を見てがっかりしたことは綺麗さっぱり忘れているくせに、それが「がっかり珍獣」であることは把握している。

「それがいいんだよ!手間をかけて見に行くことで、より『がっかり感』が増すでしょ。さぁ、がっかりしに行こう!」

私がそう主張するも、なおもみほちは難色を示し、

「ヤだって!四不像は、

 世界三大がっかり珍獣

のひとつなんだよ!」


なんだそれ!シュタイナーの「三大聖獣」ならぬ、「三大がっかり珍獣」?
参考までに「世界四大珍獣」といえば、「ジャイアントパンダ、オカピ、ボンゴ、コビトカバ」であるが、がっかり珍獣の残り二つって何なんだ?

「もう一つは、マーライオン

…って、そりゃシンガポールのモニュメントだ!「世界三大がっかりスポット」と交じってる上、実在する「珍獣」ですらないし。

「あと一つは・・・何にしようかな・・・?」

…って、それは世界基準じゃなくてオマエ・セレクションだったのかい!?

結局、娘・ぴーぽこ(仮名)が見たいと云うので、わざわざ戻ってわざわざ見て、わざわざがっかりした。

が、最もがっかりしたのは、見たいと云ったぴーぽこその人であったろう。何故なら、上記の我々のやり取りを聞いていたぴーぽこは勘違いをし、

「・・・シフゾウって、いつもがっかりしてる象さんかと思った・・・」

・・・がっかり象!?それはそれで、珍獣だ。



参考文献:「宇宙的人間論」ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌 訳 (春秋社)

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育児で感情的にならない為に

育児に携わっていない方でも、「『怒る』と『叱る』は、全くの別物、子供には『叱る』べきで、『怒る』べきではない」という鉄則は聞いたことがあるのではないか。
基本中の基本であり、誰もが頭では解っているものの、ついやってしまう事の一つであろう。
よく、「感情的に怒りそうになったら、深呼吸をするとよい」と云われる。方法としてはとても良いものだが、これが出来る時点でその人は既にある程度の余裕があると云える。本当に感情的になったら、深呼吸をしようという余裕さえ失ってしまうからだ。

私もこれまで、子供に対して何度「怒った」か知れない。その都度反省しては、また繰り返していた。
そもそも私は、元来妖精気質というか、非常に感情の起伏が激しく、短気でもあった。
どれぐらい短気だったかというと、学生時代、「あき乙女って、短気なところがあるよね」と指摘してくれた友人に対し、

「短気じゃねぇよ!!」

と、マジギレしたぐらいだ。秒殺。それが十分短気だっての。

そんな私だが、ある方法を試してからは以前よりずっと温厚になり、感情的に「怒る」頻度もずっと減り、また怒ったとしても、以前よりも早く切り替えられるようになったのだ。

・・・って、この文章構成、怪しくないか!?
「半信半疑に購入してみたんですが、使用してすぐ宝くじで高額当選、全くモテなかった私が、5人の女性から同時に告白されてウハウハな毎日です(東京都/70代男性:D.Tさん)」
的な、ナントカな商法っぽくないか?大丈夫?

心配御無用、霊験あらたかな壺だの奇跡のペンダントだのを売り付けようというのではない。日常生活の中で出来る、シュタイナー式の自己教育法を紹介しようというのだ。お金もかからないし、誰でも今日から実践できるし。

日常生活の中で実践出来るものからメディテーションまで、シュタイナーが提示した自己教育の方法は多岐に渡る。
今回紹介するのは、最も簡単なものの一つといえる。

その方法とは、

「文字を書くとき、字体を変えて書く

え?そんなことで!?

左様、そんなことで。
普段字体など意識しないで文字を書く人が、自分の文字を意識して眺めながら書く、という行為を行うと、自分に対して客観的になれる態度が身に付いてゆく。感情に振り回されない為には、この「自分に対して、客観的になれる」という事が大事なのだ。
そこに「深呼吸をする」余裕も生まれるし、感情的になっている最中にもそんな自分を客観視出来るようにもなるから、気持ちの切り替えが速やかになってゆく。

人智学的に解説を加えると、この行を通して、自我・アストラル体(感情体)の支配が、エーテル体(生命体)・物質体(肉体)に及ぶようになるのだそうだ。
エーテル体を強化し、更にアストラル体の、エーテル体への支配をも強めるのだ。
勿論、自我自体も強化されるであろうと思われる。

これを、一日10分程度でよいから、まず最低でも一ヶ月は続ける。行為がエーテル体に浸透する、つまり「習慣化する」までに、通常28日程度かかるからだ。
その後は、それぞれの状況にもよるだろうが、習慣化して取り組んでいけばよいと思う。

参考までに私の場合は、数ヶ月で多少の効果を実感出来たが、都合よく劇的に変化が訪れる訳ではない。一進一退しつつ、1年以上続けた現在でも、まだ完璧にはいかない。が、始める前が死海の水だとすれば、現在は汽水域の水ぐらいには薄まっている。・・・って、伝わるのか、この例え?
ともかく辛抱強く続けてゆくのは、シュタイナーの「十二の月の美徳」のうち、「さそり座:忍耐が認識・洞察力になる」と、「ふたご座:持続力が誠実さになる」の二つも同時に取り組めるので、お得といえよう。

だが、私の場合はまだしも、仕事で漫画のふき出しに台詞を書いたり、担任教師と毎日連絡帳でやり取りをしたりと、直筆で文字を書く機会は多い。だが、これだけネットや携帯が普及した現代、文字をキーボード等で打ちはしても、「書く」機会は少ない、という方も多いであろう。
そうした方々は、別の方法が色々考えられる。

例えば、お箸の持ち方が正しくないなら、意識してちゃんと持ってみるとか、お風呂で体を洗う時、いつもと手順を変えて丁寧に洗ってみる等。
要は、普段無意識に行っている事に、意識して取り組む、という事が大切な様に思える。
また、これらを一ヶ月ごとに、例えば一月目には体を丁寧に洗い、翌月は歯を手順を変えて磨くなど、変化をつけると「馴れることなく習慣化」しやすいだろう。

シュタイナーは他の例として、自分の挙措動作を客観的にイメージする、というやり方も挙げている。
例えば自分がどのように歩いているか、その姿を意識してイメージしてみる、というのだ。

改めて意識してみると、自分が思った以上に猫背で貧相な歩き方をしている事に気付いた。それについて、野口整体を学んでいるママ友の北政所さん(仮名)が、
「それにはタスキをかけるといいよ」
と教えて下さったので、普段タスキがけで生活してみたところ、数ヶ月でかなり改善された。
以後、自分の歩く姿をイメージする度に、

「まぁ~、あの頃に比べて、随分姿勢が良く、軽やかになったこと・・・。

まるで風の妖精・シルフのようね


と思うようになった。(あくまで猫背だった頃に比べての比較論ではあるが)

ところでシュタイナーは、この「自分の歩く姿をイメージする」という方法を、あまり長く行うべきではない、と注意を促している。何かというと「忍耐」だ「継続」だとやかましいシュタイナーには、珍しいことだ。
理由は、「いつまでも続けると、とても自惚れるようになっていきます」だって。
いやいや、いくらなんでも、こんなことで自惚れるなんて奴は・・・

・・・いた。私じゃん

私に向けての忠告か!?


参考文献:「人間の四つの気質」ルドルフ・シュタイナー著(訳:西川隆範)風濤社
      「瞑想~芸術としての認識~」マンフレット・クリューガー著(訳:鳥山雅代)水声社


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点子ちゃんとアントン:完全版

冬休みのある日、学校のホールにて、八年生卒業劇・「点子ちゃんとアントン」の再演が行われた。
何故「再演」なのかというと、公会堂を借りて行われた本公演では、インフルエンザによる学級閉鎖の為、観劇できない学年があったからだ。
それどころか、当の八年生の生徒の一人も、インフルエンザで欠席を余儀なくされたのだ。

公演そのものが危ぶまれたが、生徒達の工夫によって、この困難な状況は打開された。
数人の生徒が、配役をスライドさせることで、欠けた役を補ったのだ。
自分の役以外の台詞や演技も把握していなければ、こんな離れ業は演じられまい。生徒達がいかにして物事に取り組んでいるか、その姿勢が垣間見えるではないか。

ともかく大盛況に幕を閉じた本公演だったが、改めて全員参加という形で、この日の再演へと漕ぎ着けた訳である。

感想?そんな、感想なんざ冷静に書けませんっての。内輪の生徒自慢にしかならないし。
だが、あの日の感動を記しておきたいので、今回は内輪の生徒自慢にお付き合い頂く。
例によって勝手に仮名を付けさせて頂いたので、もし直接の関係者が御覧になったなら、そこは御容赦願いたい。

「点子ちゃんとアントン」は、ドイツのエーリヒ・ケストナーの作品。

出ずっぱりの点子ちゃんは、ポンパドールさんとテディさんが、場面によって交互に演じるという、「二人一役」方式。二人とも、物語の天真爛漫な点子ちゃんがそのまま飛び出てきたのではないかと思えるほど、本当に「点子ちゃん」であった。それぞれがそれぞれの「点子ちゃん」を演じているのに、全体を通して見ると二人で一役とは思えない程の違和感の無さ。
因みに本公演では彼女達が、一人は欠席した生徒の役をやり、もう一人がずっと点子ちゃんの役をやり続けることで、冒頭で述べた危機を回避したのである。
再演では、出番が無い時に、テディさんがフルート、ポンパドールさんがヴァイオリンを演奏するなど、三面六臂の活躍であった。

点子ちゃんの父・ポッゲ社長は、大人の複雑な事情を、最も多く抱えている役である。それ故に最も難しい役ではないだろうか。大人が何か大事な事に気付き、自らを成長させる。多くの大人にとって、それは困難な事だ。
そんな成長する大人の姿を、エクスキャリバーくんは見事に演じ、表現していた。前半のどこか鬱屈した感じと、後半の威厳、優しさ。ポッゲ社長の内面の変化が伝わるようだった。
個人的には、ポッゲ社長が点子ちゃん、アントンと一緒にシュークリームを食べ、追いかけっこをする場面に涙した。

セレブで、家庭より社交にうつつをぬかす、ヒステリックなポッゲ夫人、つまり点子ちゃんの母。この強烈な役所を、ナッツさんは圧倒的な存在感をもって演じた。原作のポッゲ夫人を凌ぐ勢いの個性、最後に夫に見せたしおらしさ。悪役ではないが、嫌味な役、でもどこか憎めない。ある意味、最も演じ甲斐のある役ではなかろうか。
出番が無いシーンでは、ナッツさんはピアノやヴァイオリン演奏でも実力を発揮していた。

優しく正義感の強い少年・アントン。これを演じたエントくんも、点子ちゃん同様、物語から飛び出してきたようだった。お母さんを傷付けてしまい、後悔に苛まれる場面など、完全に感情移入して観てしまった。その後、お母さんとの涙の和解の場面など、観ているこっちも貰い泣き。涙を流すなと云うほうが無理だっての!
点子ちゃんとのやりとりも、きっとケストナーがイメージしていた若者は、まさにこんな風だったのではないか、と思われた。

セルキーさんは、アントンの母・ガスト夫人と、点子ちゃんの養育係・アンダハトを一人二役で演じた。優しく、病弱で憂鬱質なガスト夫人。無口で「みょうちきりん」な不思議さんのアンダハト嬢。個性は違うものの、いずれも明るいタイプではない二役を演じ分けるのは大したものだ。特にガスト夫人の子を思う様は、私自身の母を重ね合わせて観てしまった。
また、チョイ役で演じたお巡りさんも、光彩を放っていた。

同じく一人二役で、クレッパーバインと悪魔のローベルトを演じたスワロウくんも、難しい役所だったろう。なにしろ二役とも悪役なので、演技を工夫しないと「悪役」という括りで同じ人物と間違われてしまうかも知れないからだ。無頼な悪者クレッパーバイン、陰湿な悪者ローベルトと、それぞれの悪さが伝わってきたが、憎々しい程の悪役とまではいかない。が、これは彼自身の人柄が滲み出てのことだから、むしろ誇るべきであろう。
また、両者とも殴られる場面があるが、殴られっぷりも圧巻であった。

ペルセポネさんが演じたポッゲ家のメイド・太っちょのベルタ。口さがなく文句を云うが愛嬌者のベルタ役も、演じ甲斐のある役所だろう。出番が少ない割には出ると場が沸くという、オイシイ役でもある。実際、実に良い味を出しており、アンダハト嬢との罵詈雑言の応酬や、お巡りさんとのタンゴなど、観終わってからも、娘・ぴーぽこと一緒に何度も思い出しては笑った。三年生のぴーぽこのクラスでは、特にベルタがこん棒を振るってローベルトを殴打する場面が印象的だったようだ。

劇中では、ケストナー自身をナレーターとして登場させることで、ナレーション、原作の「まえがき」や、各章ごとに記されたケストナーの考えなどを語らせていた。
男装してケストナー役を演じたカープさんは、まさにケストナーの代弁者。もはやケストナーを演じているというより、ケストナーが彼女を通して語っているのではないか、と疑うほど、あたかもイタコの口うつし。特にラストの、

「この地上は、もう一度、天国になれるはずだ。できないことなんて、ないんだ」

との力強い語り口調は、我々の胸に熱いものをこみ上げさせるに十分であった。

そして、全員による合唱。

・・・泣くって。

いや、泣ける話じゃないんだけど。むしろ大団円で、スカッとする話なんだけど。
合唱の間、そこここで感動に咽ぶ親達の姿が。

シュタイナー学校では、節目の学年で演劇に取り組む。八年生は、来年度から「高等部」に進学するのだ。
皆、素晴らしい演技を見せてくれたが、「上手く演じる」ということが目的ではない。
クラス全員で一緒に何かに取り組むことや、「他人」になり、演じること。それらを通して、生徒達は多くのものを得る。我々が観たのは「結果」としての公演だが、そこに至るまでに生徒達一人一人が通った「過程」、それこそが生徒達にとって宝であり、我々は演劇の物語そのものやメッセージに加え、生徒達の見えざる「宝」の輝きを感じて、感動するのだろう。

尚、昨年度卒業劇を経験したある生徒さんも、今回の劇について記事を書いておられる。「八年生で劇に取り組む」という事が、御自身の体験も含めて活写されているので、是非こちらも御一読をお勧めする。

   八年生の卒業劇

さて、再演が終わって数日後の昼日中、ママ友のチョウゲンボウさん(仮名)より電話が。曰く、
「八年生の劇の歌って、どんなだったっけ?」
合唱した歌は、”The Rhythm of Life”という曲に、担任のフローレン先生(仮名)が詩をつけたものだ。
チョウゲンボウさんのクラスは学級閉鎖の為、再演で初めて観て感動した模様。二度観ている私は、歌を少しは覚えているのではないかと思い、電話したものらしい。
うろ覚えながら、「こんな感じじゃなかった?」と、受話器越しに歌ってみる。
だが、何故、今それを訊きたいのか。曰く、

「今、息子と木に登ってるんだけど、気持ちが良いから息子とあの歌を歌いたくなって」

してみると、何か。オマエは今、木の枝に座って、携帯でかけてきているのか?

「そうなの」

牧歌的にも程がある。



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子供に語る比喩の実践

「赤ちゃんはどうやって生まれてくるの?」
という幼児の問いに、
「それはね、お父さんの怒張した×××が、お母さんの…」
などと、幼児相手に性描写を始める馬鹿は居るまい。
子供の年齢に相応しい「比喩」という名のヴェールに包んで話す筈である。
古典的だが、「コウノトリが運んでくる」というのは、単にお茶を濁して誤魔化す為の方便ではない。素晴らしい比喩なのだ。空と地上を結ぶ存在に伴われ、子供の魂が両親の許にやって来るイメージなのだそうだ。

前回の記事・「イメージと比喩とメルヘンと」とも関連するが、子供の素朴な問いかけや、四季の自然の移り変わり等を、比喩を通してイメージ豊かに子供に語り聞かせるのは、子供にとって良い作用を及ぼすそうだ。

では具体的にどの様に話すのか、オイリュトミー教師の風姿花伝先生(仮名)から学んだ事の一部をシェアしたい。

まず、実例として、私が娘・ぴーぽこ(仮名)に語ったお話、風姿花伝先生にお褒め頂いた事に気を良くしたので、ここに紹介しよう。
早い話が、自画自賛である。

「彼岸花」
「ふかふかとした土にくるまれていた彼岸花が、花を咲かせる頃になりました。
彼岸花は一刻も早く神様に会いたくて、空に向かって真っすぐにするすると伸びて、蝶々のような形の、赤々とした花を、ぱらりと咲かせました。
ところが彼岸花は、あんまり早く神様に会おうとしたもので、葉っぱを付けるのを忘れてしまいました。
天使は彼岸花にやさしく云いました。
『あなたは、あなたをつつんでくれている大地にも感謝をしなければなりませんよ』
そこで彼岸花は、花が枯れた後、細長い葉っぱをわさわさと伸ばし、寒い冬の間、その青々とした葉っぱで大地を優しくくるんだのでした」


ぴーぽこは意外な程興味深げに聞いていた。聞き終わると、
「それ、お父さんが考えた話?」
と質問してきたので、こう答えた。

「ううん。彼岸花に教えて貰ったの」

パラケルススじゃあるまいし、私には植物の話を聞くことは出来ない。が、仮に聞けたとして、彼岸花は上記の話と当たらずとも遠からずな事を語ってくれるのではないかと思う。

私の答えを聞いたぴーぽこ、訝しそうな表情を浮かべ、

「…お父さんが考えた話か」

いやだから彼岸花に聞いたんだって。まぁ、ルビコン世代のリアクションはこんなものだろう。

風姿花伝先生は、こうした季節のメルヘンの例として、柿の話をして下さった。
葉が散っても実は落ちない柿は、顔を真っ赤にして落ちないように頑張っている、といった内容で、口を「へ」の字に結んだ表情を作りながら語られた。

素敵な話だと思ったので、軽くパクってというか、参考にして自分なりに話を広げ、ぴーぽこに語ってみた。
はじめは青かった柿。自分も近くの栗の実のように、地面に落ちるんじゃないかとおどおどしていたが、一念発起して秋風が吹く中頑張っているうちに赤くなった、という物語。
話しているうちに、興味深い事が起きた。
柿が一念発起する場面。聞いていたぴーぽこは、柿の気持ちになって、

「ようし!ぼくは、風なんかに負けないぞ!」

と台詞を云った。これが、直後に私が云おうと頭の中で用意していた台詞と、一言一句違わず同じだったのだ。
尤も凝った云い回しでもないし、話の流れからもこうした台詞が出て来ても不思議ではないが、あたかもテレパシーの様に、私がイメージしていた台詞を、内容から間の取り方、口調まで一致させて再現された事に、少なからず驚いた。

そして、私も風姿花伝先生を真似て、口を「へ」の字に結び、頑張っている表情を作る。
これがぴーぽこの気に入ったらしく、以来柿を見る度この表情を浮かべるようになった。面白い事に、木に生っている柿に限る。収穫され、店頭に並んでいる柿は普通にスルー。

他にも、こんな話を考えてみた。

「銀杏さんと楓さんは、桜さんが羨ましくて仕方ありませんでした。何故って、桜さんは春になると、赤ちゃんの肌の様な薄桃色の花をふくふくと満開にして、お空の神様に見せてあげているのです。
それなのに、銀杏さんも楓さんも、ちっぽけな花しか咲かすことが出来ません。
『私たちも、桜さんのように、枝中を綺麗な色で飾って、神様に見せてあげたいなぁ』
それを聞いたお日さまは、自分の色を少しだけこれらの木たちにプレゼントしてあげました。
それから秋になると、銀杏さんはお日さまのキラキラ輝く金色に、楓さんは朝日や夕日の燃えるような真っ赤な色に、葉っぱの色が染まるようになったのです。
幸せな気持ちに包まれた銀杏さんと楓さんは、それまでみすぼらしいと思っていた自分の花が好きになりました」


また、同じ銀杏を扱うのでも、親仲間のジーナさん(仮名)は、「お日様の光が届きにくくなる秋、銀杏は自ら輝きだして、金色に染まった」といった内容のお話をされていた。とても素敵なお話ではないか。

風姿花伝先生によると、こうした話は短いほど良く、また、形容詞や擬声語をふんだんに使うと子供は喜ぶそうだ。現にぴーぽこも、上記「彼岸花」の、「するすると」や「ぱらりと」等の擬声語のくだりで、一段と瞳を輝かせていた。

パラケルススや、ましてやシュタイナーの如く超感覚的洞察力を持たぬ我々は、日常の中では思考を通して自然摂理の秘密を探求するしかない。自然の不思議さ、面白さに感動のまなざしを向けて考えてみると良いだろう。
「ひまわりはお日様が大好きなんだよ」「稲が大地に『ありがとう』ってお辞儀してるね」
例えばこんなシンプルな話でも良いと思う。馴れてくると話が膨らんでゆくだろう。
そのうち、自然が自らその秘密を語ってくれる日が来るかも知れない。

こうした事には馴れが必要で、こちらが予め用意していた話などはともかく、子供から不意打ちの如く発せられる問いに対して、いかに臨機応変に対応できるかといったアドリブ能力を、シュタイナー学校の教師は日々問われているそうだ。改めて先生達に頭が下がる思いである。

馴れないうちは、なかなか上手く行かない。私も以前、こんな事があった。
「海の水からどうやって塩ができるの?」とのぴーぽこの問いに対する私の答え。

「海の水を汲んで熱くすると、水の妖精・ウンディーネがだんだんどこかへ行ってしまうの。そして残された『辛いもの』が、今度は土の妖精・グノームに固められて…」

…話がが迷走してるっての。

狐につままれたような面持ちで聞いていたぴーぽこ、ぽつりと、

「・・・よく分かんないや」

…ごもっとも。


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